12月19日(火)
今朝ももちろん朝4時起床。昨晩が早かったから5時間以上は寝ている。今日の昼過ぎのフライトで帰国だから、朝食で懸命に栄養取らなくちゃというプレッシャーはなく二人ともアーモンドクロワッサン、チョコレートクロワッサンそれぞれ一つだけ。先月11月11日に神戸の自宅出発してからもう1ヶ月以上帰宅していない。その上、今日の帰国後も東京〜名古屋で5連チャンで仕事が入っている。うれしい悲鳴だ。年末押し迫ってから神戸に1週間だけ戻れて、1月は東京と国内ツアーが待っている。体調を崩すと大変なことになるので、かなり気が張っている。
朝9時、早めにチェックアウトしてウーバーでJFK空港に向かう。帰りは羽田までの直行便なので、長時間フライトだけ耐えれば大丈夫。電車で空港まで行けば安いが、荷物振り回されながら階段の上り下り乗り換えの煩雑さを避けるため。この出費は必要経費。10時過ぎに空港到着。3時間前だが、もうチェックインが始まっている。荷物をドロップしてラウンジに。ANAのラウンジなので、飲み物、食事も比較的良い。ラウンジでメールの一仕事してから、ゲートに。搭乗して一番後ろの自分の席に向かうまで、延々と続くビジネスクラス。こんな航空会社は珍しい。エコノミークラスは最後尾の全機体4分の1以下。つまりANAはお高いビジネスクラスを購入するお客さんたちを相手にご商売をされている。このゆったりとした座席の間を延々と歩いて最後尾に来ると、まるで貧民窟に来たみたい。まあ、貧しいのだから仕方ない。搭乗後離陸前に爆睡。これは得意技だが、最近は映画4本見れるほど長時間起きている。今回の映画は、これまた全て実話に基づいたもので、「ブラックベリー」(スマホ第1号)「リチャード・ジュエル」(アトランタオリンピックでテロの爆弾発見者)「サウンド・オブ・メタル」(メタルドラマーが聴覚を失う)「スキャンダル」
(Foxのニュースキャスターが上司のセクハラに声をあげる)どれも、とても面白かった。普段映画をあまりみないので、最近の私にとっては機上はいわば映画館。フライト終盤は流石に疲れてきて爆睡。ANAの食事は行きのユナイテッドに比べたら遥かに美味しくて助かる。
羽田空港には定刻で到着。入国はvisit Japan webに登録しない方がずっと楽だとわかったので、今回は全てアナログ。日本のIT化はとても不思議だ。
帰宅ラッシュで満員の京急と地下鉄乗り継いで帰宅。無事に帰れました。
フィラデルフィアのデュオのコンサート、ニューヘヴンでのレコーディング、ニューヨークでのモリイクエさんウィークでの2回のコンサート、ニューヨークでの夏樹とデュオでのレコーディング。多くの方にお世話になり、改めて本当にありがとうございました。
明後日から国内で5日間続けてのライブがあります。まだまだ気は抜けませんが、年内の国外ツアーはこれで無事終了しました。
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12月17日(日)
今日は、今回のニューヨークでの最後のコンサート。日曜日なので夜ではなく夕方の開演なので、入り時間も2時半と早い。相変わらず早起きの二人は6時の開店待ちを当てこんでデリにいくが、なんと日曜日は朝7時から。ここで待っていても仕方ないからウエスト4th近くまで歩いて空いているカフェを探す。そんなに寒くはないので朝のいい散歩。美味しそうなパン屋さんとセブンイレブンを見つけて、セブンイレブンでヨーグルトとオレンジジュース、パン屋さんでハムチーズクロワッサンを買ってホテルに戻る。ここのホテルの偉大なところはロビーで常にコーヒーとティーバッグ、お湯が提供されているところ。今回の滞在を楽にしてくれた。部屋にも毎日水のペットボトル2本が無料で置かれていて、とても助かった。部屋で朝食後に当然、夏樹はお昼寝。お昼前に起き出して今度はお昼ご飯。歩いて会場に向かう途中にある寿司屋に行こうということになり、ブラブラと15分。どこもレストランは混んでいるこの時期にここは誰も入っていない。どうも世間はコロナが再拡大し始めているようだから、空いているのは大歓迎。だが、食べてみて空いているのがよくわかった。二人ともカリフォルニアロールやドラゴンロール、うなぎアボカドロールとか注文したのだが、鮨飯に酢が効いていない。残念だ。今日のコンサートの後にみんなでつまめるように寿司でも持っていこうと話していたのだが、ここの寿司ではとても残念なので、やめる。
1時半ごろに会場に着く。今日はいくえさんのまさに70歳誕生日、5日間のストーンレジデンシーの最終の締めくくりはニュースクールのいつもの会場の上階にあるもっと広いホール。会場に入っていくとジョン・ゾーンが立ち寄っていた。彼に会うのは何年ぶりだろう。メキシコツアーで体調崩して体重が大幅に減ったとのことだが、ほぼ体調は戻って痩せたせいで若返って見えるくらい。相変わらずの流暢な日本語。会話は全部日本語で全く問題ない。巻上さんも着いて、今日のセカンドセットのリハーサルを聞く。私たちはファーストセットで逆リハなので、こちらのリハーサルの番になるまでのんびり。ピアノのシルヴィーとも久しぶりに会う。
私たちのリハーサルの番になり、入念に打ち合わせをする。パーカッションのさえさんが体調不良で、急遽、ドラムのチェス・スミスが両方のセットで演奏することになり、いくえさん、今回のレジデンシーは本当に大変。終演後に70歳の誕生日祝シャンパンとケーキをネッドが用意ということで、私たちは近所の日本マーケットでみんなでつまめるお煎餅を買ってきた。
会場は大入、満席。私たちのワンセット目の後、客席で2セット目を聴く。素晴らしい。演奏者はもちろんだが、いくえさんの作品とディレクトでしっかりイクエワールド。いやあ、楽しみました。
終演後、客席から大量のカップケーキが運ばれてきて、ろうそく灯してハッピーバースデイ。シャンパンも開けて、歓談。ベルリン在住の旧友アンドレア・パーキンスもクリスマスの里帰りでニューヨークに来ていて、本当に久しぶりの再会。なんと、台湾のピアニスト、シーヤン・リーもアジアン・カルチュラル・カウンシルのフェローシップでニューヨークに6ヶ月滞在中でコンサートに来てくれていた。外は雨が降り始め風も吹き始め嵐の様相。ホテルに戻る前に会場近くの日本マーケットで「赤いきつね」を買って、今夜はホテルの部屋で夕飯をすます。終演後リッチなチョコレートケーキをご相伴に預かったので、これでちょうどいい感じ。
今夜はついにお薬なしでおやすみなさい。
12月18日(月)
昨晩は11時前に寝たのに、シラフのせいか悶々の一夜で、3時にはしっかり目が覚めてしまった。
それにしてもすごい嵐で大雨に強風、気温は16度とかあるのに。雨が小降りになったタイミングでデリに朝ごはんを買いに行く。私はイングリッシュマフィンのサンドウィッチ。これにはベーコン、卵、チーズが挟んであるのだが、卵2個分はあるような量ですごいボリューム。夏樹は好物のアーモンドクロワッサンにポテトのソテーとポークソーセージ。オレンジジュースとヨーグルトも買い込む。雨の中、部屋に戻り朝食。
今日は、銀行やら郵便局やらで用事を済ます予定だった。天気予報によるとこの嵐は午後5時過ぎまで続くらしい。待っていては用事は済ませられないので、朝食後の恒例、夏樹の午前昼寝を待って10時過ぎに雨の中をフードを被って銀行に向かう。地下鉄でも歩いても所要時間はほとんど変わらないので歩くことにする。10分くらい歩いたところで雨がとんでもなく激しくなってくる。傘が買えないかと見渡すと目の前の店にあるじゃないですか。飛び込んで折りたたみの小さい傘、2本で10ドル。お店の人が大きい傘の方がいいわよ、というが、明日帰国するのにそれは持ち帰れないからと辞退。激しい雨の中、傘をさしてさらに歩いて銀行に到着。いくつかの用事を済ますが、やたらに丁寧なお兄ちゃんで手続きに1時間くらいかかる。雨に濡れた服で体が冷えていく。郵便局ともう一軒の銀行はさっさと諦めて、途中で暖かいランチでもと外に出たら暴風雨。傘なんかさせる状態じゃないし、フードもびしょ濡れ。とにかく早くホテルに帰ろうということになりタクシーを探すが、全然走っていない。近所の洋服屋さんに雨宿りがてら飛び込んで、携帯でウーバーで帰れないか調べる。なんと1分で行きますという表示。助かる。ウーバーのドライバーも超親切で、ホテルの真ん前までつけてくれて助かった。それでも二人ともずぶ濡れ。服を着替えてベッドに潜り込むが、冷え性の私はホッカイロを使っても体が温まらない。さっさとシャワーを浴びたほうがいいということになり、熱いシャワーを浴びてようやくホッとする。次はランチの心配。とてもじゃないけど外出できない。ルームサービスもヘビーなものばかりで気が進まない。日本から持参してきている非常食のおにぎりをロビーのホットウォーターで15分。これ、結構美味しいのです。お昼食べたらもちろんお昼寝。夏樹は昼間、本当によく眠れる。それだけ疲れているということなんだろう。眠れるときは眠る。私は携帯で音楽かけてちょっとリラックスできたら少し眠れた。目が覚めたら、明日のフライトのオンラインチェックイン。そしてメール仕事。来年5月のヨーロッパツアーの準備に追われている。
5時になると天気予報通りにいつの間にか青空が。6時前に夕飯のテイクアウト。夏樹が一人で買いに行ってくれる。キムチチャーハンとブルゴキ丼。今回は朝食から夕食までお世話になっている近所のデリに最終日の夕飯までお世話になった。とてもおいしかった。今日はさっさと10時半に就寝。
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12月14日(木)
朝はもちろん4時過ぎ起床。昨晩は12時近かったから4時間くらいしか寝ていないが、睡眠薬での4時間はぐっすりでスッキリしている。これって良いのか悪いのか。夏樹は昨日腹痛で疲れたせいかまだ眠っている。6時近くに起き出して、近所のデリに朝食に。私はヨーグルトとイングリッシュマフィンに卵、チーズ、ソーセージを挟んだずっしりと重たいサンドウィッチ。夏樹はフレンチトースト。テイクアウトしてきて狭い部屋でいただく。アメリカは物価高騰が続いている。円安だから円に換算すると驚愕するが、換算しなくても数年前の値段よりは遥かに高くなっている。
朝食後、夏樹は爆睡。とにかく暇があれば休むのが正解。私はパソコン開いて、メールの確認やらこれからの仕事の準備やら.
10:30頃東京から来ているブンチンさんと佳乃さんより連絡があり、一緒にランチという約束をする。12時頃にチェルシーマーケットで待ち合わせをする。今日は風が弱いのでホテルから歩いて行くことにする。病み上がりの夏樹が心配だが、今日は腹痛もおさまった様子。
チェルシーマーケットは私たちが以前定宿としていた14丁目と9th Avenueのアパートメントホテルのすぐ近くにできた大規模開発の今風マーケット。2001年のアメリカ同時多発テロ時にこのアパートメントホテルに泊まっていた私たちは、そこの窓からワールドトレードセンターの様子を直接見た。その頃は寂しいエリアで怪しいバーや売春婦が立っていて、夜帰る時は結構ドキドキしたものだが、今や超オシャレなエリアでグッチとかのブランドショップやアップルストアがある。再開発で生まれ変わったエリアだ。その頃は毎年2回くらいはこのアパートに泊まっていたので懐かしい。
チェルシーマーケットで行きたいレストランが見つからずにビレッジまで南下して飛び込みでいい感じのレストランに行く。夏樹はハンバーガー、私は地味に好物のマカロニチーズ。1986年バークリー音楽院在学時に入院して扁桃腺の手術をした。日本でいえば、おかゆに当たるのがこのマカロニチーズで、これが手術後食事が取れるようになって最初にいただいた時は、うれしかったしおいしかった。今でも大好きだ。食後は夏樹の体調が心配でタクシーでホテルに戻る。
ホテルでのんびりと過ごしたら、今夜はストーンにいくえさんの2夜目のコンサートに行ける感じまで体力回復してきたので、二人で途中に夕食取るタイミングで地下鉄で出発。ストーン近くにある地中海、中東レストランに飛び込む。私はなぜかノルウェイサーモン(地中海に鮭はいないでしょう!)の炭火焼き、夏樹はラムのキョフテ(ハンバーグ、昼もハンバーガーでしたが….)を注文。店はほとんどその地域の国から来ている方達でいっぱいだから美味しいに違いない!
ピタパンのようなパンとオリーブと出てきた料理、全てとてもおいしかった。
ストーンの今夜は、サックスのロッテ・アンカー、ピアノのクレイグ・テイボーン、ドラムのチェス・スミスにいくえさんというこれまたオールスターバンド。客席にはニューヨークのこの手の音楽には必ずきているお客さんたちに混じり、先日ダウンタウン・ミュージック・ギャラリーでダリウス・ジョーンズと演奏していたカナダのドラム、ニック・フレーザーもきている。巻上さんとか佳乃さんもいて、若い人もちらほらいるのが嬉しいかぎり。演奏はもちろん、息をもつかせない濃い内容。楽しみました。
終演後は近くのバーレストランで数人でまったりしてから、地下鉄でホテルに。メトロカード、気づかない間に使い切っていて、改札通れない私たちにロッテが自分のカードで通してくれた。全く知らなかったが、巻上さんと文子さん情報で自分のクレカやスマホを登録してタッチすれば改札で使えるという話。ありがたい情報でした。明日やります。
ホテルに戻ってからまたまた薬を飲んでぐっすり。
12月15日(金)
朝はやっぱり早く起きる。まあ高齢者だから仕方ないだろう。アメリカについてちょうど1週間、時差ボケが抜ける頃なのか、やたらに眠たい。でも眠れない。6時過ぎに今日は同じエッセンというデリで二人ともアーモンドクロワッサンにハッシュブラウン(ジャガイモ焼いたもの)チーズオムレツ、ポークソーセージ、オレンジジュースとコーヒーで朝食。食べられる時にしっかり食べるのがツアーの鉄則だが、日頃朝は軽くしか食べない習慣なのでこのメニューは結構大変。部屋に戻り、溜まったメールや来年1月のアリスター・スペンスとの日本ツアー、2月末からのThis is It!の日本ツアー、4月のKAZE & モリイクエの日本ツアー、5月のヨーロッパツアーの準備に追われる。それにしてもたくさん仕事入れちゃったもんだ。半年間で自宅に戻れるのは2、3週間になりそうだ。深く反省。でも、誘われたりするとうれしくて受けてしまう。ミュージシャンってそういう人種だと思う。
今日はイクエさんの3夜目。私と夏樹が出演する。共演する予定だったトロンボーンのジム・ステイリーは抜歯とかでキャンセル、ビリー・マーチンは体調不良でキャンセル。結局トリオということになった。
サウンドチェック前にいくえさんに誘っていただいて、巻上さん、あやちゃん、ロッテも一緒に大戸屋に。日本の大戸屋よりずっと美味しい。私も夏樹も鶏の黒酢あんかけ。日本の同じメニューより量も値段も2倍くらい?今日も昼抜きだったけれど、あまり痩せた気配はない。
ストーンまで歩いて向かう。都会は東京もそうだが、とにかく歩く。会場で、夏樹がドラムセットを見つけて、バスドラとフロアタムをセット。やたらにうれしそう。会場は大入盛況で、ほぼオンタイムで存分に楽しみました。最後は客席にいた巻上さんも呼び入れて4人で。良い夜でした。
ほぼ薬中で、今夜も睡眠薬きめました。
12月16日(土)
今日はオフ。移動もなくオフの日もあるという通常のツアーよりはるかに楽な日程だが、とにかく慎重に行動。朝ごはんはいつものエッセンと思って出かけたら土日はお休み。仕方なくお隣のスターバックスでハムチーズクロワッサンを買ってきて部屋でいただく。なかなか美味しいです。昨日くらいから寒さがちょっと緩んで外出も少し楽になってきた。まあ、この時期のニューヨーク、雪が降らないだけありがたい。
今日は昼もしっかり食べようと、googlemapで近隣のベトナムレストランに繰り出す。街中多くの人が出ていて、レストランも待ち状態。10分ほどでテーブルに案内され、私はフォー・ガ(鶏のフォー)夏樹はエビと春巻きのブン(バーミッチェリ、春雨のサラダ)。フォーはあっさりしていて化学調味料の味もしなくて美味しかったが、ブンはイマイチ。食後はまたホテルに戻り昼寝。と予定したが、私は全く眠れない。自律神経のバランスが良くないのかもしれない。
夕食は早めに佳乃さん達と懐かしい中華お粥やさんに話していたが、どうもコロナが蔓延し始めている様子なので、やめて大人しく巻上さん達と朝食したデリに行き、ハンバーガーをテイクアウト。ホテルでいただく。きちんと作っているので、結構美味しい。
食後、ストーンに巻上さん、ネッド・ローゼンバーグとイクエさんのトリオを聴きに行く。どの音が誰から聞こえてくるのかわからない心地よさ。完璧なブレンドのサウンドを楽しみ。帰りは同方向のロッテと一緒に地下鉄で帰る。
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12月12日(火)
朝9時頃にみんなで近くのカフェに繰り出して朝食。そういえば、昨日はランチ食べずに録音していたけど、今日もそんなスケジュールになりそうなので、朝からしっかりいただく。
部屋に戻り荷物まとめてスタジオに。あと3曲録音すれば終了。そのうち1曲はジョーとワダダのデュオだから、私が参加するのは2曲だけ。でも残っているこの2曲が長くて難しい。11時過ぎから録音開始して3時前には無事に終了。これなら、マンハッタンまで急いで帰れば今夜の夏樹のダウンタウン・ミュージック・ギャラリーのコンサートに間に合いそう。ジョーに来るまで送ってもらうよりは、ニューヘヴンの駅からメトロノース鉄道でグランドセントラルに行った方が早そう。ジョーに駅まで送ってもらい電車に飛び乗る。夏樹とメッセンジャーで地下鉄の接続とか確認し合い、私はグランドセントラルから地下鉄6番でブルックリンブリッジ、シティーホールに夏樹はSoHoのホテルから徒歩で会場に向かう。今夜は夏樹のソロのほか、コペンハーゲンから来ているロッテ・アンカーや日本からの琵琶の佳乃さんも加わり特別なセッションとなった。で、演奏終わってから、朝食以来何も食べてないことに気がついて、近所の小さなレストランに飛び込む。私はステーキ、夏樹は日本のトンカツをいただく。結構美味しくて、夏樹なんか完食。食後また会場に戻り、この晩の最後のセット、ダリウス・ジョーンズとニック・フレーザーのセットまでしっかり聞いた。ダリウスもニックもカナダツアーで何回か会ったりしている。
終演後はウーバー呼んで、こちらのホテルまで佳乃さんとぶんちんさんも一緒に。ロビーでお茶なんか飲んだりして、彼らはチェルシーの宿泊しているホテルまで歩くという。いつも山歩きしているのでなんでもないと言って、そこでバイバイ。私は長い1日だった。
12月13日(水)
今日まで同じホテルの別の部屋に泊まっている巻上公一さんご夫妻と近所でデリで朝食。色々と話がつきない。私たちは今日、久しぶりに親しいエンジニア、マイク・マルシアーノに夏樹とのデュオを録音してもらうので、いつまで話してもいられずに部屋に戻る。日本から来ているブンチンと佳乃さんもレコーディングに興味があるということなので、一緒に行くことになる。スタジオはかつてはブルックリンのSystems Twoだったが、今はそこは手放していてアストリアにあるサムライホテル。名前はすごいですが、素晴らしいスタジオ。ピアノは1900年代初めのアンティーク・スタインウェイをこだわりのオーバーホールでため息が出るような音色。その上、部屋の鳴りがいいので演奏がとてつもなく楽。夏樹はブースだが、そこのなりもいいらしくて、二人とも気持ちよく演奏。5曲くらい気分よく録音後、ちょっと水飲んでさらに3曲やったら、夏樹がちょっとタイムという。トイレ休憩がやたらに長い。心配になった途中で声をかけに行ったら、お腹が痛いらしい。ゲーーーー!!彼はコロナ回復して後遺症もなく、さらに数日置いてからこちらに来たので、何も心配していなかったが、もしかしたら前日のトンカツ完食がひびいたのかもしれない。焦らせてもいけないから、ゆっくりと休んでもらって、ピアノソロで一曲録音。でも心配で気もそぞろ。録音は70分くらいあるので、今日は帰って休んだほうが良さそうと思い、マイクにバイバイして、ウーバーでSoHoまで。夏樹は結構疲れている風で心配だ。ホテルに戻り、私もちょっと疲れて二人でうとうととする。今日からストーンでいくえさんのウィークなのでぜひ行きたかったが、夏樹が心配で諦める。とはいえ、今日もランチ抜きなので、近所のうどん屋「RAKU」であっさりうどんをいただく。ここはかつて超おいしい「KURA」という寿司屋をやっていた伝説の寿司屋さんの監修だけあって、日本でもないくらいおいしいうどんが食べられる。今日はラッキーなことにちょうどキャンセルがあって、待たずにテーブルに案内された。夏樹の腹痛もおさまって、うどんも食べられて、まずはほっとして部屋に戻る。
旅先で体調崩すのは何よりも怖い。
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12月11日(月)
今日から私だけ一泊でコネチカット州のニューヘヴンにレコーディングに行く。共演者のベーシスト、ジョー・フォンダのスペシャルプロジェクトで、彼のメンターでもあるトランペットのワダダ・レオ・スミスとイタリアからドラムのティツィアーノ・トノーニとジョーと私の4人のカルテット。ジョーはこの録音のために新曲を書き下ろし、イタリアでレーベルをやっているファブリツィーオのサポートでプロジェクトを実現させた。ワダダは私も2枚アルバムで演奏していただいているが、その説得力のある音の力にいつも圧倒される。朝9時にハーレムよりも北にあるワシントンハイツのジョーのアパートまで地下鉄で行き、そこからジョーの車に同乗して2時間弱のニューヘヴンまで。雨だが、そんなに寒くなくて助かる。
ジョーとは1年ぶり。車中で話が弾む。ニューヘヴンにあるスタジオ、Firehouse 12は夢のような場所だ。AスタジオとBスタジオがあり、Aはかつて消防署だった建物を改造して地下にコンサートもできるスタジオ、2階3階は豪華なホテルのような作りになっていて、そこに宿泊できる。今回の録音はBスタジオ。Aから歩いて数分のところにある巨大なスタジオ。ありとあらゆる楽器が揃っていて、ドラムがそれぞれ全てのサイズ揃っているという驚愕のスタジオ。ワダダがニューヘヴン在住なので、ここのスタジオでの録音となった。イタリアからドラムのティツィアーノとファブリツィーオが昨晩着いていて、まずはお話が弾む。なんてったってイタリアですから。
セッティングしていると、ワダダが登場。14ヶ月前に私の100枚目のアルバムに参加していただいて以来。82歳になってもその艶やかで強い音色は衰えることがない。彼の提案で、セクションごとに録音という方法をとる。ワダダは今やアメリカヨーロッパでは歴史的なミュージシャン、まさにレジェンドだが、日本ではフリージャズの人、くらいにしか認識されていなくてとても残念だ。人間もものすごく暖かくて、一緒にいるだけで幸せになれる気がする。ジョーの曲、彼とのデュオのプロジェクトは全て即興での演奏なので、今回初めて演奏したが、およびもつかないアプローチで、とても勉強になった。数時間録音して、残りの曲は明日にまわす。細切れに録音しているので、いつにも増して全貌が掴みづらいが、プレイバック聞いてみると素晴らしい。このプロジェクトに誘っていただいて、本当にうれしい。
セッション終了後ワダダは自宅に、私たちはAスタジオの上の宿泊できる部屋に。エンジニアでオーナーのニックのセンスが細かいところまで生かされていて、本当に素晴らしい部屋。いつか、こんなところに住めたらいいなぁ。
みんなで夕食に繰り出す。近所にあるインディアン・レストラン。とても辛くて、とてもおいしかった。
部屋に戻り、暖房を強くしてみるが、何せすごい高い天井でなかなか温まらない。持参したホッカイロを湯たんぽ替わりに布団に入れて休みました。
photo by David Appuzo
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12月10日(日)
昨晩は12時過ぎに休んだが、寝る前から目覚ましを朝7:30にセットする夏樹は、寝ることに半端なくやる気。私は5時過ぎに目が覚めて荷物整理したり、今日のバス乗り場の場所確認したり。7:30のアラームで夏樹がようやく起床。本当によく寝る。二人とも高齢者だから、無理は禁物。とにかく健康第一。朝食後に部屋で11時のチェックアウトまで荷物整理、今日の移動の目的地までの確認をする。12:15のバスでニューヨークまでだが、バス停には屋台しかないだろうから、昨日のテイクアウトのおこわを部屋で電子レンジにかけていただく。結構美味しいじゃないですか!11時にチェックアウト、ホテルのロービーで車(ウーバー)の手配。最近はいつも使っているskyberryというルーターとiPhoneにTraveSimというのをデュアルsimで入れて、海外でもネットに繋げられるようにしている。これさえあれば、ウーバーが使える。タクシーが信用できそうもない場所では助かる。呼んだウーバーはテスラだった。初めて乗るテスラ、割と普通で残念でした。事前に安く買ったメガバス乗り場に。ニューヨークまで3時間ちょっと。もちろん爆睡。ニューヨークで下車してから、ホテルまでウーバーを手配。雨の中、摩天楼のせいでGPSがうまくワークしないのか、場所を変えてようやく成功。トヨタカムリでSOHOのホテルに。今回はここで9泊。もはや自宅みたいなもんです。フィラデルフィアのホテルに比べたらずっと狭いしバスタブもないけどマンハッタンのホテルにしてはまあいいんじゃないでしょうか?荷物整理してから夕食に繰り出す。近くにうどん屋さんの「らく」があるじゃないですか?!イーストヴィレッジから始まったこのうどん屋さん、今や人気でここSOHOのほか、トロントにもお店を出したようだ。すっかりうどん気分になる。途中、地下鉄駅によってメトロカードを買ってから「らく」に行ったらすごい行列。45分待ちとか言われて、すぐに諦めその並びの地中海料理屋さんに。私はエビのケバブ、夏樹はラムをいただいた。どちらも美味しくて、完食。帰りに近所のトレーダージョーで朝のパンをゲットしてホテルに戻る。
ホテルで明日からの予定を確認してから、今日もお薬を頼りにおやすみなさい。
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12月9日(土)
昨晩寝たのは12時近かったが、もちろん6時前には目が覚める。それでも薬のおかげでぐっすり眠れて快適だ。6時半過ぎに朝食会場に行くが、7時からだったのでロビーの売店見たりぶらぶら。開店と同時に朝食会場に。今日の午前中は朝9時から11時まで2時間インタービューがある。静かでないといけないからホテルの部屋で3時間と頼まれたのを、2時間にしてもらう。部屋がスイートで広くて良かった。これなら私がインタビュー受けてても夏樹が寝ていられる。9時にロビーに降りていくと、なんとロビーの一角にある部屋に評論家のケンがもうセッティングしていて、急遽部屋ではなくそこでのインタビューとなった。私がおしゃべりなせいもあるが、質問がどれも面白く、そしてケンが私の音楽の理解者なので、結局3時間の長尺インタビューになった。彼は実はお医者さんで、99歳でいまだ現役のマーシャル・アレンの主治医だと聞く。部屋に戻ると夏樹は起きたばかり。Googleマップで見つけた近くの飲茶屋さんに繰り出す。つい、日本の量を想定してのオーダーで食べきれない量がテーブルに並ぶ。豆苗炒めを頼んだら、8人分くらいの豆苗炒めが登場。野菜不足が一気に解消でありがたい。ほとんど食べられなかった、おこわと豆苗をテイクアウト。量が多いからみんなテイクアウトしている。最初からもうちょっと少なくすればいいのにと思うが、ま、2食分3食分と思えば家でも楽かもしれない。
部屋に戻り昼寝。昨晩到着してから夏樹は食べる以外はずっと寝ている。16:30に起き出して演奏に行く用意。初めて演奏する場所だが、ホテルから徒歩15分だし、今の所そんなに冷え込んでいないから運動不足解消もかねて歩いていくことにする。起きているわずかな時間にメールの溜まった返事をやってから、会場に向かう。ここはペンシルバニア大学のすぐ近くで、歩いているのはほぼ学生ばかり。今夜の会場は教会。主催者のアンディーに会い、会場で音を出してみる。天井がとんでもなく高いせいもあり素晴らしい音響だ。1分に三音も出せば余韻だけで音楽が作れそう。場所決めしたら、夕飯に繰り出す。アンディーおすすめの近所の中華。昼も中華だったが、まあいいか。少なめに注文しても食べきれずに無理せずに残す。
会場に戻るとニューイングランド音楽院時代の同窓生二人が来ていた。一人はポール・ブレイの同門。話が尽きない。何せ28年ぶりだ。
今夜は最初のセットはこの教会のパイプオルガンでの即興演奏。Jesse Kudlerのユニークなパイプオルガンのアプローチが新鮮だった。
コロナ罹患後、しっかり準備する間もなかったのに、そこは流石の田村さん。小一時間の完全即興。畳み掛けるように、また十分な間を持って、空間を時間を空気を昇華させていく。あっという間の1時間、心から演奏を楽しめた。
終演後も友人たちと話が盛り上がり、ホテルに戻ったのは11時過ぎ。明日は格安バスのメガバスでニューヨークに移動。解いた荷をまた詰め直し、旅から旅の人生です。
今夜も睡眠導入剤のお世話になりぐっすりと休む
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12月8日(金)
今年は11月12月と怒涛のスケジュール、実は10月はブラジルの予定だったのがドタキャンだった。ブラジル行ってたら、さらにとんでもなく大変だったと思う。今時のヨーロッパの航路と陸路のカオスでヨーロッパの旅はさらに大変になっているし、11月はフランスでスリにあったり、帰国してから盗まれたIDやクレジットカードの再発行、夏樹がコロナ罹患したりでもう何が何だか。とにかく今日無事にアメリカに出発できたのがラッキーという感じだ。
18:25の羽田からのフライトなので、ゆっくりできて助かる。あの成田闘争は一体なんだったんだと思うくらい羽田の国際便が増えて楽になった。ランチは近所のタイレストランでパッタイ。2時過ぎにタクシーで駅に。地下鉄と京急で羽田空港第3ターミナル。昨晩から何回試してもできなかったラインチェックインは午前中にユナイテッド航空に電話して比較的楽そうな席に変えてもらっているから、のんびりとチェックイン。今日はシカゴ経由でフィラデルフィアまで飛ぶ。最近はいつ行っても混んでいるラウンジで、縁起物の蕎麦を食べてゲートに。その間宅急便からのメールで留守中に届く荷物の配達日の調整。ヤマトのコールセンター、混んでいると「後ほどおかけ直しください」と切られてしまう。これは、ひどい。何回も電話してようやくつながり事情を話してアレンジを頼んだのに、コールバックしてきたドライバーには全然話が通じていない。日本はどんどんアメリカみたいになっている。アメリカに住んでいた頃は、日本はなんでもことが楽に進むと思っていたが、最近はどちらも同じよう。
搭乗したら最近には珍しくガラガラ、席が半分以上空いている。おかげでとても楽に過ごせた。ビジネスクラスでツアーできたら、きっとすごく楽なんだろう。エアラインも年々世知辛くなっていル。昔はエコノミーがいっぱいだったりすると頻繁に利用している乗客をビジネスクラスに回してくれたりしたものだが、今はそんなことは絶対起きない。その昔は飛べばどのクラスでもしっかりマイレージがついたのが、今時は同じエコノミーでも安いチケットにはわずかなマイレージしかつかない。オンラインチェックインができる24時間前から、出口席のような有料席も無料になるエアラインもあるが、ユナイテッドは有料のまま。
最近はヨーロッパに行く方が多いからすっかり忘れていたが、アメリカのエアラインは室温設定は寒いし、食事はとてもじゃないが、美味しいとは言えない。そういえば、先月のトルコ航空は美味しかった。飲み物に氷を入れまくるのもアメリカのエアライン。
ヨーロッパまでロシア上空が飛べないせいで時間がかかるようになった分、シカゴまでの11時間は短いように感じた。諦めの11時間。体力温存に頑張る。
シカゴ到着、ここで入国と税関通過後に再度スーツケースを預けて別のターミナルに移動後、フィラデルフィアまでの国内便に乗る。順調にゲート前のラウンジに到着。フィラデルフィアのホテルに着くのは遅いし、ユナイテッドの国内便に食事なんか出るわけないから、ラウンジで軽く食べる。搭乗5分前にゲートに。この便はやっぱり満席でした。爆睡後約2時間でフィラデルフィアに。スーツケースピックアップしてタクシーで主催者が予約してくれたホテルに。大きなダイニングキッチンが別に一部屋あるスイート。久々の素晴らしいホテル。部屋の温度設定も簡単にできるし、バスタブついているし、清潔で広くて、人生を楽にしていれる。ここで2泊なので、荷物整理して明日の仕事の準備もして、しっかり睡眠薬を決めておやすみなさい。
シカゴのエアポートラウンジ働くロボット
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11/23(木)11/24(金)
さあ、いよいよ帰国だ。朝7時に1階の朝食会場に。朝一番で出発する祐子さんとご一緒する。なんと美味しいバゲット食べていたら、奥歯の詰め物が取れる。悪いことはみんなわたしに起きるのです!帰国してもまずはすられた財布に入っていた保険証の再発行をしないと歯医者さんにも行けない。主治医の歯医者さんは神戸の自宅近くだが、神戸に戻れるのは年末という又旅人生。どこかで応急手当てをお願いするしかない。
祐子さんとの話は尽きないが、彼女はストラスブールに帰る電車の時間。私たちは部屋に戻り荷物の再チェック、11時にチェックアウトでホテルに荷物を預けて、近所の市場に出かける。12時にピーターが迎えにきてくれるから、それまで市場フラフラして早めのお昼をラーメン屋さんでいただく。このラーメン屋さんの噂はクリスチャンからきいていた。東京で修行したストラスブール出身のご主人と東京出身の奥さんが3週間前から始めた鶏ガラのラーメン。美味しかったです。煮卵も絶妙な半熟で美味しいし、手作りチャーシューも、柔らかい筍のようなシナチク、もやしも麺もそしてちょっとピリ辛のスープも海外で食べるラーメンとは思えないレベルでした。ただ、ちょっとスープがぬるめ。奥さんの説明によれば、フランス人は熱いのが苦手だから熱くできないと。まあ、私も猫舌なので、食べやすいといえば確かに食べやすい。この辺りの地名が「ガンベッタ」と言うのだが、それにかけて店名は「ガンバッテ」。なんとお話ししたら以前の職業はイベントプランナーで、今でもリールのラジオで音楽番組やっているらしい。すぐにピーターとクリスチャンにメールして、ラーメン報告とKAZEのCD持ってきて渡してね、と伝える。クリスチャンは前日にここのラーメン食べてて、美味しかったけど、十分に熱くなくてそれだけが残念だったと。やっぱりフランス人相手でももう少し熱い方がいいんじゃないでしょうか?
12時のピーターの迎えでリールフランドル駅に。今回ギリギリで間に合うはずのKAZEの新譜のCDがまだ届かないのが残念だったが、来年のツアーを約束してバイバイ。直通のTGVでパリのシャルル・ド・ゴール空港に。まだまだチェックインカウンターは開かないので、ベンチでメール送受信していたら、KAZEの新譜が今届いたと、ピーターから。残念でした。
さて、これから長旅。パリからイスタンブール経由で羽田まで。たまには直行便で飛んでみたいものだ。フライトはどちらも遅れずにそれは助かった。今回はルートが違ったので別々の予約のために夏樹と私は席が遠かったが、まあ寝ているか映画見ているかだからそれでも大丈夫。帰りの飛行機はランボルギーニの映画とプレスリーのマネージャーを主役に置いた映画が面白かった。スーパーカーのランボルギーニはトラクター作っている会社だったとか全く知らなかったし、プレスリーのかっこよさは同時代で体験していないだけに新鮮だった。
今回のツアー、財布紛失で帰国後もID再発行手続きに忙しくなる尻尾までついちゃいました。でも、二人とも元気に演奏にも満足に帰国できて、録音も2つもできてハッピーエンドです!
お世話になった皆さん、心配してくださったみなさんに改めて、どうもありがとうございました!
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11/21(火)
私はもうヨーロッパについてから1週間以上経つから、多分時差ぼけはなおっているはずなのに、睡眠導入剤を使ったせいか、一晩中悪夢にうなされた。これは、もう飲むなということだなぁと。
今日は夜、夏樹がリールのミュージシャン、クロードとデュオライブ。ピーターの自宅でのハウスコンサート。ピーターは2年ほど前に大きな家に引っ越して、リビングでコンサートができるほど。リールからは地下鉄で40分くらいかかるが、まあ郊外のベッドタウンという感じか。17:45に彼が迎えに来るというので、昼間は旧市街まで散歩に行ってみようとこれまた片道2キロほど歩く。旧市街の有名菓子店『メール』でお土産にゴーフルを買い、ホテルに戻る途中でとても清潔で明るい寿司屋さんに入る。1階で注文して2階で食べるシステム。「eat Sushi」という巻物中心のお店、海外寿司屋さんとしては悪くなかった。ブラブラとホテルに戻る。
17:45のピーターの迎えでピーター宅に、道路は帰宅ラッシュで渋滞。ようやく着いて、半年ぶりに奥さんのリンダと再会。今、フランスではご自宅コンサートが増えているそうだ。彼らも引っ越してきて日が浅いので、コンサートに近所の人を招いて親しくなりたいということでの開催。共演者のクロウドさんも到着。夏樹とのデュオはこれが3回目。二人とも元々の楽器はトランペットとトロンボーンだが、実に自由に楽しそうにおもちゃやパーカッションを使う。遊び心満載で、こちらまで楽しくなる。実はこの遊び心って、かなり難しい。やろうと思ってできることじゃない。脱力した表現なんか達人でなければ無理。私には欠如している部分で、ひたすらうらやましい。まずはピーターが作ったボロネーズスパゲッテイーでディナー。仕事じゃない私はワインをいただく。気がつくと、15人を超える人たちが来ていて、ピーターのご両親も共演者のクリスチャンも来てくれた。ワンセットだけのコンサート、こんな音楽初めてというご近所の方たちも、うれしそう楽しそうに聴いていて、いつもの閉ざされた好きな人だけ集まる空間とは全く違う空気が新鮮で気持ちよかった。こんなふうに身近に自然に即興やアヴァンギャルドに触れられる環境づくりはとても大切なことだと思う。ラジオとテレビから流れてくる音楽だけしか知らないよりは絶対豊かな人生になると思う。もちろん、好き嫌いはあるとは思うが。終演後、談笑してから、クリスチャンと一緒に地下鉄でホテルに戻る。彼の家はホテルのすぐ近くだから、帰り道は一緒。半年ぶりだけど、先週会ったみたいな気分で話がはずむ。彼は何回もお財布を無くしていて、私の今回のスリの話にやたらに共感してくれた。でも、リヨンでスリは珍しいねぇ。って。パリやリールだったらよくあるけど。実は、今回のスリでの財布紛失に気がついた時、一番にクリスチャンのことを思い出した。「僕は、だってみんなのことを信用してるんだよね」
今夜はお薬なし、シラフで就寝。
11/22(水)
何回も目が覚めて寝たのかどうかわからない目覚め。お薬卒業時はこんな感じです。今日は大島祐子さんがストラスブールからリールにきて、KAZEのゲストとして長唄+パーカッションでの即興。夜の公演だけでなく、昼は3時から地元の高校生対象のワークショップもある。
昼前ごろに近所にランチと出かけたところに、祐子さんからメッセージが届く。12時半くらいに着くからお昼を一緒にということで、一旦ホテルに戻って待つことにする。駅にはクリスチャンが6歳になる息子と迎えに行っている。祐子さん到着後、3人で近所のベトナムレストランでランチ。私はフォー、夏樹と祐子さんはブン(春雨ヌードルの具沢山サラダ)。どれも美味しかった。ホテルに戻り、すぐにクリスチャンの迎えで会場のマルテリーに。ピーターがもうステージセッティングしてくれていて、程なく30人ほど高校生たちも先生の引率で到着。まずは30分ほど即興で演奏。祐子さんは古典の「勧進帳」、こちらはホゲホゲ即興。なぜか合う。演奏後、質疑応答。フランス語だが、まあ見当はつく。祐子さんが隣に来て訳してくれる。英語で話しても大丈夫ですと先生が言うので英語で話していたが、やはり学生さん、フランス語の方が楽そう。音楽学校の学生で、技術的なことも含めて熱心な質問が続く。どうも先生は基礎ができて初めて、こういう自由な表現に到達するのです、と言うところに帰着したいみたい。たまたま私たちがクラシックのバックグラウンドがあったから、先生も安心のご様子。終了後に話しかけてきた男生徒、日本語べらべらのリール育ち。ご両親は日本人で、本人は指揮者を目指しているとのこと。祐子さんが歌った「勧進帳」の話もよく知っていて、日本の歴史も勉強したとか。私よりずっと詳しい。
ワークショップ後、夜のコンサートまで時間があるのでホテルに戻る。暖かいホテルで助かる。会場のマルテリーは元々ビールの醸造所だったところで、窓もなくしんしんと冷え込んでくる。夜に備えてホッカイロ貼り付けて会場に。わずか徒歩10分なのに、毎回クリスチャンが車で送迎してくれてとても楽。会場2階のダイニングルームで食事。手作りのビーフの煮込み、マッシュドポテト、カボチャのポタージュ、デザートのパステリーまで全て美味しかった。食後は私たちが最初のセット、2セット目はここミュージックスのミュージシャンでもあるギタリスト二人の演奏。ベルギーからいつも駆けつけてくれるファンの方がお二人いて、いつものKAZEとは違う長唄とのコラボ、みんなとても楽しんでくれた。そして演奏者もみんなびっくりの出来!多くのお客さんに再演のリクエストまでいただいた。
終演後はマルテリーでビール。ここリールはフランスとはいえ、ベルギービール本場でもある。軽めに白ビールをいただく。明日のパリの空港までの電車の荷物券を別に購入しなくてはならないのを、ピーターにアレンジしてもらったり、何から何までお世話になり、クリスチャンの車でホテルまで送ってもらう。今夜もお薬なしです。
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11/19(日)
今日はパリでドラムのラモン・ロペスと3人で録音。このトリオはコロナ前にデビューアルバムMantleを発表している。モンパルナスのホテルからマラコフのスタジオまで3キロ弱。天気もいいし運動不足解消に歩いちゃおうということになり、早めにホテルを出る。日曜日なので、店は閉まっているが、あちこちに屋外マーケットが開いている。蚤の市を通り過ぎると、これは絶対盗品でしょうというのを歩道に布を広げて売っている。どこも賑わって多くの人が出ている。スリには神経質になっているのでカバンを抱えて足早に通過。マラコフにあるスタジオは素晴らしいコンディションのFazioliピアノと大きな部屋に大きめのブースがさらにふた部屋。ドラムとトランペットはそれぞれのブース、ピアノはメインルーム。Fazioliはあまり好きなピアノではないが、ここのは素晴らしいコンディションで音もよく鳴る。エンジニアとアシスタントが気持ちよく動いてくれて、11時過ぎから2時間ほどで、予定のほぼ半分の録音終了。午後1時に休憩がてらランチに出かける、マラコフのマーケットで賑わう道にすごい人気のレストランを見つけて3人で入る。ラモンはスペイン人だが、もうフランスに30年以上在住なのでフランス語が堪能。メニューの説明をしてくれる。テーブルがいっぱいで5分ほど待たされた。案内された店の奥のテーブルに向かう途中、多くの人がムール貝を食べている。ムール貝が旬のようだ。私はムール貝、ムール貝が苦手な夏樹はチキンのグリーンカレーを注文。店が混んでいるので、なかなか料理が出てこない。ようやく運ばれてきた料理はどちらも絶品だった。蒸し器いっぱいのムール貝、実はそんなに多くなくて全部いただいても腹八分目。幸せにスタジオに戻り、順調にあと2時間ほど録音。ラモンはノルマンジーの自宅に車で自分のドラムセットを積んで2時間半かけて帰る。私たちは、またまた歩いてホテルに。盗品地べた屋さん、蚤の市を通り、無事にホテルに着く。途中、水だけ買っていく。金額を英語で言えずに電卓に表示して説明。大都市パリですらこんな感じ。やっぱりフランス人は英語が苦手の人が多いようだ。今夜はホテルの前のタイレストランでパッタイとレッドカレー。まあまあでした。ホテルに戻りお薬飲んでおやすみなさい。
11/20(月)
今日はパリから電車でリールに移動。仕事は移動だけだから超気楽。11時頃にウーバーでパリの北駅に向かう。北駅周辺はあまり雰囲気良くないのはよく知っているので、まずはさっさと駅前のレストランに。ランチをここでいただく。夏樹はバーガー、私は大好物の鴨のコンフィ。これまた美味しかった!
道を渡って駅に行き、例によってモニター表示を待ち乗車。TGV(フランスの新幹線)、最近はホームの端に改札口を作っていて、そこでチケットをかざしていくのだが、モニターのトラック番号表示後に多くの人が荷物持っていくため改札口は大変なカオス。2等車の安い席はその改札口から一番遠い車両。こんなに電車が長いの?と思いつつまた運動不足解消。ようやく乗車する。2階席なので、重たいスーツケースを持って階段を登る。どうしてこんなに不便な仕組みなんだろう?小一時間でリールフランドル駅に到着。駅にはリールのミュージシャンアソシエーション、ミュージックスの事務をやっているアナイスが迎えにきてくれている。この団体のホスピタリティーが素晴らしい。KAZEというバンドで共演しているドラムのピーターがこの団体のディレクターをもう20年くらいやっている。彼の手腕なんだと思う。年々助成金が厳しく状況は悪くなる一方らしいが、一度も嫌な思いをしたことはない。まあ、ミュージシャン30人が参加して運営しているのだからそう簡単にいくわけはないが、この団体の強みは自らの会場を運営しているところにもあると思う。
この街には一体何回来ただろうか?30回近く来ているのでは?ホテルもいつも同じところで、なんかうちに帰ったような気分。チェックインしてくつろぐ。今日はあとの仕事は夕食だけ。ホテルの前にある美味しいフレンチに出かけたら、なんと3ヶ月前から食事はなくなりドリンクとつまみだけになったらしい。歩いてレストランが多くあるところに行って、今夜はインド料理にする。ラムのチリカレーとナスを潰したカレー。どちらも美味しかった。このインドレストランの近くに日本食レストランも数軒ある。「とよとみ」という名前の寿司屋は驚かないが、「しゅりけん」という寿司屋。よくこんな名前をつけたもんだと毎回驚く。
ホテルに戻り、お薬飲んで就寝。
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11/17(金)
朝ごはんをホテルでいただき、昼は近所の市場に繰り出す。3人であれでもないこれでもないと市場を徘徊。魚が素晴らしい。魚好きの私としては引っ越してきたいくらい。私はタコのマリネと小さなキッシュを買い、ホテルのロビーでみんなでワイワイといただく。どれも美味しくて幸せ。いつもミュージシャンやオーガナイザー、ホテルのフロントとかと話しているだけなので、フランスでも最近みんな英語話すと思っていたら、市場では英語はまず通じませんでした。よくフランス人は英語が話せるのにお高くて話さないとか思っている人もいるようだが、私が思うにフランス人は日本人並みに外国語が苦手。
夕方ホテルのロビーで待ち合わせてナントの会場、パノニカに。ホテルから徒歩ですぐ。ここではちょうど1年前に違うバンド、KAZE+モリイクエで来ている。サウンドチェック後に会場の上階にある楽屋で休む。楽屋隣にダイニングルームがあって、スタッフも一緒に夕食。主催者は昨年のコンサートは都合で不在だったが、数年前に彼がディレクターをしていた別の都市、フランスブレストの会場でKAZEをブックしてもらったこともあり、久しぶりの再会で会話も弾む。サーモンと温野菜いただいた後にたくさんのチーズが出てくる。あ〜、ワインが飲みたい!!が、すぐに酔っちゃう私はコンサート前は我慢我慢。
今回のTrio SANのデビューアルバムリリースツアーの今日が最終日。日本人女性3人のユニットというのが集客にプラスに働いたのか、この会場での以前のコンサートより多くの人に来ていただいた。演奏も満足の出来で、アンコールも3人でまた歌いまくっちゃった!
3人でホテルまで歩いて戻り、またまた薬きめておやすみなさい!
11/18(土)
今日はついにパリのホテルで夏樹に合流できる。いつも一緒にツアーしているので、二人とも単独行動は緊張の連続。私はナントからパリまで直通電車で2時間ちょっと、パリのモンパルナスの駅から徒歩15分くらいのところのホテルで、しかも駅から真っ直ぐの道なので、多分問題ない。夏樹はスイスのベルンから電車でチューリッヒの駅に、そこからパリまで飛んでタクシーでホテルまでの道のり。
私はナントを11時過ぎの電車で出るので、主催者がホテル10:15ピックアップのタクシーをアレンジしてくれた。その3時間くらい前に祐子さんと易子さんはそれぞれストラスブールとベルリンの自宅に向かった。そのタクシーがオンタイムだったから、心配していなかったのだが、私のタクシーが時間を過ぎても来ない。ホテルのフロントに相談して別のタクシーをアレンジしてもらう。もう10:30だった。別のタクシーは10分でくるというが、電車に乗り遅れたらと超不安。そこに余裕の表情で主催者のアレンジしたタクシーが登場。悪びれもなくトランクにスーツケースを入れてくれ、乗車したらクラシックのピアノ協奏曲が優雅に鳴り響いている。内心、まじか!間に合うのか?!と不安。駅には渋滞もなく着いて一安心。駅のモニターでまた出発ホームの知らせを待ち、乗客みんなで荷物を引きずりながらホームに。乗車して席に着く。普段だったら即座に爆睡なのだが、一人だから緊張。オンタイムでモンパルナスの駅到着、この駅が巨大。まずは駅の中を迷って右往左往。外は冷たい雨が土砂降り。Google mapを頼りにホテルまで、雨の中、コートのフードを被り向かう。広い道だし一本道だし、迷うことはないと思っていたのに、Googleさんが迷っている様子。右行け左行けと出される指示はどうも怪しい。その上ようやく到着したと思ったらホテルがない。え〜〜〜〜!!と思って道の反対側見たらそこにあった。チェックインして部屋に入り、途中で買ってきたクロワッサンで遅いランチ。
こんなに地理が苦手で、ユーラシア大陸の西の方にあるフランスの首都パリにいるというくらいの方向認識しかない私がスイスから飛んでくる夏樹と本当に会えるの??ホテルのwifiに繋いで、彼からの連絡を待つが、フライトの到着時間を過ぎても彼の電話がオンラインにならない。フライトを確認したら遅れてはいるようだが、バッゲージタッグがメールで送られてきたから、必ず搭乗はしているはず。ずいぶん時間が過ぎてもオンラインにならずにどんどん心配になる。skypeで電話しても「電源が入っていないか、電波の届かないところにいます」という。え〜〜〜〜!?どんどんどんどん心配になる。私は着陸した途端に携帯電話のフライトモードを切るタイプだが、田村さんはそんなことは気にもしない。散々待たされて心配しまくったところにメッセンジャーでタクシーに乗車したという知らせが入る。どうしてすぐに連絡してくれないのと、早速文句。空港から渋滞でパリのホテルまで1時間半かかってようやく到着。まずはホッとする。
再会を祝してディナーはホテル近所の怪しいフレンチ。夏樹はステーキ、私は謎の海鮮丼。ワインをちょっとだけ頂いて、またまた睡眠導入剤でぐっすり。
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11/16(木)
朝、夏樹に連絡。イスタンブールに無事到着していた。羽田からのフライトが1時間以上遅れたのでイスタンブールの乗り換えに広い空港の端から端まで走らされたらしい。若くないから大変。昨日スリにあったと報告したら、げ! と驚いて心配してくれている。が、一晩休んだらもうそんな事ありました?という驚異的な回復力に我ながらびっくり。
朝食してから、部屋で銀行にも念の為電話。あとはつい最近とったマイナカード。調べたら海外からかけられる電話番号がなく、海外で紛失したら日本の家族に頼んで連絡するようにとある。日本のいる両親は97歳と90歳。とてもじゃないけど負担になるから頼めない。高齢化少子化なんだから、ちょっと考えて欲しい。結局、チャットでオンライン中の親しい友人はいないか探したら、吉田達也さん。チャットで話しながら彼に電話をかけてもらった。いい人だ。お歳暮を送る約束をした。
ロビーで9時半に待ち合わせてから、タクシーで駅に。今日はトラベルデイで仕事はオフ。電車で4時間半、乗り換えなしだから気が楽。3人でお話ししているから1時間くらいに感じる。二人が持ってきてくれたサンドウィッチでランチ。途中車内アナウンス。フランス語だけだから祐子さんしか理解できない。なんでも急遽ナント行きが違う駅に向かうことになったとか。ヨーロッパの旅は飽きさせてくれない。まだ決定したわけではないから後からのアナウンスを待つようにと。まあ、今日はオフだから辿り着ければいいだけ。ただ、ナントの駅に迎えにきてくれる主催者に伝えないと。30分くらい様子見ていたら、やっぱりナントに向かいますという車内放送。日本だったら暴動だ!
ナント到着。ちょうど1年前に違うバンドで演奏している。ここに来るのは3回目くらい?車でホテルに送ってもらう。チェックインしてのんびりしてから食事に繰り出すことになる。ナントは海の近く。3回もきているのにそれも知らなかった私はかなりの問題児。フランスは毎年1、2回はきているのだし、フランス人とのバンドKAZEはもう13年くらい共演している。せめてフランスの地図を把握しなくてはと反省。ホテル近所の美味しそうなお店、みんなメニューの「いか」に心惹かれて、開店と同時に飛び込んだら、なんと予約で満席、数週間前から予約が必要な人気店。でも、他の美味しい2店を紹介してくれてそちらに向かう。通りからちょっと奥まったところにあり、レストラン初めて間もないせいか値段も安くテーブルも空いていたその店はこれまた超美味しかった。ふたりはジビエの小鳩、私はホタテをいただく、前菜のビーツのサラダがこれまた美味だしうつくしいし。閉店までおしゃべりが弾んでから、ホテルに戻る。こんな日はツアーでは滅多にない。まあ、しょっちゅうだったら大赤字だ。
今夜もしっかり薬で眠る。
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今日はストラスブールから次の公演地リヨンに移動。電車で乗り換えなし4時間の移動。駅前ホテルだからロータリーの向かいまで行けば電車に乗れる。駅で朝待ち合わせて電車に乗り込む。それにしてもヨーロッパの電車のシステムはどうにかならないものかといつも思う。モニターに出発ホームが直前に示されて、乗車する人たちが一斉に大きな荷物を持って歩いていく。難民気分だ。ホームで待っているとさらに直前に出発ホームが変更になることもしばしば。全く気が抜けない。そして、ホームでは自分の予約した号車がどこに着くのか右往左往。その上、提示された場所に電車が停車しない場合もしばしば。多くの電車はホームから2、3段のステップを大きな荷物もって車両に乗り込まなければならない。そして、荷物を置ける場所を見つけるのがまた苦労。車両端の荷物置き場は早く行かないといっぱいになっちゃう。ようやく予約席に落ち着き、日本人のおばさん3人(私以外のお二人はお姉さんです)で4時間ノンストッピングお話し。祐子さんは本当に話が面白い人で全く飽きることなくリヨンに到着。
リヨン駅からトラムでホテルまで移動。祐子さんがフランス語で切符の買い方を聞いて、切符をゲット。その切符は車内で刻印という仕組み。あとから乗ってきた10代の女の子が片言の英語で話しかける。ちゃんと刻印した?見せて?大丈夫?可愛い少女で、言葉が少しおかしいので障害があるのかな?と思いつつお話をしてた。彼女は私のすぐ左に立ち、窓の外を指差し、私はこれからあそこに行くの、とか、私の注意をそちらに引く。でも、まさか…だった。
トラムを降りてホテルに向かう。荷物をドロップして、ランチタイム過ぎたらすぐに閉まってしまうレストランに滑り込む。私は魚のスープをいただく。これは魚のポタージュという感じでブイヤベースとは全然違う。美味しく幸せな時間を過ごし、さあお勘定となって初めて財布がないことに気が付く。どう考えてもあのトラムで左側に下げていたショルダーのファスナーを開けてすられたとしか考えられない。かなり動転して、今度はさっきまで使っていたiPhoneがない気がして呼び出してもらったらポケットに入っていた。とにかく財布に入っていた現金は諦めるにしてもクレジットカードを止めないと。ホテルに戻りロビーでパソコン、iPhoneを使って日本のクレジット会社に電話。スカイプにチャージしてあったので、電話がかけられて本当に助かった。不正利用も見当たらないと言われて、まずはほっとする。あと何を財布に入れていたのか?日本の健康保険証と運転免許証とATMカード、それからインターネットバンキングのカードも。まあ、どれも海外で使うのはハードルが高そう。夏樹に連絡したくても彼は今、羽田からイスタンブールに向かう機上。別のところに入れていたパスポートとパスポートホルダーは無事。しかも有事の際にとパスポートホルダーに入れていた現金があって、なんとか乗り切れそうだ。4日後にパリで夏樹と落ち合うことになっていて、そうすれば彼のクレジットカードもあるから大丈夫。
リヨンのクラブ、ペレスコープまで3人で歩いていく。この辺りも結構やばそうな雰囲気。暗くなったらとてもじゃないけど歩きたくない。会場に着くと、写真家がいてリハーサルから撮影してくれた。彼曰く、私は以前リヨンに演奏に来ているらしい。全く記憶にない!リヨンは初めてだと思っていた。昨晩の会場よりも音響が良くて助かる。夕食は隣にあるこのオーガニゼーションのダイニングルームでベジタリアン。美味しかった。演奏も気持ちよく、アンコールはなんと3人で歌ってしまった!祐子さんは常磐津?私は民謡インプロ、易子さんは北海盆唄!終演後、そのせいなのかCDがよく売れた。
歩いてホテルにいくのが怖い私は会場にいたここで毎月インプロセッション企画しているアルトサックスのお兄さんにお願いして送っていってもらうことに。無事にホテルに着き部屋に入り、しばし呆然とする。海外で盗難に遭ったのはこれが3回目。最初はアメリカサンフランシスコで駐車場に停めたレンタカーのリアガラスをわられてスーツケースを持って行かれた。外からは見えないガラスだから大丈夫と思って、しかも受付の人がいる駐車場だからと駐車して演奏後に戻ってきたらやられていた。2回目はベルリンの空港のカフェで。フライト待ちながらメールしていた。カバンは体につけて置いていたし人はほとんどいなかった。気づいた時にはカバンごとなくなっていた。パスポート、財布、携帯電話、家の鍵、何もかも入っていたのでこの日は飛べなくて大変だった。まだベルリンに住んでいる時だったので自宅に戻って夏樹の鍵で家に入り、領事館に連絡して帰国だけできる旅券の代わりみたいなものを発行してもらった。そして、今回が3回目。まあ、でも怪我したわけではないし元気だし。
スリをしたあんなに若くて可愛い少女の将来の方が心配になる。彼女の輝かしい将来がこんなつまらないことに費やされるのはそれこそが悲劇だと思う。
到着してから毎晩服用している睡眠導入剤を飲んでゆっくり休む。
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11/14(火)
でやっぱり、お薬飲まなかったら、3時間ちょっとで目が覚めた。今から飲んだら朝のリハーサルに影響しそうなので、3時くらいに起き出してメール整理したり、スケジュール確認したり。6:30に朝食一番乗り。しっかりいただいて部屋に戻りまた一仕事。朝9時に昨晩ラモンに教えてもらった近所の電気屋さんにMacの充電ケーブルを探しに行く。ニューヨークの5番街にあるような怪しい店とは違い、素晴らしい製品が並んでいる。純正品もあるが、それよりも高いが充電スピードも早いし、アダプターもついているというケーブルをゲットする。これでもう大丈夫。
今日からTrio SANでのプチツアー。今夜のストラスブールでのJazzdorフェスティバルを皮切りにフランス内で3本の仕事。今月10日にリリースされたTrio SANのデビューアルバム「HIBIKI」のリリースツアーでもある。メンバーはストラスブール在住のドラムの大島祐子さん、ベルリン在住のvibraphoneの齊藤易子さん、それに日本在住の私。3人の別々の国に住む日本人ミュージシャン。リハーサルは地元の音楽大学で10時から。祐子さんが車で迎えに来てくれて、学校に。今年の1月に日本でツアーしているので、それなりに慣れている楽曲だが、より面白くならないかということも含めて練っていく。でも、ついつい話が弾んで時間が過ぎていってしまう。13時半まで一応全てリハーサルして、近所のフラムクッヒェン(これはドイツ語名)レストランに繰り出す。薄い生地に具が乗ったピザみたいなものだけど、ピザよりずっと軽い。この辺りの名物フード。いったレストランは伝統的なトッピングばかりでなく、かなりクリエイティブなものもあって、どれも美味しかった。一旦ホテルに戻り、部屋で一休み。フェスティバルの迎えで会場にいく。こういうところのドライバーは大抵ボランティアの音楽好きの人。話したらアメリカ人で、フランス人の彼氏がいたのでストラスブールに住んで、別れた後もそのまま住んでいるそうだ。マサチューセッツのアムハーストの人で、懐かしくて話が弾んだ。ジャズのスタンダード集、リアルブックや譜面をアメリカから持ち込んでフランスで売ったら十分生活費になったという話は面白かった。
久しぶりに演奏するJazzdorのフェスティバル、会場も以前とは違うところになり、レーベルも運営し始めたディレクターのフィリップはかなりのやり手。どこの国でもこういうことにはお金がかかる。日本やアメリカは行政のサポートが少ないから企業や個人の資金になるが、ヨーロッパはどこもその地域の都市の助成金で成立させている。まあ、助成金を取れるかどうかにかかっている。もちろん羨ましい部分もあるが、そのために奔走するのもなんだか嫌な気がする。もちろん、フェスティバルのようなオーガニゼーションには助成金申請する係の人がいる場合が多いようだ。会場に着いたら早速今夜の対バンのジェームス・ブランドン・ルイスのバンドにあう。ミュージシャン同士、初対面で旧知の仲になるという不思議な人種。会場でサウンドチェック。鳴りが難しい会場で、ピアノの鍵盤弾かずにペダル踏んだだけでハウリングが始まる。こういうところよくあるんです。私としては、正直なところ、会場が広くてもPAなしにしたいくらい。でもフレンドリーなPAエンジニアで助かる。私はいつもそうだが、モニターの返しは一切使わない。サウンドチェック後、夕食。フランスのオーガニゼーションは大抵手作りの料理が楽屋にある。フェスティバルで多くのミュージシャンがベジタリアンというのを考慮して、メニューはベジタリアン。流石にフランス。何もかも美味しかった。
無事に初日の公演終了。地元で家族や親戚も来ている祐子さんは緊張したみたいだが、満足の出来、聴衆にもオーガナイザーにも喜んでもらえた。
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By 藤井郷子
11/12(日)~11/13(月)
今年2回目のヨーロッパツアーは、日本出発がひとりという緊張のスタート。ひとりとふたりでは大きな違い。トイレに行くときに荷物見ていてもらえないし、モニターボードチェックする目は二人だったら四つだけど、一人だと半分の二つ。大きなスーツケース転がしてタクシーで地下鉄駅に、地下鉄乗り換えて羽田空港に。途中の乗り換えで数段だが階段しかなくて、高齢者には辛いところ。羽田空港は夜8時というのに東京駅並みのカオス。昨晩苦労してWeb check inしておいたので、短い列に並べたのはラッキーだった。チェックインカウンターでは紙のボーディングパスをもらえないので、携帯を始終出さなくてはいけない。保安検査、出国して、ラウンジ到着。ここもほぼ満席。しかも出発便のトルコ航空ゲートまで徒歩15分らしい。チェックインした時に遅れますという話だったのに、空港内のモニターボードにはどこにもそんな表示はない。ANAのラウンジで聞いても、「さあ、他のエアラインさんは…」共同運行なんですけど。早めにラウンジを出てゲートに。
ゲートではいつもびっくりする。飛行機はどうしてこんなにたくさんの人たちが乗って飛べるんだろう?飛行機も予想通りの満席。いつもは飛び立つ前にすでに爆睡するのに、緊張しているのか眠れない。飛行中13時間も映画3本見たから、3、4時間しか寝ていないかもしれない。普段はご飯以外は眠れる達人です。アマゾン創設者の映画とWierd Al Yankovicというパロディーミュージシャンのパロディー満載の自伝映画、そして1969年のSummer of Soul。普段は映画見ないので、映画の選び方も分からずにずっと選んで時間を費やすことが多い。最近は、ドキュメンタリーだったり事実に基づいた映画、音楽映画が好きということがわかり、そういうものばかりを選んでいる。どれも英語だったが、内容がシンプルで想像できるものだったから十分楽しめた。Summer of Soulでは当時の共和党のニューヨーク市長が出てきて、なるほど昔の共和党は今のそれとはだいぶ違うというのがよくわかった。出発も遅れたから、到着も遅れる。ゆっくりとイスタンブールの美味しいラウンジを楽しもうと思っていたが、行ってチャイだけ飲んで、ネットに繋げて携帯充電して、と思ったら、ここにはUSB差し込みがない。機内の差し込みもワークしていなかったから今日の到着までの携帯のバッテリー残量が心配。なんとヨーロッパの差し込みのアダプターはスーツケースの中というドジぶり!ラウンジでアダプターだけ借りてわずかな時間だけ充電。今回はボーディングパスを携帯に頼っているので心配。イスタンブールからフランクフルトの便もしっかり遅れていて、アダプター借りたトルコ航空のラウンジの受付に聞いても、トルコ航空のフライトなのにモニターボード見て下さいの一点張り。でも、もちろんモニターボードにはまだ何も表示されていない。ゲート表示がようやく出る。ラウンジから15分かかるというので、充電も途中でゲートに向かう。演奏はいつも楽しいが、移動はいつも大変。そしてゲートにあるUSB差し込みも全てワークしない。
ようやく搭乗して着席。ここの席のUSBがようやく使える!流石に疲れたのか、飛び立つ前に爆睡。目が覚めても飛行機は動いていない。どうも遅れが増したようだ。今度はフランクフルトからストラスブールへのルフトハンザバスへ乗り継げるか心配になってくる。が、心配しても仕方ないから爆睡。フランクフルトにはバス出発の1時間半前に到着。これなら大丈夫。フランクフルトの入国管理局は長蛇の列。空いているのは2つの窓口だけ。イミグレのホールには”Welcome to Europe”ってあるけど、イミグレのおまわりさんは、とてもじゃないけどそんな表情じゃない。海外への行き来の大変さは、この出入国の面倒さと感じの悪さにもある。いつの日かパスポートもなく、世界中行き来ができて国境も無くなって国際紛争もなくなればいいのに。時間はどんどん経っていく。でもスーツケースピックアップしたら、空港からすぐのバス乗り場に行けばいいだけだから大丈夫。まだ甘い!バッゲージクレームがこれまた遠い。改札入ってから大江戸線のホームに行くより遠い!入国でだいぶ待たされたからカバンが待っているのかと思ったら、ベルトはまだ未回転。ここでまた待たされる。どうしてプライオリティーのタッグつけてもらったのに、全然出てこないの?まあ、この長旅で荷物が目的地に問題なく到着すること自体、考えてみれば奇跡だ。待っていた人たちの8割くらいのカバンが出てきてからようやくカバンが出てくる。ピックアップして荷物に振り回されながら空港のインフォメーションデスクを探す。最近、本当に少なくなった。インフォメーションデスクに行くインフォメーションが欲しい。警備員みたいなおじさんに聞いてみるとエスカレーターで上階に行けばデスクがあるという。行ってみたけどないじゃない。仕方ないからルフトハンザのカウンターに。まあ、バスとはいえ、ルフトハンザバスだからきっとわかる。優しいお姉さんが親切に説明してくれる。近いけど説明するのは難しいという説明通り、上階に行き、渡り廊下を渡ってから右にいくという部分までしか行けない。ちょうどお巡りさんが歩いていたので、聞いたら結構端的に説明してくれた。つまりバスの停留所はドイツ鉄道駅を出たところにあるらしい。このまま行けば間に合いそう。ところが駅まで行ったけど何も表示がない。今度は仕方ないからドイツ鉄道のインフォメーションで聞いてみたら、外出てすぐ左と教えてくれた。バスが停まっていてストラスブールと書いてあるけれど、ドライバーも係の人もいない。待っているお兄さんに聞いてみたら、僕もそのバスだけど、このバスだったらいいなと思って待っています、という頼りになる返答をもらい。一緒に路頭に迷う覚悟で待つ。だんだん人が集まりだして、ついにドライバーが登場。とにかく間に合ってよかった。それにしてももう自宅を出てから27時間くらい経っている。バスに乗って空いている席を探していたら、先に乗っている人に指定席ですよ、と言われる。が私のチケットにはそんな表示はどこにもない。仕方ないからドライバーのところまで戻って聞いてみると、あなたのチケットは空いているところどこにでも座れます。と。なんだかよく分からないが、適当に着席。今回、初めてeSIMというのをiPhoneにダブルシムとして入れていてデータローミングに使っているが、どうもだいぶ速度が遅い。日本の田村に実況中継しているが、なかなか送受信できない。とはいえ、まだ1日も経っていないのに6ギガ使ったとは思えない。バスでは外が見えるせいか2時間半は結構早くすぎて行き、定刻でストラスブールに着く。駅前のホテルはすぐにわかりチェックイン。さあ、今夜は早めに夕食して睡眠薬きめてしっかり寝るぞ!と思って4時半にチェックイン。フランスですから夕食は早くても6時でないとレストランは開かない。部屋で荷物整理していたら、とんでもない忘れ物に気が付く。なんとパソコンの充電ケーブル入れ忘れ!そういえば直前まで使っていて最後には入れようと思っていてすっかり入れたつもりになっていたみたいだ。これは結構パニック。携帯だけだと5日以上の滞在では仕事が全てフォローできない。まずは共演者でストラスブール在住の祐子さんに電話で相談。歩いて10分のところにモールがあってそこに行けばあるだろうという情報。こちらでもホテルのフロントで聞いてみたら、ここにあるものだったらどうぞお使いくださいと。すごいナイスなお兄さん。あるじゃないですか!でもここには2泊しかしない、その後どうするの?お兄さんにこれ売ってもらえない?と相談するも、申し訳ありませんがそれはできませんと。まあ、そうだろうなぁ。じゃあ、とりあえず借りてからそのモールか歩いて15分のApple Storeに行こうとしていたら、なんと友人のミュージシャンで同じフェスで演奏するラモン・ロペスにバッタリ!びっくり!!彼の演奏日は水曜日だからニアミスと思っていたら前日リハのために早くきているそうだ。4年ぶりの再会!彼に事情を話したら、1分のところにその手のものを売っている店があると言われ一緒に飛んでいく。残念ながらもう閉店していたが、外からみると確かにありそう。明日9時開店とあるので飛んでこよう。一緒にホテルに戻ったらなんとラモンが今回共演するピアノのアンジェリカ・サンチェスにあう。彼女との再会は15年ぶりくらい?彼女の元夫のトニー・マラビーが私のニューヨークオケだし、同時期ニューヨークにいたこともあり、お互いよく知っている。じゃあ、みんなでディナーに行こうという急展開。ホテル近くのレストランで鴨のたたきをいただく。今日はアルコールを控えようと思っていたのに、ラモンのワインチョイスが素晴らしいのを思い出し、ついちょっとだけご一緒する。あ〜あ、これだと睡眠導入剤はなしだなぁとは思いつつ、素晴らしいワインと鴨と二人との楽しい会話ですっかり元気になる。(で、やっぱり料理とワインの写真は撮っていません…)二人はその後も軽くいっぱいって言っているけど、私はおとなしく帰って10時には就寝。疲れとワインのおかげか眠れそう。15年ぶりくらいのストラスブール、確か同じホテルだったし懐かしいけれど、駅がすごいビルになっていてびっくり。
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5月24日(水)
朝は5時過ぎに目が覚める。出発の日は目覚ましが鳴る前に目が覚めるのはそれなりに緊張しているのかもしれない。せめてコーヒーだけでもと朝食会場に行くがまだ開いていない。部屋に戻り日本国内でのフライトのチェックインをしてから階下に。朝食担当のおばさん、寝坊しちゃったみたいであせっている。コーヒーとヨーグルトをいただいてから、部屋に戻り荷物を持って駐車場に。もうオズワルドが来ていて、グラーツの空港まで。同じドイツ語圏でも、オーストリアはドイツより言葉も人間もずっとソフト。カナダとアメリカ、ニュージーランドとオーストラリア、オーストリアとドイツって感じ。あくまでステレオタイプの話です。空港でお礼を言ってバイバイしてから空港のモニターを見る。コードシェア便のようでこちらのフライト番号は表示がない。ややこしい。その上、フランクフルト行きのその時間の便にはディレイドとある。最初の便からすでに遅延。チェックインしてからラウンジに。眠い。のんびりとコーヒー飲んでからラウンジ出ようとしてモニター見ると、なんとさらに遅延が! 15分遅れだったのに1時間遅れの11:30になっている。フランクフルトの乗り換えが心配。70分しかない。フランクフルトでEU出るのにパスポートコントロール、それが混んでいたらギリギリになるかもしれない。空港で走るのだけは嫌だ。ゲートに行き、エア・ドロミティーというイタリア航空会社の飛行機に乗り込む。つまりこれがルフトハンザとの共同運行便。着席するなり例によって爆睡。どのくらい経ったか、目が覚めてもまだ飛ぶどころか動いてもいない。遅れているというのに、全然出発する気配がない。まあ、東京行きに乗れなくても、航空会社が組んだルートなんだからなんとかしてもらいましょう。ようやく離陸。着陸予定時刻は日本行きのボーディング開始を過ぎている。ほぼ絶望的。フランクフルトは鬼門なのです。今まで飛行機のトラブルの8割以上をフランクフルトで体験している。避けたいところだが、スターアライアンスの会員なので、圧倒的にルフトハンザ利用率が高くなってしまう。着陸したら、タラップ降りてバスというほとんどいじめられているようなコース。東京行きが遅れていますように。モニターを見ると、こういう時に限ってオンタイム。もちろんボーディング中。ほぼ一番遠いZというゲート。走らないという約束だったのに、夏樹が走り始める。普段はほぼ何もスポーツしないし、走るのは信号が変わりそうになる時なのに、やたらに足取りが軽い。私は誰に頼まれたわけでもないのに普段からスロージョグしているのに走っているつもりでも横を歩く大柄なドイツ人より遅い。なんのトレーニングもしていないのに走れるっていうのは、ほとんど猫レベル。エスカレーター、エレベーター、オートウォークもいくつも通り、ようやくパスポートコントロール。前にいたこれから北京に行くという方に事情を話し、前にしてもらい、担当官にも事情を話しクイックでスタンプを押してもらう。ようやくZのゲートだが、またよりによって一番遠いZ25。やっぱり日頃の行いでしょうか。ゲートに着くともう全員搭乗した後。でもルフトハンザのグランドスタッフがニコニコ立っている。「田村さんでしょう?早かったですねぇ。普段鍛えていらっしゃるんですか?もう大丈夫、間に合いました。搭乗したらたっぷり時間があります。東京までのんびりされてください。」笑えない!私たちが最後か聞いたら、あと3名待っているんだそうだ。さすがに荷物だけ乗せて持ち主を乗せずに飛び立つのは保安上まずはしないと思うが、それでも走ってしまう小心者。
東京まで12時間半。寝たり起きたり食事したり映画見たり。12時間半って長いです。機内食にカツカレーというチョイスがあり選んだら、これはカツカレー?というものだったが、別物と思えばそれなりに美味しかった。私が寝ている時に、夏樹がフライトマップ見ていたらモスクワ上空飛んでたという。まじ?!とにかく無事に東京に着き、荷物ピックアップしてvisit Japan webの謎の入国手続きで、帰国。16日間、病気も怪我もなく無事に帰国できたのは、多くの方々に支えていただいて励ましていただき助けていただいたおかげです。どうもありがとうございました。今夜は近所のレストランで夏樹と2人で打ち上げ!お疲れ様でした!!
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5月23日(火)
2人ともしっかり休んでリセットモード。今日も会場へのお迎えは6時過ぎだから丸一日のんびりと明日の帰国の用意ができる。実はツアー中は雑多な仕事をしなくていいから自宅にいる時よりのんびりしている。自宅に帰ったら山積みの仕事に向き合わないといけない。よく演奏以外は毎日何をしているのですか?と聞かれるが、演奏に至るまでは実際の演奏時間の何十倍という労力と時間を費やす。マネージャーさんがいてくれれば助かるが、弱小零細フリーランスなので、セルフマネージメントでパソコンが事務所機能という状態だ。これが歳をとってくると結構大変。脳がショートメモリー、コピーペースト能力を著しく落としているので、気をつけないとブックしたフライトを二重予約しかねない。どなたかに手伝っていただきたいが、財力も人徳もないので難しい。ということで、今日の午前中の大事な仕事の一つは明日のフライトのオンラインチェックイン。これも安価に誘われて航空会社直ではなく予約したので、席が選べなかったり結構ややこしいことになっている。なんとかチェックイン完了して、日差しの明るい中、散歩に出かける。この辺りは谷に挟まれた尾根に住宅街があり、その尾根はほぼ一本道という地形。どの家も立派。こんなの日本にあったら大邸宅だ。日差しが強くて夏のよう。庭先にアヒルが何羽もいる家があり楽しい。ホテルに戻って、今日のランチはようやく評判のいいこのホテルで食べられる。ウエイトレスのお姉さんのおすすめで私はエビのパスタ、この時期が旬のガーリックの匂いのするハーブのソース。夏樹はなぜかタイカレー。どちらも驚愕の美味しさ!今度のツアーで間違いなくベスト!!何を作っても美味しいシェフなんだろうなぁ。エビは春巻きの皮を細く切ったものを衣にしてあげたものもトッピングしてあってクリスピーだし味付けも素晴らしい。エスプレッソまでしっかり楽しんで、部屋に戻る。夏樹はすぐにお昼寝。外は雷の土砂降りになってきた。この辺りにしては気温が上がりすぎたから冷ましている感じ。夏樹が起きて2人でyoutube筋トレ。明日の荷造りをして、今夜の演奏の用意もしてからホテルの駐車場に程なく主催者のオズワルドが奥さんと一緒に車で到着。彼の車で今夜の会場、Tube’sに向かう。
グラーツでは私のカルテットとラリー・オックスのバンドのサイドで2回演奏に来ている。最初はシュトックヴァークというクラブで演奏、ラリーのバンドではどこで演奏したか思い出せない。オーストリアで長年コンサートを企画しているウテという女性がいて、どちらも彼女の企画だったことは覚えているが。とにかく今夜の会場のTube’sは初めて。クラブに到着するとまだ昨晩の出演者の名前が書いてある。なんと、ジョージ・ガゾーン。直接ついたことはないが、ニューイングランド音楽院の先生。私のボストンで結成したビッグバンドでも演奏してもらったことがある。Tube’s のマネージャーはグラーツの音楽大学のジャズ科のチェアマン。グラーツの音楽大学は1960年代にヨーロッパの音大では最初にジャズ科ができた名門。多くの優秀な教授陣を揃えている。8時に開演。オズワルドに開演前に食事がしたいというのが伝わっていなくて、開演前は楽屋にあるバナナ、りんご、スナックで間に合わせる。こちらの希望で長い1セットでの演奏。今回のツアーで田村藤井のデュオは一回だけ。しっかり書き込んだかなり複雑な譜面でのレパートリーなので、インプロの時とはまたちょっと違った緊張。ステージがライトのせいもありかなり暑くて、温度でピッチの変わるトランペットは最初ちょっと大変そうだったが、すぐに落ち着いて2人とも気持ちよく演奏できた。熱心な聴衆にも喜んでいただき、無事に今回のツアーの最終公演終了。ステージに多くのお客さんが話に来て、なかなか帰り支度ができない。ようやくクラブを出て、ギリシャレストランに向かう。残念ながらキッチンはもうしまっていて、アペタイザーの盛り合わせで赤ワインで乾杯。でも過食の毎日だったのでちょうどいい感じ。ホテルまで送ってもらい、明日の朝のフライトに合わせて8時のピックアップという打ち合わせをして、部屋に戻る。シャワー浴びて、荷造り完了させて1時過ぎにおやすみなさい。
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5月21日(日)
ヨーロッパ、だいぶ春になってきていて夜中も暖かくて助かる。おかげで6時半までぐっすり。今日は部屋でのんびりとコーヒーを淹れて、非常食用に持って歩いているお湯を入れれば出来上がるおにぎりとカップ麺で朝食にする。朝食後はyoutubeで筋トレ。この筋トレのおかげでだいぶ体調がいい。今日は11時45分のフライトなので、早めに9時半くらいに歩いて2分の空港に行く。ベルリンのブランブルク空港利用される方には超おすすめのintercity airport hotel。どうしてグラーツに行くのにニューキャッスルからベルリンに戻ってきたかというと、ベルリンーニューキャッスルの航空券を往復で取った方が安価で、ベルリンからグラーツへの安価の直行便があったから。貧乏人は大変です。大抵、朝から晩までどちらが安いか考えないと。でも高齢になってきたので無理もできないし。いつか、こんなこと何も考えないような旅がしてみたい!
チェックイン後、次の心配は昼ごはん。ついてからだと遅いランチになるし、飛ぶ前だとまだお腹空いてないし。じゃあテイクアウトで機内で食べようとサラダとサンドウィッチを購入。機内はやはり面倒かもとサンドウィッチだけ搭乗前に食べてしまった。サラダは機内のはずが搭乗した途端に二人とも到着までほぼ一気に爆睡。やっぱりツアー2週間の疲れがそれなりに溜まっているのかも。グラーツの空港には主催者のオズワルドが迎えにきてくれていた。このコンサートは2020年のはずがパンデミックで延期、2022年のはずがツアー途中に私がコロナ罹患で延期。今回ついに実現。オズワルドは音楽好きで、2012年のイタリアのワインとジャズのフェスティバルに田村藤井デュオで演奏した時、2018年のスロベニアのチェルクノでの私のソロとKAZEの演奏にも駆けつけてくれている。ホテルに送ってもらい、ちょっと休憩。時間があるので山間にあるホテルの界隈を散策。馬もいるような田舎に立派な家が点在。家の大きさや佇まいを見るとオーストリアの市民が経済的に十分豊かなことがわかる。
夜はグライスドルフという街でのソロコンサート。会場は街の音楽学校。着く前にオズワルドが申し訳なさそうに、「実は学校側の要望で、ピアノの内部演奏ができない。本当に申し訳ないが、街も学校も内部演奏がピアノにダメージを与えると思っていて説明しても承諾してくれなかった。なんとか内部演奏なしでお願いできないか….」えーーーー!!早く言ってくれれば内部演奏用の小道具やマレット持ってこなかったのに〜。私も内部演奏メインでの演奏をしているピアニストというわけではないので、実際にはおそらく全体の20%にも満たないとは思うが、ピアノの弦に手を伸ばせないとなると、やはりちょっと不自由を感じる。が、彼の立場を考えると仕方なく承諾。今回は特に前編インプロの内容だったので、語彙が少なくなるのは必須。会場のピアノはヤマハのC7、音楽ホールとは思えないようなカリカリの響きで、こりゃさぞかし弦を弾いたらいい音しただろうに。演奏中何回も内部に手を伸ばしそうになるのを堪えてのソロ。今回のツアーでソロはここだけ。共演者なしの演奏は、これまた別の緊張感。正直、演奏の内容は自ら評価できない。なんというか、なんと言われてもこれだけです、という気持ちで演奏。
終演後、主催者夫妻とスロベニアから2時間半のドライブで録音に駆けつけてくれたエンジニア夫妻、それに大の音楽ファンで画家のおじさんと夕食に。日曜日の晩はどこも空いていないからこのレストランくらいしかないというところに行く。私はアスパラソースのタリアテッレ、夏樹はアスパラのフライを。タリアテッレはいくら食べてもまだまだ1人前以上ありますという量。外のテーブルでも寒くないのがうれしい。歓談中にグラーツのラジオ局から電話。火曜日のコンサートについて話してくださいという生番組で、これまたサプライズ。集客に繋がればいいが…。
ホテルまで送ってもらい、11時過ぎにはさっさと寝る。
5月22日(月)
今日は1日オフ。のんびりと休養+メールでの仕事のキャッチアップ。何回か目が覚めるが結局7時頃に起き出す。やっぱり疲れが溜まっているのかいくらでも眠れる。階下の朝ごはんに。ここのレストランホテルで、シェフがホテルも経営している。宿泊者は私たちだけなのに朝ごはんのビュッフェを並べてくれた。ドイツ、オーストリアの朝ごはん。美味しいパンにハム、ソーセージ、チーズ、パプリカ、トマト、新鮮なジュース類と並ぶ。のんびりと朝食。部屋で急ぎのメールの返事をしてから近所のスーパーに。Googleマップで調べたら近隣1キロ以内にスーパーが3軒ある。月曜日はレストランが休みのところが多いからとスーパーで物色する予定だった。ところがホテルの前のケバブ屋さん空いているじゃないですか?!怪しいドイツ語で「今日は何時まで開いていますか?」と聞いたら22時までやっているとのこと。大丈夫じゃん!まずはスーパー3軒回ってみて、面白そうなスパイスやハチミツと水を買い、もう一軒のオズワルドに教えてもらったレストランを覗いてみる。ここはトラットリア、つまりイタリアンのはずだが、お店の人はケバブ屋さんの人と同じ国から来た人っぽい。そこは21時までやっているという情報をもらい、安心してホテルに戻る。戻ったのが午後1時くらいだが、それから夏樹は3時間お昼寝!15年くらい前に頻繁にニューヨークに録音に行っていた頃、スタジオの人から夏樹のスタジオでの昼寝ぶりでNapski(Napは英語で昼寝という意味)とつけられたくらいだから、元々昼寝は得意なのだが、やっぱり疲れが溜まっているんだろうなぁと。途中、何回も心配になって呼吸しているか確認。
お昼寝後、部屋でトランペット口慣らし。トランペットはピアノとは違ってウォームアップしておかないと大変な楽器。そのあとは筋トレ、そしてブラブラとトラットリアまで歩いて繰り出す。飲み物は赤ワイン一杯と炭酸水、夏樹はスパゲッティカルボナーラ、私はカラマリフリット。ここのレストラン、すごく美味しかった!食後はエスプレッソで二人とも大満足。お腹いっぱいで歩くのも大変なくらい食べた。今回のツアーで2キロくらい太った気がする。お腹周りが半端じゃない。カタコトのドイツ語でウエイターに絶賛。ホテルまで戻るのに地を這うようなスピードでしか歩けない。
部屋に戻って明日の主催者と打ち合わせや水曜日の空港へのピックアップの時間の確認をして、まだまだ溜まっている仕事を少ししてから、早めにおやすみなさい。
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5月20日(土)
7時の目覚ましが鳴ってもまた眠りに落ちるくらい。昨晩のスコッチのせいか出発後の疲れがそれなりに溜まってきたせいか。朝ごはんに行く前にホテルから空港へのアクセスをレセプションで確認。安いのは地下鉄だけど楽なのはタクシー。朝ごはんはトムと一緒に。アフリカ各地や台湾、ベトナムに出向いて現地の民族音楽のグループとのプロジェクトをイギリス文化庁の助成を受けて行なっていて、いつも面白いことを探しているトムとスコットランドの旧友たちの現状を聞いてアップデートしたり、パンデミック中のことを聞いたり。すっかり話し込んでしまい、もうトムの出発時間。ロビーで再会を誓ってバイバイ。
部屋に戻ったら朝の作業。メール送受信、今日のフライトのチェックイン、荷物整理、昼12時に荷物はホテルに預けてチェックアウト。思い残すことのないように昼はインディアンレストランに。ランチセットでチキンテッカマサラとプラウンヴィンダルー。ヴィンダルーがとんでもなくスパイシーだった。一口食べて咳き込んで涙が出るくらい。私はスパイシーなものは大得意なのに、これは半端ではない。レストランに行く前に地下鉄の様子をみた。階段で地階に下がるしかなく、エレベーターは工事中。迷いなくタクシーで空港に向かうことにする。ホテルに戻り、荷物ピックアップしてタクシーを呼んでもらう。すぐに来るらしいのでホテルの前で待っていたら、鮮やかなブルーの自動車が颯爽と登場。どこから見てもタクシーではない。が、タムラ?とか呼ばれて、あ〜これがタクシーとびっくり。ロンドンのクラシックカーのようなタクシーを想像していた。ドライバーのおじさんとちょっと会話しているうちに私は寝落ちてしまった。ニューキャッスル、ついに春の到来の暖かさで気の早い人たちがノースリーブ、短パンで闊歩している。イギリスでも北に位置するニューキャッスル。春の到来は何よりも嬉しいに違いない。
空港に着き、どこでチェックインできるかのアナウンスを待ってチェックイン。今日はのんびりとベルリンまで辿り着くのが仕事。まだまだゲートがどこになるのかわからないから、カフェでお茶。17:30の搭乗で17:00にゲート番号がモニターに出る。ゲートまで移動。また用事もないのにアムステルダムまで飛んで乗り換え。アムステルダムでは乗り換え時間が少ないので、ちょっと緊張。モニターに何故かフライトナンバーが見当たらない。同時刻のベルリン行きはあるが、ボーディングパスにあるフライト番号とは違う。どうも共同運行で違う番号が出ているようだ。アムステルダムからEUなのでパスポートコントロールを通りゲートに。まだちょっと時間があるのでゲート近くでサラダとピザで夕飯にする。まあ、美味しくはないが不味くもない。ベルリンに到着後、Googleマップで空港ホテルまで歩く。ターミナルビルの前にあるホテル。明日は11時過ぎのフライトでグラーツに向かうのでこのホテルは便利。チェックイン後部屋でちょっとくつろいでから、おやすみなさい。
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5月17日(水)
朝はのんびりとウルフガング宅でドイツらしい朝食。シグリッドは教職を退職した後は、ハーブの専門家として森を歩いて自生するハーブの説明やその使い方を講義している。朝食にもハーブを多用した手作りのものが並ぶ。手作りのジャムにも、バターや塩にもハーブが加えられている。食後は庭に出てハーブの説明を聞く。11時前にウルフガングの車でビーレフェルド駅に向かう。駅にはすでにアリスターとスーがついていて、何が起こるかわからないドイツ鉄道だからと非常食用にとサンドウィッチを買っている。私たちも車内でのランチ用に購入。当然、電車はすでに25分遅れている。ホームの番号がようやくアナウンスされ、ホームに。ところが、私たちとアリスターたちのチケットにある電車番号が違う。おそらくどこかで連結されてきた車両で前と後ろは番号が違うんだろうと、不安なまま納得。乗車後しばらくしてサンドウィッチをいただく。このところ食べ過ぎだから、軽めにこのくらいがいいのではないかと。ベルリンまで3時間弱。降車してアリスターたちをホームで探すが見当たらない。もしかしてもうエスカレーターで上に行っているかと移動したところで出会える。ベルリンという街は首都にもかかわらず、こじんまりとしているので駅が大きいというイメージはないのだが、この中央駅は実はヨーロッパで一番大きいらしい。駅から4人でタクシーでホテルに移動。会場から近いというので選んだホテルだが、これが結構いいホテルだった。ものすごい親切なスタッフに大きな窓で日当たりも良く、近隣も静かだし落ち着いている。ホテルの部屋で1時間ほどくつろいでから、4人で会場に歩いて行く。今日はベルリン在住のドラマー、サミュエル・ホールとのQuartet Kira Kira。会場はベルリンらしい中庭まで入ってようやく見つけられるような隠れた場所にあった。サミュエルがこの仕事をセットしてくれたのだが、私たちは初めてのクラブで中庭にあるどの建物なのかもなかなかわからず右往左往。ようやく見つけて3階まで上がっていくと、いかにもベルリンという会場。グランドとアップライトが並んであるが、グランドは調律もしていない古いピアノで内部演奏用にあるという話。そこまで特化しているのなら、今夜は存分に内部演奏にしようと、グランドピアノを使うことにする。サミュエルがローズピアノを持ってくる。楽器を並べてマイクを並べてサウンドチェックをしている間に開場時間となる。私たちの友人知人、アリスターたちのオーストラリア繋がりの人たちを含め続々と会場に到着。7時半開場、8時開演の予定がベルリン時間で始まったのは8時半過ぎ。鍵盤をほとんど使わないピアノ演奏は、ある意味ではチャレンジ。一曲、デスメタルボイスで歌ってしまった!演奏が終わったらもう11時半。そういえば昼から何も食べていない。まだやっているレストランがありそうな場所をきき、4人でめげそうになりながら15分くらい歩く。夜は寒い上空腹もあり悲しい。ようやくそのエリアに着き、入ったレストラン2軒にもう閉店だからと断られて、3軒目でようやく夕飯にありつけた。中東ケバブ屋さんでラムやチキンのピタパンのロール。空腹のせいもあるけど、美味しかった。ホテルまで歩いて10分。明日は夕方のフライトで移動だけなのでのんびりできるねと話しながら、部屋に戻り満腹なままおやすみなさい。
5月18日(木)
昨晩遅い食事だったので、2時くらいまで起きていた。そのせいもあってのんびりと7時過ぎに起床。もう身体が完全にヨーロッパ時間になった。今日はオフだが、夕方の飛行機でアムステルダムを経由して明日の公演場所、イギリスのニューキャッスルに向かう。朝ごはんを食べながら昼ごはんはどうしようと相談する。荷物の整理やメールの送受信後、Googleマップさんに聞いて、近場の地中海料理に向かう。面白いロケーションで車博物館みたいな大きな建物の一角にレストランがあった。車好きの夏樹はクラシックカーとかの陳列をみて回る。料理は全然地中海ではなかったが、美味しかった。サーモンポキ丼とフラムクッヒェン。なぜかハワイと南ドイツ料理。どちらも美味しかった。のんびりとランチしてからホテルに戻る。ロビーで2時半にアリスターたちと待ち合わせ、ホテルでタクシーを頼んでもらう。ドイツのタクシーは東京並みに質が高い。サービスもいいしオンタイム。中央駅まで行って、そこから電車で空港まで。私たちも初めてのブランデンブルク空港。私たちがベルリンに引っ越した2011年にはもう建設を始めていたのに、数々の問題がありその責任をとって市長が辞任までして出来上がった空港。私たちがベルリンから日本に引っ越して戻った2016年にまだ出来上がらなかった空港。どんな空港かと思ったら、全然普通でがっかり。荷物をドロップしてから上階のフードコートでドリンクタイム。今日はオフだからとみんなでアルコールドリンク。スーのおすすめのオレンジを使ったドリンク。ちょっとカンパリソーダぽかった。早めにゲートに移動。最初のフライトはアムステルダムまで。ほぼ満席。アムステルダムで次のフライト乗り換え時に何故か夏樹以外の3人がランダム保安検査に引っかかる。一人残された夏樹が保安検査から出てきたら消えている。探し回っても見当たらない。きっとゲートに先に行ってるかもと言いながら3人でゲートに向かう。ゲートまでかなり歩かされる。迷子の夏樹が心配だ。歩くこと7、8分。ゲートの待合室に座っているじゃない!いたからいいけど、いなかったら超大変だった。私たちがランダムなチェックではなく、自分も別の保安検査があるだろうから、とそれを探していたらしい。次のフライトは若干遅れて離陸。到着のイギリスニューキャッスル空港での入国は演奏家はvisaが必要だったので入国が面倒。その上、EU離脱後の混乱がまだ続いていて、ややこしい。スーは演奏家ではないから簡単にパスポートをスキャンする機械で入国。私たち3人は窓口の長蛇の列で待たされて、その上コンサートの情報が主催者から送られてきていないからオフィスで探してくると待合室みたいな所で待たされる。先に入国したスーはカバンをピックアップしてしばらく待っているのが不安だったらしい。ようやくデータが見つかって無事に入国。主催者から地下鉄移動が楽と聞いていたので、地下鉄駅に。なんと、もう最終電車が出ちゃったあと。入国に手間取っている間に電車は発車しちゃったらしい。仕方ないから空港のタクシー手配デスクでホテルまでのタクシーを依頼。ホテルまで20分くらい。いかにもイギリスの街並みで、映画の中にいるようだ。ホテルにチェックイン。私たちはイギリス英語がすごく不得意。何言ってるかさっぱりわからない。アリスターとスーと一緒だから入国もタクシーもチェックインもなんとかできた感じ。シャワーを浴びてさっさとおやすみなさい。
5月19日(金)
今日は夕方4時前にロビーで待ち合わせて会場に徒歩で向かうので、昼間はのんびり。溜まったブログやメールを懸命にキャッチアップ。朝7時に起きて朝食してから3時間4時間あってもその仕事だけで時間が足りなくなる。昼は近所のインドレストランかなぁとGoogleマップで調べたらインドレストランはオープンが13時、もっと近場に寿司屋がある。そちらの方向を目指して歩く。寿司屋、メニュー見ればチャイニーズ寿司とすぐわかるが、日本人らしきお客さんが入っている。でも観光客っぽい。ハズレかなぁと近場にあるコリアンレストランに向かう。ここはコリアン焼肉屋さんで、昼からみなさん盛大に焼肉をやっていた。私たちは連日の過食からランチメニュー。私はキムチラーメン、夏樹は焼肉定食。ラーメンはどう見ても即席、でもそれが美味しい。サイドで頼んだキムチも絶品。夏樹の焼肉定食も美味しかったらしい。大満足でホテルに戻る。ホテルで仕事の用意してロビーに。アリスター、スーと待ち合わせて会場まで3分。会場は有名な図書館。今日のドラムはスコットランドグラスゴーから駆けつけてくれるトム・バンクラフト。彼との付き合いも長い。CDも出したことがる。2015年くらいに彼の自宅に泊まって一緒にやったプロジェクトもあるし、パンデミック中にインターネットでセッションしたこともある。がっちりした体格でとんでもなく優しくて楽しい人柄。スコットランドには優しい人が多い。Kira Kiraでニュージーランドで演奏した時のドラムがトムの義理のお兄さんでびっくりしたことがある。奥さんもシンガーだし、ミュージシャン一家。今日も絶対素晴らしい演奏になりそう。セッティング、サウンドチェックの合間にスーがこの図書館を案内してくれる。個人所蔵の本でのプライベート図書館とはとても信じられないくらいの書籍の量。目が眩むくらい吹き抜けの大きな2部屋の壁一面に本が並ぶ。廊下にあるアール・グレイの肖像画。なんとアールグレイ茶は彼の名前だった。しかもアールはイギリスの称号。そういえば、ジャズミュージシャンはイギリスの称号を使う人が多いそうだ。デューク・エリントンほか….
会場に戻り、うち合わせと簡単なリハーサル。トムは譜面強くて、ややこしい譜面も難なくこなす。本番まで時間があるので食事に。ホテル近くのレストランで私はフィッシュ&チップス、夏樹は何故かパッタイ。イギリスにいる間にフィッシュ&チップスとインド料理はマスト。新鮮な白身魚のシンプルなフライ。美味しかった。パッタイも創作料理と受け止めれば結構美味だったそうだ。会場に戻りコーヒーを飲んでいると、以前この団体のヘッドだったポール・ブリームとイギリスのジャズ評論家のアンディ・ハミルトンがやってくる。ポールとは初対面だが、何回もメールでコンサートのオファーをいただき可能性を探ったことがある。ここの聴衆はポールが長い間育ててきた聴衆だそうだ。アンディは東京の「音や金時」や「ピットイン」にもきてもらったことがあって、話が弾む。なんと今夜は満席とのことで、うれしい。
演奏は2セット、45分づつ。最初のセットはインプロ。2セット目はオリジナル曲で構成した。夏樹は会場の裏からハイハットを見つけてきて、トランペット以外にもハイハット。トムとハイハットの応酬もあり、全員超楽しんだ。ステージでニコニコの晩だった。終演後、近くのパブで一杯。イギリスのエールビールも美味しいけれど、二人ともスコッチ、ハイランドパークをいただいた。美味しい食事、満足な演奏、芳香なスコッチ。幸せな日だ。バーかたホテルへの帰り道、金曜日のせいもあって全員酔っ払い。普通の若いお姉さんがヘベレケで大声出しながら闊歩している。この人たちをロックダウンするのって大変だったんだろうなぁと。ホテルの前では入館者全員の部屋番号と名前をチェック。酔っ払いが入ってこないようにしている。実はワイルドなイギリスです。ロビーでアリスターとスーと次回の再会までのバイバイ。トムとは明日の朝食で会う約束。スコッチも手伝ってぐっすり。
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5月15日(月)
6時半に起きて朝食。フランスの美味しいクロワッサンを楽しむ。部屋に戻りメールと荷物整理。今日はコインランドリーで大物の洗濯。大きな袋に2袋。いつもお世話になっているコインランドリーに出向く。リールは雨が多いところで、やっぱり今日も雨が降ってきた。徒歩数分のコインランドリーに急ぐ。ここは喫茶店もついていてカウンターのお姉さんが親切に洗濯機と乾燥機の使い方を説明してくれた。コーヒーとお茶を注文して洗濯機を回しながらのんびり。wifiも飛んでいて、快適な時間。洗濯機が30分で終了。今度は乾燥機で30分。今回のツアーはこの洗濯だけで帰宅まで大丈夫そう。乾いた洗濯物を畳んでバッグにしまい、また雨の中。ちょうど昼時なので、行きずりでレストランに飛び込む。以前美味しいベトナムレストランだったところが別のレストランになっていた。どこの料理だろう?インターネットで国の名前を調べてみるとモーリシャス。マダガルカル隣の島国。私はイカと野菜の鉄板焼き、夏樹が大エビの串焼きみたいなのを注文。エビのソースがピーナッツソースみたいな感じで美味しい。食後ホテルに戻り、洗濯物を整理したら会場に。今日は2時からフリージャズのフィルムを撮りたいという人のインタビューを受けることになっている。カメラのセットが済みインタビュー。その後ピアノソロも収録したいというので、インプロで一曲。その後、今夜のバンド、オーストラリアのアリスターとのKira Kiraのサウンドチェック。素晴らしいピアニストのアリスターはこのバンドではローズ・ピアノの蓋をとり内部演奏もする。Kira Kiraは夏樹とアリスターと私の3人でツアー先のドラマーを迎えてオリジナルを演奏するバンド。2018年に結成しその年は日本で演奏。東京での竹村一哲さんとの演奏がデビューアルバム「Bright Force」となっている。今回はピーターがドラム。新曲ばかり用意してきた。リハーサルがスムースに進み、4時半には終了。時間があるので一旦ホテルに戻る。夕食は演奏後というので、どこかでスナックを買おうと雨のなか探し回る。結局スーパーでスイーツやポテトチップスを買ってきて部屋でつまむ。
ホテルでおやつしてお昼寝してマルテリーに。7時半から対バンのジェロームの演奏。テープ再生機を使ったサウンドアーティストで音量もあり、面白い。40分くらいの演奏。実にクリエイティブ。そして休憩を挟んで私たちのセット。リハーサル通りに行かない部分も含めて楽しめるのが私たちの音楽。大いに演奏を楽しんで、無事終了。リールの多くの友人たちと談笑後、2階のダイニングルームで食事。手作りの料理が演奏者とスタッフのために用意されている。おいしいビーフと野菜の煮込みをライスでいただく。ワインはもちろんナチュラルワイン。デザートは季節のルバーブのタルト。ホテルまでピーターに送ってもらって友人のリンにいただいたよく眠れる手作りのアロマミックススプレイを枕に2プッシュ。幸せな眠りにつく。
5月16日(火)
朝8時にピーターがホテルに迎えにきてくれる。リール・ヨーロッパ駅に。駅の通路で出発ホームのアナウンスを待つ。それにしても寒い。ようやくホームがわかりホームに。TGV、つまりフランスの新幹線でブリュッセルまで。ブリュッセル・ミディ駅からはドイツの新幹線ICE。恐怖のドイツ鉄道だ。ストライキがラストミニッツで中止になったので、すでに多くの人が予約キャンセルしてたみたいで、結構空いている。でもやっぱり到着寸前に発車ホームの変更があり、大きな荷物を持ってみんな大移動。次は予約車両の停車位置確認。でもここに停車といった場所に停まらないのもドイツ鉄道ならでは。乗車してから席を探すのも大きな荷物を持って多くの乗客が通路でごった返す。なんとかならないのか不思議だ。乗車も降車もホームからの段差2、3段あってこれまた大変。せめてこれを同じ高さにすればだいぶ楽なのでは?ブリュッセルからケルン、ケルンでベルリン行きに乗り換えてビーレフェルトまで。ついてからあまり時間がないからケルンに着く前にレストランカーで食事。チリコンカルネ、熱いスープが美味しい。しっかり全部頂いてしまった。ケルンに乗り換え、次の電車がもう25分遅れている。ドイツでは25分は遅れのうちに入らない。
ビーレフェルトには今回隣町スタインハーゲンでのコンサートを企画してくれたウルフガングと協力してくれた独日協会のペーターが迎えにきてくれていた。私と夏樹が滞在するウルフガング宅に。アリスターとスーはペーターの車でホテルに。ウルフガングの奥さんのシグリッドとも長い付き合い。ウルフガングはかつてビーレフェルトのクラブ、ブンカーウルメンウォールのアーティスティック・ディレクター。10年以上前にこのクラブを去ったが、彼の時代には素晴らしい内容のコンサートが連日聴けるインターナショナルなクラブだった。ドイツ内でも一番古いクラブの一つらしい。もう20年近い友人付き合いをさせていただいている。今回はスタインハーゲンの市役所でのコンサートを企画してくれた。夕方5時半にウルフガング宅でシグリッドが作ってくれた夕食をアリスターとスーも一緒にいただく。季節のグリーンアスパラ、ベーコンと卵の料理にじゃがいもを焼いたもの。どれも最高に美味しい。家庭の味は旅にあっては本当にありがたい。昼にあんなに食べたのに、またまたたくさんいただいてしまった。食後は会場まで歩いて行く。ドイツの落ち着いた住宅街、途中花と緑がいっぱいの公園を通り、ブラブラと20分ほどで会場に。市役所の2階にピアノのある部屋がある。今日は夏樹のトランペットに、今回初めてアリスターと1台のピアノを二人で演奏する、Trio Kira Kira プロジェクト。構成を話し合い、前半はソロ、デュオを即興で交互に行い、後半はKira Kiraのオリジナル楽曲を試すことにした。やってみたら、これが超楽しかった。二人で1台ピアノの時は、鍵盤だけでなく一人が内部演奏ばかりやってみたり、自由で可能性の広がる編成だった。小さな街でのコンサート、こんな音楽初めてというお客さんもたくさんいて、帰り際に興奮して声をかけてきてくれた。終演後は近所のレストランで軽くいっぱい。ドイツのグラスワインの量はとても多いので、夏樹が赤ワインを私は炭酸水を注文してシェアした。静かな街、スタインハーゲンでの刺激的な晩は、静かなウルフガング宅の深い眠りで締めくくられた。
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4:30、朝早く目が覚めるのは高齢だからまあ仕方がない。朝ごはんの後、ミズキちゃんとメールで今日のランチの待ち合わせを決める。ドイツ鉄道のストでのチケット返金方法を再度Dammtorの駅のオフィスにランチ前にミズキちゃんも一緒に行ってもらう。荷物を転がしながらDammtor駅まで。天気が良くて助かる。駅事務所前にはすでに列が。昨日ここでガセネタくれたドイツ鉄道のお姉さんが列の人に一人づつ説明しているが、なぜか私たちはスルー。早くきて並んでいてよかった。11:30から並んで待ち合わせ時間の12:00にミズキちゃんが車椅子を押してお母様も一緒に登場。昨晩のコンサートで疲れるかと思ったら、すっかり元気になっちゃったらしくて表情もいきいき。長蛇の列なのに窓口は一つしか開いていない。12:15くらいにようやく順番が。こちらのチケット購入方法(インターネットでアカウント作らずにゲストとして購入)を説明して、返金方法とその時期、それにレンタカーにしたときにその代金がカバーされるのかを聞いた。ややこしいのは、移動がフランスのリールからベルギーのブリュッセルを経由してドイツのビーレフェルトまでで、リールからブリュッセルまではドイツ鉄道ではないサイトで購入していること。そして私たちだけではなくオーストラリアからのアリスターたちの分も返金したいところ。乗客一人づつが全てそれぞれの事情があって、それを窓口で全て説明しているのだから、時間がかかるわけだ。答えはシンプルだった。書類出されて、「これに書き込んで送ってください。返金できるかどうかは知りません。レンタカーのカバーは全くありません。」仏頂面で説明されて45分待った挙句に書類を渡されただけだった。それでもミズキちゃんのおかげでその書類に行き着けた。駅からまたStephnensplaz の地下鉄駅周辺の繁華街に行く。結局毎日この辺りに来ている。今日のランチはベトナムレストラン。初夏の陽気のハンブルクの外テーブルでいただく。ミズキちゃんのパートナーのファインも来てくれて話が弾む。ミズキちゃんとファインの高齢なお母様に対する心遣いと優しい対応が本当に微笑ましい。スペイン語ドイツ語英語日本語が飛び交って、でもなぜかしっかり話が成立しているのも不思議。ランチ後、今度は近くのカフェでお茶にする。話は尽きないが電車の時間になり駅に。なんとホームまで見送りに来てくれる。もちろん電車は遅れている。しかも到着ホームにはなが〜い貨物電車が信号停止なのか全く動かずに占領している。この駅にはドイツ鉄道のホームは二つしかなくて、しかもそれは下りと上りなので、ここにしか入れない。でも、当然貨物がいるから入れない。どんどんと遅れが増して。今日が移動だけで仕事がオフで本当によかった。結局20分遅れて電車が到着。ドイツ鉄道にあっては20分くらいは遅れとは言わないようだ。ホームからみんな手を振ってくれて、また近いうちの再会を願いつつバイバイ。
着席してからアリスターにドイツ鉄道窓口での説明をメール。その後爆睡。1時間ほどで目がされたらアリスターの奥さんのスーからメールが。「ドイツ鉄道のストが回避らしい」という驚愕のニュース。こちらでもすぐにドイツ鉄道のホームページに行って確認。それでも信じられずにしばらくして検札に来た車掌に確認。満面の笑みで「ちょっと前に同意に至ったみたいです。私たちもついさっき知らされました」一昨日共演者のヴラトコの奥さんが労働者の10%の賃上げ決定後に経営陣の引き上げ幅がずっと多いことが判明。組合が再度賃上げ要求したという話を聞いていたから、これは組合側も少々では納得しないだろうなぁと思っていた。車掌さんに「じゃあ、給料上がるんですね?おめでとう!」と言ったらもう本当にうれしそうで「本当は3倍くらい上がってくれないと大変なんですけどね」と。1970年代まで日本でも毎年あった鉄道のストライキ、今は全くなくなったけど、何か別の交渉方法を見つけたのか。
ようやく今日の滞在地、ケルンに到着。スト回避でバカンスウィークの混み合いも心配なので、ケルン駅の窓口で火曜日の電車の指定席を予約。この窓口のおじさんも賃上げ決定のせいなのか超ご機嫌。駅前のホテルにチェックイン。部屋に荷物を置いてから急いでレストランを探し近所の韓国レストランに。パジョンとポークと野菜の炒め物。どちらも美味しく。久しぶりのキムチにも感動。ホテルでの朝食は買わなかったので、駅のパン屋でパンを買ってホテルに戻る。もう11時近い。依存症の夏樹は薬物きめてから、私はシラフでおやすみなさい。
写真はハンブルクのホテルの窓の高さと壁の厚さ。3メートル超の窓だからとても明るい。もちろんガラスは2重で壁の厚さは50センチくらい。これなら冬も暖かいわけだ。日本の貧弱な住居事情が悲しい。
5月14日(日)
例によって5時前には起床。のんびりと部屋で朝ごはん。コーヒーは部屋のインスタント。こんな日も時には落ち着く。荷物整理したりメールチェックしたりして9時にはホテルを出発。駅前だけど何が起きるかわからないドイツ鉄道だから早めに出発。駅で時間があるから反対側の大聖堂の前で二人で自撮り。駅に戻ると私たちの電車の情報の下にドイツ語のテロップが何やら出ている。これがわかるくらいのドイツ語力があれば便利なのに。いくらみてもわからないので、長い列のインフォメーションに並び、なんて書いてあるかわからないんですけどと尋ねたら丁寧に今日はホームで停まる場所が違ってあなたの車両はDセクションでお待ちください、と。昇給確定のせいかやっぱり上機嫌。ホームでは多くの人が右往左往。情報を知らないとトラブルのがホームのセクション。長いホームのどの場所に停車するのか電車によっても違う。結局10分遅れくらいで出発。ここで安心してはいけないのがドイツ鉄道。乗車後爆睡して目が覚めてみると「今日はブッリュッセル・ミディには行かずにノードに行きますので、ミディにはノードから乗り換えていってください」というアナウンス。一筋縄では行きません。インターネットでノードからミディの電車を調べたら山ほどある。ミディからリールまでの電車は1時間半くらい乗り換え時間をとってあるので、のんびり行きましょうということになり、10分後の電車に乗車。10分弱でミディに到着。もう駅前のレストランにランチに行く時間はないので、駅構内に何かないかと探す。この駅も頻繁に来るので大体様子がわかっているのだが、今回初めて寿司屋を発見。もちろんインターナショナルな寿司屋で、日本人だったら怒る人もいそうな内容。夏樹は巻き寿司セット、私はこれまた未知との遭遇な海老天が乗っている焼きそばをいただく。実に創造的で、私たちは結構こういうのを楽しめる。今回初めて出会ったのはベトナム生春巻きの皮を使った巻き寿司。素晴らしいアイデアだしとてもおいしかった。電車情報をモニターでチェックしてからホームに。乗車してから30分でリール・ヨーロッパ駅に到着。駅にはピーターが迎えに来てくれていて、いつものホテルに。
ちょっとのんびりしてから会場のマルテリーに向かう。マルテリーはピーターが代表とディレクターを務めるリールの音楽家団体が運営するクラブ。街からの助成を受けて運営している。これも日本じゃ考えられない。今夜は録音もしようという話で、会場にはもうマイクやら録音準備が全て完了していた。ピーターの仕事ぶりにはいつも感心する。ちょっとだけサウンドチェック。ピアノの状態がよくてびっくり。10年くらい前までここの会場はピアノを持っていなくて、ピアニストが来る時はわざわざピアノを借りていた。ヨーロッパにはそういう会場は結構ある。10年くらい前にヤマハの小ぶりなグランドを購入。コンサートを頻繁に開催しているクラブのピアノはまさに消耗品でよほどメンテナンスがきちんとしていない限り10年でボロボロになる。聞けば調律師が素晴らしく、実はビールの原料ホップの乾燥室だったこの会場の温度湿度環境がピアノにいいらしい。今日は日曜日なので5時半からのコンサートにベルギーからも国境を越えて常連さんたちが来てくれた。オーストラリアからロンドン経由で明日の共演者アリスターと奥さんのスーも来てくれた。終演後は久しぶりに会う友人知人としばらく談笑。ピーターの奥さんのリンダのおすすめレストランにKAZEの4人とアリスターとスーで夕食に。日曜日は空いているレストランが少なくてリンダでないといいアイデアはなかったらしい。街の中心地にあるワインレストラン。ヨーロッパでは大流行のナチュラルワインの品揃えが素晴らしく、私はお店の人のアドヴァイスで地元の白、夏樹はフルボディーの赤、ピーターとスーはオレンジ(?!)。オレンジはブドウの皮と種があるまま醸造して途中で皮と種を取り出すらしい。味も雰囲気も濁り酒っぽい。料理は無国籍の小皿料理で、全部で7種類。じゃあ全部とっちゃおうということになり、取り皿ももらっていただく。流石にリンダのおすすめだけあって美味しい。グリーンアスパラに味噌とマヨネーズのソースというのは、まさに私たちがよく作っているパターン。野菜のかき揚げっぽいのはタイ風のソース、ベトナムのお饅頭の中身は野菜、魚のカルパッチョにcoqueというアサリの小さいもののワイン蒸し風も超美味しい。お話上手のスーもいて会話は弾む。コンサート会場で南フランスの山間のまちがここ数年の洪水で橋はほぼ全て流され孤立して住めなくなっているとは聞いたが、もっと驚く話を聞いた。リールの街中、ここからすぐのところの家が土壌の水分が極端になくなり乾燥で一夜にして一軒崩れ落ち、寝ていた人が一人亡くなったということだ。以前、フロリダで土壌が水分でぐずぐずになり一夜にして家が崩壊という話を聞いたが、その逆のことが起きているらしい。地震もほとんどない中央ヨーロッパの200年とかの建物が崩壊する理由は異常気象の危機をそのまま物語っている。
食後はホテルに送ってもらう。ピーターとクリスチャンのホスピタリティーに感謝。今夜も依存症の夏樹は薬をきめる。
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5月12日(金)
朝は4時半に起床。薬飲んだ夏樹も飲まない私も同じ時間に目が醒める。5時間は寝ているからまあ大丈夫と起き出してメール確認。月曜日から一緒にツアーする共演者、オーストラリアのアリスターが今夜(オーストラリア時間)シドニーからヨーロッパに向かうので、機上でネットに繋がらなくなる前になんとかドイツ鉄道の移動を他の手段にできないかとメールの応酬。6時過ぎに一旦中断して朝食会場に。ドイツの美味しい朝ごはん。急いで食べて部屋に戻り、ミズキちゃんやリールのピーターの力も借りて火曜日のリールからビーレフェルトの鉄道移動のオプションを探る。リールから車か電車でブリュッセルまで移動したらバスがあるが、これが9時間かかる。移動するアリスター夫妻と私、田村の4人で最年少が私という高齢者グループ、それは無理無理。飛んだら?レンタカーは?と画策は続く。車でドライブなら5時間らしいが、レンタカーの値段が15万円とか出てくる。需要が高まって値段が高騰しているのかもしれない。あれこれネットで調べても「これ」という解決策が見つからない。もちろんストが回避できれば問題なく移動できる。ミズキちゃん情報では今夜スト決行かどうか決まるらしい。もう直接駅に行って話を聞こうということになり、昼前に歩いて10分のハンブルクダムトア駅に。オフィスの前にドイツ鉄道のお姉さんが立っているので、状況を説明してどうしたらいいのか聞く。彼女が言うには「ストライキは回避できません。日曜日16時のスト突入前にインターネット上でチケット返金を行ってください」それまで聞いてきたのはストライキ突入後旅行日になってからようやく返金手続きができるという説と真逆。何回も確認して、じゃあこれが正しいってことだと納得して近所にランチに行く。
どんな時でも食事は大事。私は季節のホワイトアスパラをいただく。アスパラが大好物の私としてはこの時期にヨーロッパの意義はアスパラにもある。夏樹はシュニッチェル。美味しい。付け合わせのポテトなんか悶絶もんだ。ミズキちゃんにオフィスでなんと言われたかとメールしたら、それはおかしい、ドイツ鉄道のホームページには出発日にならないと返金手続きはできないとある、と言う返事。あ〜もう何が正しいのか。アスパラガスが一番正しい。
いずれにしてもスト突入の日曜日16時までにはまだ時間があるからとケセラセラ。
食後はマンハイムからたまたまやはり演奏でハンブルクに来ているクラシックバイオリンの旧友のあっちゃんとカフェで待ち合わせ。お互いのコンサート前に久しぶりの再会。これまたマンハイムからのドイツ鉄道が1時間遅延で彼女はホテルチェックインも後回しで直接飛んできてくれる。ニューイングランド音楽院時代の友人で、その後同時期ベルリンに住んでいた時、私たちは彼女の子供たちのベビーシッター役もやっていた。音楽のジャンルは違っても、なぜか話が合う。ジャンルなんてある意味大した違いはなくて、本質は同じなのかもしれない。お互い入り時間が17時なので16時半にはお開き。
外は初夏の陽気。歩いて20分の会場まで向かう。この辺りはハンブルク有数の高級住宅地。街並みは美しく、おしゃれなお店がいっぱいで歩いていても気持ちがいい。Googleマップのおかげで簡単に会場に着く。今夜の会場はハンブルク大学のマルチファンクションスタジオ。ミズキちゃんの紹介でここで教鞭をとるヴラトコが大学のコンサート・レクチャーシリーズの一環で組んでくれた。ヴラトコがソプラノサックス、クラリネット、昨年共演したドラムのビョルン・リュッカーとパーカッシブダンスのミズキちゃん。レクチャーと言ってもヴラトコの質問に答えて話をするカジュアルな形。会場前にはヴラトコの奥さんが日向ぼっこしていた。「マルチファンクションスタジオはここですか?」と聞いたら、すぐに私たちだとわかってくれて、話が弾む。あたりの柔らかい素敵な女性で、ファッションデザイナーだそうでオンワード樫山の仕事もしたとか。あとからホールの鍵を持ってヴラトコ登場。ハンブルクで10年以上コンサートシリーズも企画しているミュージシャンで、教育家でもある彼はとても饒舌。そのコンサートシリーズはハンブルク市から助成も受けていて、ヨーロッパの文化への行政の厚遇さが伺える。会場は大学の音楽科のビルディングの地下。みんなでドラムやミズキちゃんが踊る厚めのベニヤ板を運び込む。ミズキちゃんのパートナーでパーカッションのファイン。ラジオタリファの創設メンバーでもある素晴らしい音楽家だが、今日はスタッフとして献身的に動いてくれる。ミズキちゃんはファインにはスペイン語、ヴラトコとビョルンにはドイツ語、私たちには日本語と英語と何事もないように使い分ける。セッティングして音を出して響きを確認。ヴラトコが今夜の進行を説明。本番まで1時間くらいあるので近所の大きな湖を散策する。2001年にNDR(北ドイツ放送局)の仕事でゲバード・ウルマンの楽曲をNDRビッグバンド用にアレンジした時にこの近所に泊まり連日この湖を散歩していた。今日は初夏の日差しでとても気持ち良い。2001年のそのNDRの仕事の時にお願いして田村藤井のデュオをNDRオーケストラも録音できる巨大な録音スタジオで録音したことがある。私たちの2枚目デュオアルバム「Clouds」はその大きなスタジオの余韻で可能にできた音楽だった。
会場に戻るとミズキちゃんの97歳のお母様がミズキちゃんのお兄さん、ニコラスが押す車椅子で登場。昭和30年代初めに渡欧して生きてきた多くのドイツ在住の日本人からの信頼と尊敬を集めるすごい人なのに、全く威圧感がなくとても可愛らしくてチャーミング。本番前の少しの時間談笑することができた。
田村藤井のデュオの演奏後、簡単な質問を受け、私が多弁すぎて時間が押してしまい、田村は話す時間がなくてうれしそう。そのあとは全員で演奏。今日は演奏もレクチャーもインプロヴィゼーションについてだった。大学内の会場にも関わらず多くの学生以外の熱心なお客さんに来ていただき、満席。お互いの音を聴き音楽を作っていく作業は国境も人種もバックグラウンドも関係なく、純粋に音楽を共有できる幸せな時間。演奏者も大満足な晩だった。終演後多くのお客さんがステージに詰めかけてまだまだ話が尽きない。
会場の後片付けをしてから近所のレストランでかるい打ち上げ。飲んでいる席でもドイツ語に変わらずにずっと英語で話すというドイツ人のすごい英語力。昼間は暑いくらいだったが、外のテーブルだとだんだん寒くなってきてお開きに。再会を約束してホテルに。明日はまた移動だけの楽な日なので今夜は二人とも睡眠導入剤を飲まずにベッドに。良い演奏も手伝って良い眠りにつけた。
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5月11日(木)
起きたらまだ電源ぶちぶちとオンオフ。どうも一晩中やっていたようだ。
昨晩買ってきたクロワッサンとヨーグルトで部屋で朝食。部屋にあるコーヒーメーカーでコーヒー淹れようとあれこれやってもワークしない。仕方ないから、フロントまで出向いて、一晩中起きていた電源の問題とコーヒーメーカーの話をする。「どうして昨晩言っていただけなかったんですか?快適に過ごしていただくのが私たちの使命ですから」だって眠かったんだもん。コーヒーはホテルのレストランで用意するからお持ち帰りくださいと。なんと同様の人が他にもいて一緒に行く。二人でカプートカプートと連発。ここからが大変。コーヒー持ってエレベーターに乗ってから部屋のカードキーを持ってこなかったことを思い出す。まあ、エレベーター同乗の人に頼んで2階を押して貰えば大丈夫と思ったら、なんと滞在階にしかワークしないキー。またフロントに行って事情話して部屋まで付き添ってもらう。今日も大変な1日になるのかなぁ….。
今日も恐怖のドイツ鉄道。定刻で動くわけはない。ゲスントブルンネン駅から中央駅に出てから乗り換えるので、一本前の電車で中央駅まで移動することに。中央駅で50分くらいあるからここでランチ。駅にあるケバブ屋さんでキョフテ(中東ハンバーグ)サンド。まあまあ。そしてハンブルグ行きのホームに。表示では5分の遅れ。5分くらいはもう定刻に感じられる。ハンブルグ駅に友人で共演者のミズキちゃんが迎えに来てくれることになっているので、彼女と連絡取り合いながらハンブルグのどの駅で下車するのか打ち合わせ。結局中央駅のホームで待ち合わせ。昨年6月にハンブルグで共演してるから約1年ぶりの再会。タクシーでホテルに。明日の会場はハンブルグ大学。ホテルもその近く。チェックインしてから大学のカフェでお茶。ドイツ語英語スペイン語日本語と堪能なミズキちゃん、このハンブルグ大学で日本語を専攻したらしい。フラメンコを教える仕事があるので、大学のカフェでバイバイ。
ホテルに戻ったら、まずは洗濯。夕飯どうしようかとiPhoneのマップで探していたら、日本人がやっている和食レストランを発見。ぶらぶらと歩いて行く。はりこんで握り「松」。とても流行っている店で予約なく入れたのはラッキーだった。寿司バーも含め、働いているのは全て日本人という海外では珍しい日本レストラン。
ホテルに戻ると火曜日のコンサートをオーガナイズしてくれているウルフギャングからメールが。日曜日午後4時から火曜日までドイツ鉄道のストライキ。またまたドイツ鉄道!私たちの火曜日のフランスリールからビーレフルトまでの電車が走らないかもしれない。どうして必ずトラブルが発生するんだろう。まあ、怪我したわけでもないからこのくらいは許容範囲。急いで共演者で一緒に移動するオーストラリアのアリスターにメール。バスがあるか調べる。あるバスは8時間9時間かかって、これじゃあ間に合わない。唯一の可能性がレンタカー。日本人の私たちの運転免許証ではヨーロッパ内の運転はできない。国際免許も用意してきていない。アリスターのオーストラリアの免許証では運転できるそうで、ストライキが回避できない場合はリールからレンタカーになりそう。明日、さらに調べてからどうするか決めようということになり、夏樹は薬をきめ、私はシラフでおやすみなさい。
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5月10日(水)
今日は移動日。のんびりとまずはベルリンに。そこで一泊してからハンブルグまで。今日はオフなので、2日かけて移動することにした。朝ごはんをホテルでいただいてから、部屋で荷造り。なぜか昨日から激しくアレルギー反応で鼻詰まり鼻水が止まらない。今日になったら夏樹までくしゃみしている。ここはまだ春先だからたくさんの花粉が舞っているのかもしれない。10時出発だから、少しのんびりできる。荷物整理、メールチェック。フロントに行くとオーガナイザーが用意してくれたタクシーがもう待っている。駅まで近いはずなのに工事で迂回迂回でようやくつく。早めに頼んでおいてよかった。ホームのインフォメーションを確認してホームに階段しかない。仕方なく階段で登ったら、先にエスカレーターがある別の通路があったようだ。定刻過ぎても電車は来ない。なんのアナウンスもない。15年前はポーランドの駅の時計が全て違う時刻を指していたが、今回はちゃんと同じ時刻。大いなる進歩!不安になる乗客、お互い「ベルリン行きですよね?」と確認を取り合っている。電車は20分遅れて何事もなかったように到着。座席番号を探して着席。結構混んでいる。今日はこの電車で7時間かけてベルリンまで行く。7時間といっても乗り換えないし、今夜は仕事ないしで楽なはずだった。途中のんびりレストランカーに行ってランチ、なんてあてこんでいた。まずは2時間くらい爆睡。目が覚めると夏樹が「この電車止まったままで全然動かないよ」その上、席だけではなく通路まで人が溢れかえっている。車内アナウンスでは60分遅れ。通路の人垣で食堂車どころではない。2時くらいにカバンに持っていた飛行機でもらったスナックとホテルからのオレンジで空腹を紛らわす。日本の夜中時間になったら、夏樹が爆睡し始めた。「快適な旅」というのをいつかはしてみたい。飛んでいるはずのwifiも繋がらず、ただただ諦める時間。結局80分遅れでベルリンゲスントブルネンに到着。駅前のはずのホテルはエスカレーターを使うと回り込む形で8分。暖かくてよかった。
とんでもなく今風のおしゃれホテルにチェックイン。荷物開けたら、もう7時半。ありがたいことにまだ外は明るい。ホテルのレストランで夏樹はハンバーガー、私はチキンシュニッチェル。どちらも軽くて美味しい。食後はあすの道確認もしながら周りをぶらぶら。
部屋に戻り、シャワー浴びてさあ眠ろうとしたら、不思議な現象が。電灯だけではなくテレビも携帯の充電もバチバチ入ったり切れたり。最初は廊下で誰かが主電源でもいじっているのかと思ったが、スイッチの入れきれの音は部屋でする。どうも部屋のカードキーを入れるスロットの接触のようだ。フロント電話する?とか話している時はもう睡眠導入剤服用後。えーい、寝ちゃえ!夏樹がすぐにぐっすり。私はなんとも眠れない。何しろいきなりテレビがついたり切れたり。起き出してカードキーを入れ直して押し込んでみたり。夏樹を起こしてもなんの解決にもならないから、仕方なく横になっていたらいつの間にか眠れたようだ。
写真は電車の車窓から。どこまでも続く菜花畑と農地。豊穣な土壌。豊かっていうのはこういうことだと思う。
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5月9日(火)
睡眠導入剤のおかげで5時間ぐっすり。8時半に起床、朝食会場に。美味しいパン、チーズ、ハム、それにニシンのマリネ、鯖のスモークをいただく。今風なのはビーツやニンジンのスムージー。部屋に戻り、さっさと洗濯。できる時に洗濯は旅の必須。お昼頃にリールから到着の共演者、ピーターとクリスチャンと一緒にランチしようと連絡を取り合う。彼らはブリュッセルから早朝のフライトでクラクフに飛び、そこから電車でカトヴィッツェに。外は寒いからホテルのレストランで夏樹はステーキ、他の3人は季節のアスパラガスをいただく。メニューにアスパラガスと卵とハムとあったので、てっきりセットかと思ったら純粋にアスパラだけ。ウエイトレスのお姉さん、英語が得意なポーランドとは思えない英語力。とにかくこちらがアスパラだけ注文したと思っていたらしい。じゃあ、もういいですと、ランチは3人はベジタリアン、夏樹はビーフィーター。彼らとは昨年11月に一緒にツアーしたから今回は半年ぶり。まあ、あまり変わりなく。半年なんか先週みたいな感じ。食後のんびりしてから会場に。歩いて数分の会場は地元カトヴィッチェのフィルハーモニーの本拠地で素晴らしいホール。さっさとサウンドチェック、ホールもピアノも素晴らしい。
本番前に建物内にあるレストランで食事。トマトスープ、チキン、デザート。まあまあ。田村はキャベツロール、なんと中におこわみたいなのが入っている。フランス人はもちろんワイン。本番は60分ワンセット。KAZEは10年以上共演しているカルテットだが、前回のイタリアのコンサートから完全即興で演奏し始めた。前回は大満足の演奏だったが、今回は正直なところもうちょっとなんか…..という感じ。即興はうまく行く時はとんでもなく素晴らしいが、いつも完全にコントロールできるわけではない。それが聴衆にとっていいかどうかはこれまた別の話で、そこが音楽の面白いところ。終演後、ロビーで販売CDにサインしていたら、お客さんから20年ぶりだね、と声をかけられる。前回はミネルバのバンドで来たよ、と言われ、あ〜と思い出す。Satoko Fujii Quartetで2006年11月に来ていた。夏樹が寝ていて、私一人で街に散歩に行ったことを思い出し、ブログを読み返すと記録が残っていた。
ホテルのバーでクラクフから駆けつけてくれたバリトンのパウリーナたちと打ち上げ。私たちは今夜も睡眠導入剤使いたいのでお茶で乾杯。
今夜のバラはステージでいただいたバラ。
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5月8日(月)
ゴールデンウィーク明けの世間、祝日も土日も関係ない私たちは今日からヨーロッパツアー。早朝のフライトで神戸ー東京、東京ーフランクフルト、フランクフルトーカトヴィチェの長旅となる。朝5時前にアラームなる前に起床。強風だがフライト変更のメールは届いていない。
ツアー、その道中も色々とあるが、実は出発前の準備が結構大変。何せ冷蔵庫のものを食べ尽くさなければならない。1週間前からカウントダウンに入り、買い物とメニューの調整。今回はかなり上手くいき、昨晩一回だけウーバーイーツでオーダーする以外は全て通常通り料理して調整できた。出かける時のチェックリストを片手に戸締り、火の元、電源、電灯、ガス元栓と確認していくが、いつもながら何か忘れている気がして不安。
タクシーで神戸空港に。空港ビルがオープンするのを待って、チェックイン。昨日から国際便のルフトハンザラインチェックインが航空会社直接の予約ではなく搭乗券が出せずに苦労していたが、ここでは一応搭乗券はもらえた。が、座席の変更ができない。羽田まで満席。連休明けのサラリーマンがたくさん乗っている。私は離陸も知らずに熟睡。着陸前は強風のためかかなり揺れた。機内アナウンスでは「飛行機は揺れても安全です」ふぅぅぅん。
羽田で国際線乗換の表示を信じて3500歩ほど歩くも、なんとシャッターが閉まっていて先に行けない。看板があって「コロナ感染症のために当分の間国際線は第3ターミナルからの発着になります」ここは第2ターミナルだから、シャトルバスに乗らないといけない。時間が充分あってよかった。ルフトハンザのフランクフルト行きはかなり遅れるそうで、カウンターもまだ空いていないが、前のミュンヘン行きのチェックインカウンターに行き、座席を変更してもらう。そんなにスペースはないが前が壁のバルクヘッドには変更してもらった。長時間フライトだから少しでも楽な方が助かる。が、これまたほぼ満席だそうだ。出国手続きしてANAのラウンジに。ここもほぼ満席。3時間潰してゲートに。さらに遅れていて、なかなか搭乗できない。ようやく搭乗。これまた満席。機内は約50%のマスク着用。さあて、長いフライトとなる。今やヨーロッパはロシア上空飛べないためにアメリカ東海岸に行くのと同様の長旅。搭乗後は早速熟睡、離陸知らず。食事以外はほぼぐっすり。気がつくと後6時間半。じゃあ、映画でもとモニター出したら故障している。では仕方ないとまた休む。10時間を超えるフライトは「諦める」以外にすべはない。
さて鬼門のフランクフルトに到着。私たちはこの空港でのトランスファーで何回も悪い経験があるので、ドキドキだ。降機時になんとフライトアテンダントからいきなりバラの花をいただく。なんかうれしい!一輪の花の威力はすごい。機内食の不味さも許しちゃう。フランクフルトでポーランドカトヴィッチェ行きのフライトに乗り換える。東京からのフライトが遅れていたから、急いでパスポートコントロールを通りゲートに。なんとこちらも遅れていた。カトヴィッチェに着くのは夜中になるから搭乗前に夜食と水を買い込む。そこで、キャッシャーのお兄さんにバラの花を差し上げる。それまで仏頂面で接客していたお兄さん、いきなり満面の笑顔!今の社会に一番必要なのは、兵器でもそれを使う法整備でもなく、一輪の花なのかもしれない。
カトヴィッチェ、寒いです。日本の冬の気温。ランダムの税関チェックに引っかかってしまう。すぐに済んだが、45分の遅れでドライバーを待たせているので気が気ではない。出口にはサインを持って寡黙だがナイスなドライバーが待っていてくれた。ポーランドには2000年くらいから頻繁に演奏に来ているが、この20年での変化には目を見張るものがある。今はドイツにいるのかポーランドにいるのかわからない。が、いまだに多くの都市で空港から街までの道がまるで農道。全く混んでいないからいいが、真っ暗な農道を走っているとちょっと不安になる。
自宅を出てから27時間。カトヴィッチェのホテルに無事到着!
夜中の3時半までにゴソゴソ荷物を片付けたりして、早速に睡眠導入剤でおやすみなさい。
フランクフルト空港で。
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それぞれのセットの簡単な説明を。
1セット目はまさに1997年帰国時に結成したSatoko Fujii Orchestra Tokyo。その当時のメンバーの半数近くが今もメンバーという長い付き合い。藤井の癖のある楽曲を難なくやっつける強者たちは、世に言う一糸みだれぬアンサンブルなどというものとは根本的に違う、根底の価値観を共有してそれぞれの表現を自由にぶつけ合うカオスの力と美。ワクワクドキドキ連続のその演奏は、コロナ禍での休演もあり、今回実に3年ぶりの共演。この25年の間には、最高の共演者のケリー·チュルコや木村昌哉をなくすという辛いこともあり、今回のライブではそれぞれに捧げた楽曲も演奏予定。
再演が楽しみ!!
2セット目のトリオ、This is It!について。このトリオの前身はSatoko Fujii New Trio (トッド·ニコルソン - bass, 井谷享志 - drums)でした。CD"Spring Storm"リリース後にライブでトランペットの田村夏樹が入って、よりカラフルに。このカルテットはSatoko Fujii TobiraとしてCD"Yamiyo Ni Karasu"をリリース、南米北米ツアーもやって充実してきた頃にトッドがニューヨークに戻ることに。それでもトッドの不在なトリオ、Tobira - one (トビラ マイナス ワン)として活動していましたが、マイナスワンもちょっとなぁと、2018年にCD "1538"をリリースするときにThis is It!と命名。カナダやアメリカツアー、日本ツアーもやっているうちにコロナ禍に。それでもインターネットでのセッションをCD”Mosaic”として2021年にリリース。なんといっても、パーカッションの井谷享志が相当な役者なので、何回共演しても新鮮、いつも聴き手も巻き込む臨場感。どうか是非体験しにいらしてください。
3セット目のSatoko Fujii Quartetについて。このカルテットは2000年くらいから8年ほどの間に5枚のアルバムをリリース、国内外で活発に演奏しました。ドイツで30日間オフなしでツアーなんてことができたのは、もちろん時代のせいもありますが、このバンドの人気が高かったところも大きいと思います。で、今回、久々にCDを取り出して聴きました。いやぁ、びっくり!!無茶苦茶かっこいいです!!潔さ、けれん味のなさ、しびれました!本当に久しぶりのライブはリリースした5枚のアルバムから一曲づつ選曲しました。田村夏樹、早川岳晴、吉田達也、みんなもう熟年の今、どんな演奏になるのか….。私自身が超楽しみです。
ここでちょっと休憩してから夜の部に続きます。
夜の最初のセット、この日の4セット目Trio SANについて。この日のどのユニットよりも結成してからの日が浅い。昨年6月にFutariというデュオユニットで共演していたベルリン在住のヴィブラフォン奏者、齊藤易子(さいとうたいこ)さんの呼びかけでフランスストラスブール在住のドラマー、大島祐子さんとのトリオが結成された。6月にヨーロッパツアーを行い、私と大島祐子さんはその時が初共演。でも15年ほど前にストラスブールで演奏した時にお会いしていて、その後もヨーロッパ各地でお噂を聞いていたので、とても初めてとは思えなかった。もちろん、彼女のオープンなお人柄のおかげもある。ヨーロッパツアー初日はイタリアのパドヴァで本番前に2時間もないリハーサル。3人が持ち寄った新作それぞれ2曲の6曲。割とディテイルに踏み込むリハーサルだったが、すぐにこれはうまくいくと確信できた。私はアメリカで学校に行き、そのあとはアメリカ、日本、ベルリンとフラフラ。易子さんはベルリンで学校に行き、祐子さんはストラスブールで学校に行き、それぞれの地でしっかり根ざして活動をしている。全く違う道を歩んできて、ここでこうして出会えて共通の言語で表現できる喜び、面白さは格別。たまたま3人とも日本人女性。世代は違うけれど文化的バックグラウンドは共通のものがある。6月のヨーロッパツアーでは、ベルリンでのJazzdorフェスティバルの録音がJazzdorのレーベルから10月にリリース予定。でもそれまではライブに聴きにいらしていただく以外はSANの演奏には触れられません。15日ピットインのあと、SANは日本ツアーもあります。
夜の2セット目、この日の5セット目はSatoko Fujii Tokyo Trioです。結成はコロナ前、さてそろそろ録音と思っていた頃にコロナ突入で活動が滞ってしまいました。それでも2020年9月のピットインでのライブを録音デビューCD「Moon on the Lake」としてリリースしました。何せ、共演者のベースの須川崇志さんとドラムの竹村一哲さんが超売れっ子なので、スケジュールが合うのが難しい中、昨年秋にはヨーロッパツアーを行いました。各地で高い評価を得て、フィンランドのフェスティバルTampere Jazz Happeningではイギリスの雑誌Jazzwiseにフェスティバルのハイライトとまで評されました。ピアノベースドラムのジャズでいうところのピアノトリオですが、ピアノトリオと考えて結成したわけではありません。この方達とというインスピレーションです。3月には広島、岡山、神戸、愛知と国内ツアーして、第2作目の録音も予定しています。演奏していて楽しくてたまらないユニットです。その楽しさ、絶対に伝わる演奏になります!
そして最後のセットが「お年玉バンド」です。一応田村が書いた曲をやってますが、メンツを見て貰えば一目瞭然。全員一癖も二癖もあるベテラン揃い。超シンプルなモチーフだけ用意していっても絶対面白く素晴らしい音楽にしてくれます。意図してそのユニット名をつけた訳ではないけど、何故かこのメンツが揃うのは1年に一度、この「昼夜ぶっ通しあれもこれも」だけ!! どうぞこの機会をお見逃しなく。むっちゃ熱いです!!
1月15日(日)
新宿『ピットイン』03-3354-2024
田村夏樹、藤井郷子「あれもこれも」
14:00 open
1) 14:30~15:20
Satoko Fujii Orchestra Tokyo
早坂紗知 - alto sax, soprano sax, 泉邦宏 - alto sax
松本健一、藤原大輔 - tenor sax, 吉田隆一 - baritone sax
田村夏樹、福本佳仁、渡辺隆雄、城谷雄策 - trumpet
高橋保行、古池寿浩 - trombone
永田利樹 - bass, 堀越彰 - drums
2) 15:30~16:20
This is It!
田村夏樹 - trumpet
藤井郷子 - piano
井谷享志 - percussion
3) 16:30~17:20
Satoko Fujii Quartet
田村夏樹 - trumpet
藤井郷子 - piano
早川岳晴 - bass
吉田達也 - drums
ーーーーーーー
18:00 open
4) 18:30~19:20
Trio SAN
齊藤易子 - vibraphone
藤井郷子 - piano
大島祐子 - drums
5) 19:30~20:20
Satoko Fujii Tokyo Trio
藤井郷子 - piano
須川崇志 - bass
竹村一哲 - drums
6) 20:30~21:20
お年玉バンド
巻上公一 - voice
田村夏樹 - trumpet
広瀬淳二 - tenor sax
藤井郷子 - piano
ナスノミツル - bass
芳垣安洋 - drums
1部2部の通し券:前売¥5,500+税 当日¥6,000+税
(1部2部それぞれワンドリンク込)
1部:前売¥3,500+税 当日¥4,000+税(ワンドリンク込)
2部:前売¥3,500+税 当日¥4,000+税(ワンドリンク込)
*1部終了後、受付処理上、通し券のお客様も一旦ご退室をお願い致します。
◎12/1(木) AM11時より、店頭販売、電話(03-3354-2024)、またはホームページの各公演日のチケット予約フォームから、チケット(予約可、開場時優先入場整理番号付)前売開始。
東京都新宿区新宿2−12−4 アコード新宿B1
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11/16(水)~11/18(金)
朝食に行き、ジョーとエミルにご挨拶。部屋に戻り、日本にすでに帰国している夏樹の助言でミュンヘンの空港ホテルに移動することにする。そこで発症から十分の日数をまち直行便片道を買って帰国。経済的には痛手だが、一番体には負担が少ないし他者との接触も最小限にできる。荷物をまとめて空港ホテルにUberで移動。ありがたいことに症状はほとんどない。時々咳き込むくらい。空港ホテルは部屋も広く、何よりも暖房がしっかりときいていてうれしい。昼前なのにすぐに部屋を用意してくれて、部屋に入ったらなんかどっときた。スケジュールを敢行できなかったのは悔しいが、過酷なスケジュールから解放されたのは助かる。とにかく休憩休憩。起きたり横になったり、ホテルからは出かけないで3日間ホテルで過ごすことに。18日のフライトで戻れることになり、ホテルから空港まですぐ、そして東京までひとっ飛びで楽なフライト。東京のアパートで2泊してからのんびりと神戸に帰宅。とんでもないエンディングとなってしまったが、Covidも悪化せずにこれ本当に陽性なの?というほどの軽症で助かった。3年間、感染せずに頑張ったのに、ここで敢えなく感染は悔しいものがある。長くてハードなツアーでしたが、改めて共演者や主催者、そして支えてくれた夏樹に心から感謝。そしてとにかくCovidを長引かないようにこじらせないように十分に養生のツアー後でした。
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11/15(火)
夜中数回目覚めるが、また眠れて、朝5時までは割とぐっすり。まあ、歳考えるとこんなもんでしょう。5時にまだ寝ようとしたが無理なので、起き出して顔洗ったり荷物整理したり。6時半になったので1階の朝食会場に。もうジョーが来ている。高齢者デュオなので朝が早い。大好きなドイツ朝食も毎日食べていると飽きてきた。部屋に戻りメール仕事。
あと仕事5本、一週間したら帰国。乗り切ろうと自ら叱咤激励。ツアーに出ないとツアーに行きたくて仕方ない、で、ツアーに出ると家が懐かしい。これはみんなそうみたい。
9:50にタクシーの迎えが来て駅に向かう。今日は都会のミュンヘンだ。また鬼門のエアフルトで乗り換え。そんなに寒くなくて大丈夫。時間があるので駅に入っているアジアレストランでビーフと野菜炒めのオーバーライス。野菜がたくさん食べられるのがうれしい。昨日発熱しているので十分に用心してマスクはずっとつけて手指の消毒も神経質なくらいに。ミュンヘンに着くと主催者のハネスが迎えに来てくれていた。彼には昨晩発熱したことを話してあり、駅からホテルに向かう途中PCR検査にもよってもらった。ミュンヘンは感染者もマスクさえしていれば普通に仕事にも出かけていいし、もちろんコンサートで演奏してもいいそうだ。とはいえ、やはりきっちりとPCR。薬局での検査は、担当のお姉さんの緊張感ゼロ。一応マスクをポケットから出してしたが、至近距離で話し込まれたりしてこちらがドキドキ。結果はメールで明日までにはと言われ、そこからホテルに。ミュンヘンはちょうど大きなコンベンションか何かが開かれていて、普通のホテルは全く取れずに今日のホテルはカソリック教会センターみたいなところに併設のホテル。ベッドの上には十字架が、部屋の書庫には聖書関係の書物が。まずは懺悔からか….。
1時間くらいでハネスが迎えに来てくれ会場に。今日はエミルという初めて共演するドラムも入る。セッティングして簡単なサウンドチェックして、近所のイタリアンに食事に行く。私はきのこのパスタ。久しぶりのイタリアンを堪能。会場に戻り、ハネスの希望で2セット。エミルのドラムも気持ちよく、のびのびと楽しんで演奏できた。演奏後、片していたらPCRの検査結果がメールで届いた。ドイツ語じゃん。でもなんとかログインしてわからない言葉を追っていたら、positivと出てきた。ウソ!今日は体調悪くないのですが….。ハネスに念のために読んでもらう。なんと、やはり結果は陽性だった。さてさて。どこも悪くないから全く危機感がない。私だけタクシーでホテルに戻り、明日からのことをどうするか悩む。が、しかし、移動演奏のハードスケジュールの上、多くの人に接するのは避けた方がいいと、これは感覚で思える。あと4本の仕事を申し訳ないが全てキャンセル。とにかく今は十分に眠ってから明日他のことは決めようと思っても、やはり緊張のためか一睡もできない。
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11/14(月)
寝たり起きたりして、朝7時半になる。起き出して熱を測ると37度、解熱剤がきいてこの体温だから、やっぱり熱があるのだろう。再度抗原検査をやってみる。気持ちが少し落ち着いて、じっくりと英語のインストラクションを読み注意深く行う。やっぱり陰性。どうもCovidではないようだ。未だ他の症状はない。起きて朝ごはんに。ジョーがいて心配してくれている。ジョーは昨晩もお茶を持ってきてくれたりしていた。朝食いただいて部屋に戻り、また解熱剤。それで思い出す。過去に2回くらい、すごく寒い思いをして原因不明の発熱したことがある。今夜は仕事。昼間はずっとのんびりしよう。と思いながらもメールで溜まった仕事等をこなさなければならない。私たち、セルフマネージメントのミュージシャンは、水面下のこの仕事が実は一番大変。
昼に外出は怖いので、また下のホテルのレストランでトマトスープとミントティー。体が温まり、汗が出てきた。いい調子!
16:50にタクシーが迎えに来るというので、仕事やりつつ出かける準備しつつあっという間にお迎えです。拉致されて会場に。会場でセットアップと簡単なサウンドチェック。じゃあ、ディナーだねと言ったら、主催者、この辺りには何もないんだ。ハァ〜??契約書にはディナーも書いてある。じゃあどうするの?こういう交渉はジョーがお手のもの。それならホテルに戻ってホテルのレストランでということになり、またタクシーでホテルに戻る。じゃあ、食べてからくればよかったのに。よくわからない。このオーガナイザーの仕事、私は初めてだがジョーは15年くらい前にやったことあるらしい。正直、かなり変わってます。結果、私は昨晩から毎食このレストランで食べている。美味しいからいいけど。今夜はセロリのシュニッチェルというのをいただく。ドイツでセロリといえばセロリの茎ではなく根の部分。大かぶみたいな感じ。それをパン粉つけてフライにしてある。美味しかったです。食後部屋に戻ると、なんかまた顔がほてってくる。熱はそんなにないが、解熱剤を飲んでおく。
19:30にまた拉致される。会場に戻るとすでにお客さんがきている。控え室で用意をして、今日は長めのワンセット。会場は郊外の一軒家で天井の高い昔の建築の家はとても風情がある。今回のデュオ3本の最終公演、2人ともすっかり以前の勘を取り戻し、気持ちよく演奏。10時過ぎにはホテルに戻れて今日はゆっくり休める。まだ完全に体調が戻ったわけではないので助かる。さっさとシャワー浴びておやすみなさい。11時過ぎでした。
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11/13(日)
今日はオフ。移動だけだから気が楽。駅まで昨日の主催者が送ってくれる。寒くなってきたからありったけの服着たのに陽がさして小春日和。駅でぼーっと電車を待つ。何せ1時間に一本の電車でまずはエアフルトというこの辺りでは大きめの街に出なくてはいけない。小一時間でエアフルトに着くとあんなに暖かかったのが嘘のような寒さ。この辺りは山が多くて、それで気温とかが変わるよう。急ぐ旅じゃない、駅でなんか食べてから乗り換えようということになり、魚のフライのサンドウィッチ。それにしても半端でなく寒い。ランチ後は乗り換え電車に乗車。今日の行き先はイエナ。ところが、イエナなんたらという駅からまた乗り換えて3分乗って別のイエナパラディースという駅に行かなくてはいけない。さらにそこからタクシー。ジョーはベース(飛行機用のケースに入っています)を持って駅の階段上り下りは超大変。そこで、2人で最後の乗り換えは無視してここでタクシーを呼ぼうということになる。ジョーはタクシー呼ぶくらいのドイツ語はできる。で、タクシーでホテルに移動。私はブーブーと文句を言っている。なんで主催者が迎えにこないの?あまりのホスピタリティーのなさじゃない?!この寒い駅で外でタクシー待つこと10分。タクシーにベースを積むのが大変。でもドイツの素晴らしいところは、タクシーの運転手は一つも嫌な顔をせずに対応してくれるところ。ようやくホテルに着いてチェックイン。6時にホテルのレストランでディナー。なんか熱っぽい。顔がほてるし、また咳が出始める。私は寒くなると気温の変化についていけずに咳喘息を起こし、暖かくなるまで治らない。いつもステロイドの吸引をもらう。それ以外に咳を止める方法はない。ただ、数年前にそんな状態で石垣島に行ったらいっぺんで治った。つまり寒いところは苦手なようだ。部屋に戻り熱を測る。こりゃ、まずい!!普段は36度前半なのに37度3分ある。パニック!ジョーに電話して熱あるCOVIDかもと知らせる。COVIDだったら私は当分演奏をキャンセルすると話す。きてくださるお客さんの多くは年配の方だ。うつしたくない。持参している抗原検査でまずテスト。陰性とでた。ちょっと胸を撫で下ろす。でも熱はどんどん上がり7度8分に。持参した解熱剤を服用してシャワーで体を温めてからベッドに入る。でも、足は冷たいまま。なかなか眠れない。寝なくちゃ!!早朝起きてきた夏樹をラインで捕まえて、どうしよう?と話す。まあ、明日の朝まで様子を見るしかない。今のところ、頭痛や喉の痛み、だるさもない。熱とちょっと痰が絡むくらい。iPhoneで聞こえないくらい小さな音で音楽をかけて落ち着こうと試みる。
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11/12(土)
朝9:45にホテルに迎えが来て駅に移動。10:26のヴィースバーデン発の電車に乗り込む。出発は定刻だったが、発車した途端に信号待ちで20分以上の遅延。そういえば、ホームに二つ時計があり、一つは1時間遅れていた。ジョーと2人で遅れている時計がドイツ鉄道用だと笑っていたが、冗談ではなく見事に遅れる。今日は3時間ちょっとの駅エルフルトで乗り換える。乗り換え時間が1時間くらいあるので、そこでランチと話していたが、遅れているので食堂車でランチにしてしまおうということになる。私はまたまたチリコンカルネ。ジョーはベースが心配でテイクアウトして座席に戻る。付き合えば付き合うほどこのジョーという人、直球の情熱家。彼は私の前の席に座っていたが、ヘッドフォンで画像を見ている。しばらくして彼の隣の人が席を移動した。ヘッドフォンしているからうるさくはないはずだ。ジョーはイラク戦争に兵隊で行った人の内部告発のビデオを見ていて、あまりの戦争の悲惨さに泣き出してしまったらしい。隣のおじさんにそれでちょっとこの人やばいと思われて、移動されたそうだ。いく先々で話が弾むジョーは、人の話を聞き出して真剣に耳を傾ける。常に半端でない好奇心を持ち、何にでも誠実に向き合う。頭が下がる。エルフルトで乗り換え、イルメナウまで向かう電車に乗り換える。トラベル用とはいえ大きなベースを持っての旅は私よりも高齢で体格も私ぐらいのジョーには大変な作業だと思う。でも彼はそれを厭わない。
エルフルトで乗り換えた電車はイルメナウなんたらという駅に着き、私たちは間違ってそこで一旦下車。ドアが閉まる前に他の乗客に再確認したら、次がイルメナウとのこと。急いで車内に戻る。
イルメナウに来るのは2回目、16年ぶりだ。ドイツ人に聞いてもほとんどみんなイルメナウという街を知らないし、電車内の地図にも乗っていなくて、”The Town that You don’t see on the Map”という曲を書いた。その時の印象もすごく良かった。ずっと戻ってくることを夢見ていた。
駅には主催者のレネが迎えに来てくれている。車中でもうジョーが彼の生きてきた体験を聞き出している。壁崩壊前に東ドイツから西側に子供2人連れて全財産を投げ打ってやってきたそうだ。とにかく子供たちを抑圧された空気の中で育てたくなかったという気持ちが彼も奥さんもあって危険な賭けに出たらしい。レネは物静かだが饒舌で話が止まらない。続きは夜に会場でということで、ホテルまで送ってもらった。この町は車内に何をおいてもドアロックもしないで問題ないというパラダイス。人々は皆物静かで暖かい。ホテルも質素だが清潔、ここには資本主義がまだ浸透していないんじゃないかと思うくらい。ただやたらに大きなテレビが部屋にある。1時間後にまた迎えにきてくれてまずは会場近くの地元料理のレストランに。おすすめのジャガイモのダンプリングとポークの厚切り。典型的なドイツ料理です。洗練されてはいないけれどお母さんの味みたいな温かい感じ。レネが注文したのがまるでオムライス。中身はご飯じゃなくてじゃがいもというところだけが違う。お腹いっぱい食べて会場に。今夜は小ぶりだが素晴らしいスタインウエイでうれしい。ピアノが良くて部屋の鳴りが良ければほぼ間違いなくいい音楽を作れる。時々控え室にスタッフがやってくるが、みんな物静か。旧東側の人たちはいまだに独特の雰囲気がある。レネは一旦西側に行ってから、壁崩壊後ここに戻ってきたらしい。ジョーは楽屋に入ってくる人全ての名前を聞いて彼らの話に耳を傾ける。なかなかできないことだ。すごい才能だと思う。みんな、彼のことを好きになるわけだ。
時間になって2セット演奏する。素晴らしく気持ちよく演奏させてもらった。聴衆もとんでもなく楽しんでくれた。赤ワインをちょっといただいて部屋に戻る。ロシアのガスのカットの影響か今ひとつ部屋が暖まらない。その上、喉が痛くなってきた。どこかでウイルスもらった?急いでシャワー浴びてホッカイロ出して風邪薬きめる。11時過ぎにベッドに入ったのになかなか眠れずに1時頃にiPhoneで音楽を聴きながらリラックス。2時前には眠れたようだ。
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11/11(金)
今日はTokyo Trioの須川さんと一哲さんは帰国の途に、私はこのあと8つのコンサートをベースのジョー・フォンダとやるために電車でドイツに向かう。Uberで中央駅まで行き、須川さん一哲さんにはそこから空港まで10分の電車での予定だったが、ホテルのフロントでトラムで中央駅が楽でいいと勧められる。じゃあそうしましょうとトラムの駅に行き、窓口で中央駅1枚、空港まで2枚のチケット購入。トラムに乗って2駅目でなんかアナウンスとモニターでここが終点とか言っている。仕方ないから下車してみんな歩いていく方に歩いていく。でもここは中央駅にはまだまだのところのはず。これは間に合わないかもしれないと急遽その場所でUberを呼ぶ。そして今度はいきなり渋滞に巻き込まれる。こりゃ間に合わないかもしれない。カタコトのドイツ語で私の電車は10:59で出ます。と話してみる。運転手さんすごくいいひとで、大丈夫と言いつつ飛ばしてくれた。直前に駅につきホームを確認して電車に飛び乗る。間に合った!
ここからまた緊張の一人旅。チューリッヒからマインツまで行き、乗り換えて今日の演奏地、ヴィースバーデンに向かう。指定してある車両の指定席に行こうとするものの、車両番号は乗車しちゃったら中には書いていない。車掌が来たのでどこか聞いたら、空いているから好きなところに座ったら?と。なんだせっかく有料の指定席取ったのに。適当に座ってしばらくしてからランチに食堂車に向かう。1人だと荷物も心配。食堂車でタイカレーを注文。それなりに美味しくてよかった。食後はエスプレッソ注文してのんびりしていたら、食堂車でまどろんできた。まずい、乗り過ごしたら大変。座席に戻りトイレに行き、下車の準備をしているとジョーからメールが入る。彼はベルギーから電車でマインツに向かっているのだが、ずっと先に着くはずだった彼の電車が遅れてマインツからヴィースバーデンが同じ電車になりそうとのこと。まだこちらの電車はその時点では奇跡的にオンタイムだった。ところがヴィースバーデンの駅に近づくにつれてどんどんスピードが落ちていく。やっぱり奇跡は起きない。それでも乗り換え電車には余裕で間に合って、ホームでジョーと会える。もう大丈夫。ジョーは旅慣れているしドイツ語も話せる。何せすごい社交的な人でどこでもやっていけるタイプ。あとはジョーについていけば大丈夫。マインツから一駅でヴィースバーデンに。主催者の1人ウルフガングが迎えにきてくれていて車でホテルに。チェックイン後1時間くらいでまた迎えにきてくれて会場に。ここでは2006年に演奏したことがある。その時は会場が違ったが、今回の会場は新築の音楽学校のホール。ピアノも新品だが、なりすぎて今夜がちょっと心配。セッティング後、夕食に。タイレストランで2人ともドイツ人が大好きなエンテ(鴨)をいただく。これはクリスピーで超美味しかった。
ジョーとのデュオは3年以上やっていない。最初のセットはほとんどリハビリ。全てインプロなんだが、なかなか勘が掴めない。2セット目はそれぞれのソロをやってからデュオ。なんかようやくのびのびと演奏できた。終演後はホテルに送ってもらってさっさと寝る。もうお酒も睡眠導入剤もやめている。調子が戻って喉も痛くないし夜も眠れるしで楽になってきた。
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11/10(木)
さあ、のんびりできる!!今日は夕方16:30にロビーでメンバーと待ち合わせて会場に行くまで何もない。オフでも移動がある時はかなり大変なことが多いから、移動なしで仕事だけの方が楽。四つ星ホテルだけど、朝ごはんがついていないので、道路を渡ったところにあるスーパーにオープンを待って朝食を買いに行く。Migrosというスーパー、Bioも充実しているし素晴らしい!!電車移動中に他にも見えたからスイスでは大きなチェーンなのかもしれない。どこにいてもスーパーは楽しい。観光には興味ないが、スーパー巡りは大好き。パンとヨーグルトとりんごを購入。今回のスウェーデンもスイスも現金両替せずに全てカードで対応できる。便利になったものだ。ユーロになった時もかなり便利になったが、現金そのものが必要でなくなっている。中国でも現金が使えるところは少ないと聞いたことがあるが、もうすぐ現金ってなくなるのかもしれない。
部屋で朝食食べて、あとは事務仕事に追われる。メールの返事は溜まっているし、山ほどやらなくてはならないことがある。12月に予定している100枚目のリーダーアルバムのリリース関連だけでも一日中やってもとても終わらない。昼にまたMigrosにいき、ランチを調達。チキン半身の焼いたものとサラダを買ってきて、ついでに明朝の朝食も買い、部屋でランチ。結局夕方会場に行くまでずっとパソコンの前で働く。メンバーとはメッセンジャーで連絡を取り合う。早起きで散歩好きの一哲さんはもう会場近くまで歩いて行き場所がわかったらしい。
16:30にロビー集合。私は右も左もわからないのでついていく。歩いて10分くらいで着いたところはベルリンにもよくある中庭を通り裏の建物のさらに裏にありサインもなく知っている人しか行けない場所。なんとか辿り着く。会場には主催者のペドロがすでに来ていた。ペドロの仕事をするのは初めて。実は彼とのディールはすごく大変だった。メールで連絡しても返事がなかなか来ない時が多々あり、最後は結局電話。かなり疲れた。会ってみると超陽気なおっさんで悪気はゼロ。今夜は2バンド、私たちは最初のセット。あとのセットのドラムとエレクトロニクスのデュオの人たちが先にサウンドチェック。ブラジル人の2人はベルリンに住んでいる。ノイズがのってしまっていて大変そう。電気楽器って大変だと思う。私たちのサウンドチェックは楽。ただ今夜はCDに入っていない新曲中心のプログラムにしたので構成とか確認する。
サウンドチェック済んだらみんなで食事に。大きなレストランで、主催者おすすめのこの辺りの名物料理をいただく。じゃがいもの千切りをフライパンでパリパリに焼いたのとポークとマシュルームのグレービーソースみたいな料理。なかなか美味しかったですが、結構ヘビー。主催者が先に会場に戻ったあと、出演者5人で、どうやって戻るかわかる?私は全然わかりません。iPhoneをネットに繋いで地図出さない限りは戻れない。昼まで散策して土地勘つけている2人の若者の後について行きました。
会場にはたまたまシカゴから来ていた友人のアランが来てくれていて、久しぶりの再会に話が弾む。彼とは2006年に知り合ってから、シカゴ、日本、ベルリンで一緒によく遊んだ仲。演奏が終わったあとはチューリッヒのアルトプレーヤーでパンデミック中にスイスの助成金を受けて一緒に作曲するというプロジェクトをやったヨナス、そしてだいぶ前にチューリッヒでインタビューしてくれたユルグも来てくれていて話が弾んだ。あとのセットはベルリン在住のブラジルの2人。ドラムとエレクトロニクス、とても心地よかった。この晩も日本だったらあまり組まないようなジャンルの違う音楽を組んでいた。これってある意味、大事かもしれない。聴衆にとっては新しい音楽に出会うチャンスにもなる。が、20年近く前にアムステルダムのビムハウスでやったコンサートを思い出す。オランダの友人、トランペットのアンジェロが組んだのだが、1セット目は彼と私、夏樹、ミシャの2トランペット2ピアノのフリー、2セット目は彼のバンドでほぼフュージョン。1セット目にいたお客さんの多くがロビーに出てバーで飲んでいてコンサートには戻らなかった。まあ、私自身もその口かもしれない。アンジェロは音楽にジャンルなんてないはずだと言っていたが、残念ながら人間の好み、好き嫌いはやっぱりあるんだと思う。終演後は社交場となり、多くの人が飲みながら会話している。しばらくしてからホテルに歩いて戻る。冷えてきました。
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11/9(水)
仕事ではないのにウルフガングに会うためにここまで一緒にきた夏樹はここから帰国の途につく。持って帰ってもらう荷物とかお願いしてデュッセルドルフ空港まで電車でいき、そこからドバイ経由の関空行きに。夏樹だけ早めに8時半に出発。普段いつも2人のことが多いので、1人になると2人とも不安。ちゃんで電車に乗れるのか飛行機に乗れるのか心配しながらホテルによんでもらったタクシーで駅に向かう。私はしっかりしている若者たち須川さんと一哲さんの後についていけば大丈夫。
9時半に待ち合わせてタクシーで駅に。今日はチューリッヒまで移動すればいいだけ、しかも電車だから少し気が楽、のはずだった。2回乗り換えで1回目のケルンの乗り換えが5分くらいしかない。電車が遅れて有名なドイツ。不安なものはある。案の定、ケルンに遅れてついた上、乗り換え電車はオンタイム。階段降りて上らないといけない。私はもう諦め気分。荷物は軽めにしているが大きなスーツケースを持って階段は怖くて嫌だ。なんと自分の荷物が23キロくらいある一哲さんが私の荷物も持って走ってくれた。若いってすごい。そして滑り込みセーフで間に合った。車掌がドアのところで待って招き入れているのに、最後の1人の高齢者が半分乗り込んでいるのを押し戻している。ひどい!いつも遅れているのはドイツ鉄道なのに、お客さんに対するその態度にいや〜な気分になる。乗り込んだところがファーストクラスなので車両移動していたらちょうど食堂車があり、じゃここでランチということになる。私はチリコンカルネ。付いてきたパンもちゃんと温めていて美味しかった。走って喉乾いたのでコーラもいただく。話がはずむ。同じフィールドで活動しているのに世代が違うと状況も視点も違って面白い。いつの間にか時が経ったことに驚く。食堂車でのんびりしているうちに次の乗り換え駅マンハイムが近づく。じゃあ、もうここにいようとさらにのんびり。今度の乗り換え時間はたっぷりあるし、乗り換えたらチューリッヒまで直通だからあとは楽、なはずだった。
マンハイムで降りてのんびりと乗り換えホームに移動。今度の電車は遅延が出ている。ホームでボーッとして時間が経つのを待っていると、なんか様子が変。待っている人たちが移動を始めた。出ました、直前ホーム変更!!日本人には信じられないです。一体どうしてこんなことが日常的に起きているんだろう。20年前から今までこれで、電車間違ってフェスティバルのkじゃ言えん時間を遅らせたこともあるし、日本に帰国するメンバーが日本行きのフライトに乗り遅れたこともある。少しはドイツ語がわかるようになったが、ホームのアナウンスを理解できるレベルではない。その上、こういうことは英語でアナウンスしてくれない。経験からの解決策は周りの様子を見て、その上周りの人たちに聞きまくる。ホームで聞いたらやはり出発ホームの変更とのことで急いで移動。でも電車はまだまだ遅れているので少しは楽。ようやく電車に乗り込み、これでもう大丈夫。なはずだった。
荷物を荷物置き場に置き指定席探して座り、トイレに行き、戻ってくると須川さん一哲さんが車内のモニター見て、これチューリッヒまで行かないですよ。ウソ!もうみんな笑いが止まらない。どうも途中のバーゼルまでしか行かないようだ。もうどうにでもなってください!と思いつつiPhoneでドイツ鉄道のサイトに行き調べてみる。バーゼルからチューリッヒまで1回乗り換えれば行ける方法がいくつかある。到着は結果的に1時間以上の遅れになるけれど。ドイツのイメージって何もかもきちんとしているイメージ強いけれど、私のドイツ生活の経験からだと、ものすごくきちんしているが、そのために時間が遅れても気にしない。とにかく時間をかけてもきちんとするって感じ。電車の運行がその体質からなのかは謎だが、とにかく遅れる。もうなるようにしかならないので、のんびりとバーゼルまで過ごす。バーゼルに近づいてから近くにいる人に聞くと、彼女もチューリッヒまで行くという。バーゼルからバーゼルSBBに出るのが大事でバーゼルSBBからだったらチューリッヒまでたくさん電車が出ているという。了解です。今日中には着けそうです。言われた通りに乗り換えてチューリッヒ到着。本来の到着時刻から1時間以上遅れて、さらに2回多く乗り換えて全員クタクタ。チューリッヒ駅からUberでホテルに移動。急遽予約の関係でアップグレードされた4星のメルキュールホテルに移動。ホテルがいいのはうれしい。疲れているといいホテルでの休養は必須。チェックインして部屋に入りみんなですぐ近くレストランに食事に。最初に行ったタパス屋が落ち着かないので、アジアレストラン。焼きそばやらタイカレーを注文してようやくホッとする。今日もアルコールは抜いておこう。部屋に戻り何もかも放り出して休む。2時間おきに目が覚めたが、割と深く眠れた。
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11/8(火)
朝起きてみると悪くはなっていないがいまだに喉が痛い。朝ごはんをさっといただいてから、ウルフガングに事情をメールして今日のランチはキャンセル。午前中に近くのコロナ検査センターに飛んでいく。インターネットで夏樹がアポを取ってくれた。抗原検査キットは持参しているが、PCRに比べて精度が低いのは有名なのでPCRを75ユーロで11時に予約。タクシーで行くが、ミッテ病院のどのフロアなのか謎。中で数人の人に聞いて、建物内ではなく外のテントが検査センターと判明。時間に間に合ってよかった。受付で話を聞いたらPCRの結果は2日近くかかってしまう、ここの抗原検査精度は99%というので、急遽抗原検査に変更。そうしたら無料なので、払い込んだ75ユーロは後で返金してくれるという話で抗原検査を受けた。15分後にラッキーなことに陰性とでた。これで今日は安心してコンサートができる。ホテルまで徒歩15分くらいの距離なので歩いて戻る。ちょうどお昼なので、近所のベジタリアン中華に行く。肉魚が代替品のグルテンとかでできている。結構美味しいし化学調味料の味がしないでうれしかった。ホテルに戻りのんびりしてからタクシーでクラブに。今日ベルリンから電車で移動してくる共演者の須川さん一哲さんと同じくらいに着くように向かう。本当になつかしい。私にとってはドイツでの一番縁のある場所。しばらくして須川さん一哲さんが到着してサウンドチェック。今日はじっくり2セットの予定。さっさとサウンドチェックを済ませて食事に行く。新しいブッカーのマックスが近所のベトナム料理に連れて行ってくれる。ブン(コメの麺に具が乗ったのサラダっぱいもの)が美味しいというのでそれをオーダー。美味しくいただきました。会場に戻り、楽屋でのんびり。何せ元防空壕の地下だから深々と冷える。きっとウクライナの製鉄所も寒かったんだろうなぁなんて考える。ウルフガングが早めにきてくれて楽屋で話し込む。そのうちにタンペレのジャズフェスに来ていてTokyo Trioの演奏を気に入ってくれた編集者もきてくれて、彼のインタビューを30分くらい受ける。ほとんど雑談だけど、しっかり録音していた。演奏はすごく気持ちよく、聴衆がすごく熱心に聞いてくれてCDも完売。共演者の2人、若いのに落ち着いて音楽を構築できる大物!よんでもらったタクシーでホテルに。もしかして、睡眠導入剤のせいで眠りが浅いのかもしれないとやめてみる。やってもやめてもあまり眠れない。単に歳のせいかもしれない。
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11/7(月)
私たちは今日は移動だけだから気が楽だ。それでも朝は早起き。というか、疲れ切っているのになんか眠れない。で、また睡眠導入剤、それでもなかなか眠れない。まあ、狂気のスケジュールで気が張りすぎていて眠気が来ないのかもしれない。朝ごはんホテルで食べて8時のホテルから空港のシャトルバスに。10:25のフライト。ユーロ・ウイングは昔のジャーマン・ウイング。チェックインは事前にラインでしてあるのでバッグのドロップオフだけすましてゲートに向かう。ボローニャの小さな空港はゲートも少ないし、座るところも少ないのゲート近くカフェでコーラ飲みながら待つ。デジャヴだ。この同じ場所で数年前にフライトを待っていたことがある。散々待たせて搭乗が始まったと思ったら、ラストコール。さすがのローコストキャリア。デュッセルドルフまで2時間弱。ついたら2時間後くらいの電車なので、空港でランチ。250グラムのランプステーキとシーザーサラダを2人でシェア。すごく美味しかった。電車の駅に移動してビーレフェルトに向かう。この街には何回来たことだろう。ビーレフェルトにあるブンカーウルメンヴォールという元防空壕のクラブ。ここで20年団体のトップを務めていたウルフガングにたくさんのコンサートを組んでもらった。2013年にはここで3日間、Japan Jazz Festivalをキューレートさせてもらったこともある。多くのオーガナイザーと仕事してきたが、彼は全面的に信用できる人で、常に音楽家のことを考えてくれた。そのポジションを離れてもずっと友人関係で近くに来た時は必ず泊まりがけで遊びにいく。今回も誘っていただいたが、高齢のウルフガング夫妻(あ、あまり私たちとは違わない!)に各所で演奏してきた私たちがコロナを持ち込んだら怖いから、火曜日の昼間にランチでもという約束をした。クラブがいつも使っていたホテルは昨年火事で焼けてしまい、今回のホテルはクラブからも駅からも遠い。タクシーでホテルに。遠いが結構落ち着くいいホテル。ハードスケジュールが続いているのでホテルのレストランで夕食して早めに休もうと。2人ともシュニッチェル(肉の薄いトンカツ)とビール、サイドはじゃがいもの薄焼きとマシュルーム。そして赤ワイン。無茶苦茶美味しいわけではないが、そこそこ美味しくてゆっくりできた。今夜もガッツリ眠ろうとしっかり睡眠導入剤をきめるが、私はどうもききがわるくなってきたみたいだ。その上、喉がちょっと痛い。どこかでウイルスお持ち帰りになったのかと不安に思いながら休む。
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11/6(日)
さすが空港ホテル、朝食会場は3時から開いている。4時過ぎに行って軽くクロワッサンとヨーグルトとコーヒー。チェックアウトして歩いてターミナルに。今日もまた用事もないのにアムステルダム乗り換えのKLM。今回はバッゲージドロップオフも忘れずに順調に搭乗。アムステルダムでのランチは…..やばい!何を食べたか思い出せない。水とオレンジジュースを買ったのは覚えているのだが。(ちなみにこれを書いているのは2日後の8日です)アムスからまたボローニャに向かう。今回2回目の同じルート。ボローニャに定刻よりちょっと早くついたが、なんと同じ時間に着くはずのブリュッセルからの夏樹、ピーター、クリスチャンはもうついていた。迎えはアレアシスミカという今夜演奏するところのスタッフのクリスチャン。車で1時間。イタリアの独裁者、ムッソリーニの故郷に近いフォルリという街につく。イタリアだから、まず食事。レストランは大きな丸テーブルで10人以上で会食。これ、コロナ危なくないですか?老舗のパスタも地元のワインも申し分ないが、ちょっと不安なものが….。食後に会場到着、のんびりサウンドチェック。今日は3セット。私たちKAZEは最後のセットに演奏する。最初のセットはイギリスの現代作曲家の作品、ソロギターとソロフルート。2セット目はクラシックの現代曲を演奏するソロピアノ。久しぶりにサティーを聞いてとても気持ちよかった。3セット目はKAZEの狂気のインプロ。昨晩のタンペレのラインアップもここのラインアップも、音楽にジャンル分けをしないところは共通している。会場の2階のキッチンでスタッフが料理を作り、終演後はまたそのパスタとワイン。どれも美味しい、イタリアだから。その近所のレストランに勤めていた日本人シェフの宝塚にあるイタリアレストラン情報を主催者のアリエールに教えてもらった。帰国したら行ってみよう。フランス人2人はワインガバガバ飲んで明日2人とも6:45のフライトでフランスに帰るのになかなか空港ホテルに移動しない。ようやくホテルに移動しようということになってもラテンのイタリア、フランスはその後も長い。私は朝3時から起きているんですが。ようやく空港ホテルに送ってもらって、KAZEの今回の日程は全て済んだ。
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11/5(土)
ホテルの朝食会場で早起きの竹村さんと一緒になる。部屋に戻り、仕事の用意をしていて、はたと気がつく。今日演奏後はすぐにヘルシンキに移動して空港ホテルに泊まるのだから、もしかしてチェックアウトしないといけないのか?ボランティアのテルヒさんに電話して聞くと、すぐにホテルに来てくれてフロントで交渉してくれた。が、やはり昼には出ないといけないようだ。用意して会場2階のラウンジで昼食後ホテルに戻り鞄をフロントにあずける。これで夜まで休む部屋がないのはちょっときつい。会場に行き、メッテ・ラスムッセンとマット・グスタフソンの演奏を聴く。メッテのバンドのドラムは9月にニューヨークで共演しているクリス・コルサーノ。2バンドとも大音量バンドで、こちらの微音と「間」のトリオとの対比がすごいことになりそうだ。
会場では多くの友人たちに久しぶりに会えた。サミュエル・ブラザー、ジェイミー・サフト、ハミッド・ドレイク、クリス・コルサーノ。パンデミックで会えなかった人たちとの再会は感慨深い。
私たちTokyo Trioのセットは熱心な聴衆と、強力な共演者、暖かいスタッフのサポートで無事に気持ちよく演奏させていただいた。感謝感謝感謝!!共演者の力量のおかげで名演だった、と思う。このひとときのために7時間かけてゲントから移動してきた。その前はこの仕事をとる交渉、旅のセッティングや諸々の事務仕事で膨大な時間と手間を使っている。それで演奏するのはその時間の100分の1とか。ミュージシャンってそんなもんです。
終演後はラウンジでワインとフィッシュスープ。8時にはホテルの前に迎えが来るから、ホテルに鞄を取りに戻る。ここで、すごく嬉しいことがあった。ホテルの前で、私のCD3枚持ってサインして欲しいと待ってくれている人がいた。20年前のCDも持っていた。ずっと聞いてきてくれた人がいるとは!励まされる思いで、ヘルシンキまで2時間の車の旅。10時についた空港ホテルでは雪がちらつき始めていた。ドライバーもホテルの場所を把握していなくて寒い中行ったり来たり歩いた。わずか5分だが、体が冷え切った。ホテルチェックインで、ガバメント(政府)のお仕事の方ですね?と聞かれた。つまりタンペレのフェスティバルはフィンランド政府のサポートがあるということだ。このホテルはバスタブが付いていて、お湯を溜めて体を温めた。明日は4時起き、4時半にホテルを出る。緊張の一人旅、疲れているはずなのに眠れない。またまた睡眠薬。ほぼ中毒状態。その上、最近はあまり効かない。
https://tamperejazz.fi/en/artist/satoko-fujii-tokyo-trio/
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11/4(金)
朝5:30にアラームが情け容赦なく鳴り響く。4時間半は眠れた。荷物をまとめてまだ開いていない朝食会場であるものだけ食べて徒歩で駅に。ホテルの人は3分というけれど、カバンが転がしにくい石畳では5分はかかる。夏樹が駅までカバン持って送ってくれた。ホームで電車に乗るまで見届けてくれて、大感謝。緊張の一人旅、電車がそんなに混んでないし、乗り換えなしだし、きっと大丈夫。1時間でブリュッセルエアポート。駅は空港の地下なので楽に移動。スイスイとiPhoneのバーコードをかざしセキュリティーの列にしばらく並んでいるうちに気が付く。あれ?この預入荷物チェックインしてないじゃん!焦ってチェックインデスクに戻る。時間に余裕があってよかった。バッグをドロップしてセキュリティの列に戻ったらすいていてラッキー。あ〜1人は不安。
ゲートはどこだかまだモニターに出ていない。ベンチを見つけてちょっとのんびり。それから40分くらいしてようやくゲートが出てゲートに移動。ブリュッセルからアムステルダムに飛ぶなんてヨーロッパの人たちに話したら驚愕。200キロしかない。それでも1人で電車で乗り換え移動を考えたら、飛行機でヘルシンキまでアムス乗り換えのルートが一番楽そう。200キロだからほぼ離陸して上空に上がるのと降下して着陸するのに時間を費やし40分でアムスに到着。今回2回目のアムスのトランジット、明後日また来ます。ランチと思ったが、1人でレストランまで動くのも面倒で、近くのサンドウィッチ屋さんでコーヒーとソーセージパイみたいなのをテイクアウト。空いているベンチで食べる。
ヘルシンキ行きの便でも一人旅はやっぱり緊張であまり眠れない。
ヘルシンキ到着後、迎えにきている車でタンペレまで2時間。車中、持参のルーターで繋げて日本から到着している共演者の須川さんと竹村さんとディナーのお約束。タンペレのフェスティバルは3回目の出演だが、2002年と2007年だから、もう15年も経っている。その頃は雪が積もっていたのに今回は雪がない。やはり温暖化なのか。到着後、ホテルで担当のボランティアのかた、テルヒさんが丁寧に色々説明してくれるが、何せ長旅と緊張で頭真っ白。昨日どこにいて、今どこにいるのかを考えないとわからない状態となっている。旅の基本は、怪我をしない病気をしない。あとは仕事第一。
会場前のレストランで、ビールとエビの串焼き。2人とも元気そうだし旅慣れているしで、ボケている私としては超助かる。食後ちょっと会場に行きコンサートを聞くが、とにかくもう早く休んだほうがいいとホテルに戻っておやすみなさい。
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11/3(木)
朝6時前に朝食会場を開けてもらって、コーヒー飲んでヨーグルト食べて電車内で食べられるようにサンドウィッチ作って駅に向かう。ナントの駅から直通4時間でリールに戻る。明日からの一人旅でちょっと緊張気味なのか、1時間くらいしか眠れない。
リールに着き地下鉄でクリスチャンの家に。一休みして近所の美味しいレバノン料理テイクアウトしてランチ。ピーターも車で来て、クリスチャンの立派なお宅(4階建のビル一棟が自宅、地下はワイン庫)でくつろぐ。フランスのミュージシャンは国から給料のように保証があって持ち家を買うのは普通。日本やアメリカとなんたる違いといくえさんと嘆くが、アメリカにはつい先日いくえさんが受賞したマッカーサープライズみたいなのが他にもあって、やっぱり一番恵まれていないのは日本だねという話になる。
ピーターの車でゲントに向かう。もちろん爆睡。1時間くらいでゲントのホテルに到着。毎晩色々なホテルに泊まっているが、とんでもない安宿から快適なレベルのホテルまでさまざま。このホテルは長居したいレベルだが、私は明日も7時の電車と早い出発。16:45にロビーで待ち合わせてピーターの車で会場のミュージアムに。ここの隣の公園でのフェスティバルに以前出演したことがある。その時はスティーブ・レイシーの未亡人がいらしてくださって話が楽しかった。
今夜はダブルビル(対バンあり)でなんと対バンは今回のツアーで私が最後にご一緒するジョー・フォンダ。3年ぶりにあったが相変わらずの明るさで心が明るくなる。サウンドチェックでケーブルが足りないの、レストランで待たされるので、ジョーたちのバンドが聴けずに残念。レストランから直行でステージに。常連さんもたくさん来てれて、KAZE+Ikue Moriの今回のヨーロッパでの最終公演、楽しく終了。クイックで会場でビール飲んでホテルに。私だけ明日も早い出発。眠れるかと思ったらなかなか眠れず1時くらいに睡眠導入剤。明日が5時半起き。夏樹は起きる必要ないのに、起きて駅まで送ってくれるらしい。感謝。
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11/2(水)
11時にロビーにクリスチャンが迎えにきて、4人で地下鉄でリースフランドルの駅に。そこでピーターも合流してTGVでまずはパリに。電車に乗ったら自動的に爆睡。到着する直前で目が覚めるのは一種の才能だと思う。到着したパリノード駅から乗り換えのパリモンパルナス駅には地下鉄とか話していたが、荷物も多いしタクシー移動ということになる。全員のれる大きな車ですっかり活気を取り戻したパリの街。渋滞もありちょっと時間がかかったが、乗車前に駅前のレストランでランチする時間はある。私はラムのコンフィ、他はみんなステーキ。駅前なのにしっかり美味しくてうれしい。駅に行き電車に乗車。今時は発車トラックがネットで調べられるから少しは便利。TGVで2時間半でナント。この電車も爆睡。着く頃はすっかり元気になる。駅前のホテルにチェックイン。すぐに迎えが来るらしいが、荷物の中から楽譜やCDや仕事の用意に10分はかかる。駆け足で会場のパノニカに。歴史のあるクラブらしい。とにかく会場の音がドライで響かず、その分PAが増幅して正直とても演奏しにくかった。サウンドチェック後は会場の2階に食事が用意されている。フランスらしく前菜から主菜、チーズ、デザート、コーヒー。チーズ好きの私にはたまらない。何種類ものチーズをいただいた。
演奏後、軽くビールを飲みホテルに12時過ぎに戻る。明日は5時おきで6時の電車に乗る。荷造りしたら12時半、まだ4時間は眠れる。
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11/1(火)
今日はのんびりとオフの日。昼12時にロビーにクリスチャンの奥さんと可愛い5歳の息子がきて、ピーターが2ヶ月前に引っ越した新居に地下鉄で行く。ピーターの奥さんは料理が得意で手作りの北フランス名物、ビーフのビール煮をおいしいワインとともにご馳走になる。デザートはリールの有名店メルベイユのメレンゲ菓子。とても甘いが確かにサクサクと美味しい。話題は食べることばかり。音楽を演奏するが、音楽を語ることはほぼない。ピーターの息子ももう15歳と18歳。2人とも日本だったらアイドルになれそうな美少年。楽しい時間を過ごす。夜は息子たちの小学校の先生を招いての別のパーティーとのことで、4時過ぎにおいとまする。地下鉄でホテルに戻り、のんびり。
夏樹は寸暇を惜しんで爆睡。7時半にロビーでいくえさんと待ち合わせて近場のレストランに行く。雨が降ってきたし、そんなにお腹も空いてないから一番近いアフリカカメルーン料理屋さんに。なんだかわからないメニューをざっと英語で説明してもらっても、知らない料理なのでよくわからないままに3品を適当に選ぶ。鳥のモモの料理、魚の料理、それからお店の人のおすすめ。なんと、みんなとても美味しかった。お店の人のおすすめのものはピーナッツソースのチキン煮込み、ライスにかけていただく。魚と鶏肉の付け合わせはプランタン。アフリカでピーナッツソースは予想していなかった。どれも優しい味でうれしくなった。ライスの量がほぼどんぶり2杯分。部屋に戻り早めに就寝。明日からまた移動、演奏の毎日だからとにかく体力温存。
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10/31(月)
朝起きるのが早いのは家にいる時も同じ。高齢だから4時間眠ると必ず目が覚める。そのあと眠れる時もあるがダメな時も多い。若い時はそんなこと考えられなかった。9時前に寝た夏樹はもう1時くらいに目が覚めていたらしい。待ちに待って、7時から朝食。フランスパンが美味しいのがうれしい。部屋に戻り、今日は大事な仕事、お洗濯がある。荷物整理してgoogle mapで以前も行ったことのあるコインランドリーも確認していくえさんとロビーで待ち合わせて洗濯に繰り出す。私はまだ先が長いし、途中でそんな時間が取れるかわからないので、たくさんの量の洗濯になった。夏樹と2人分で14キロの洗濯機を使用して洗濯だけで9.5ユーロ。昔は洗濯機にコインを3枚とか入れてせいぜい2ユーロだったのに。30分待つ間に近所でコーヒーにする。洗濯できる頃に戻り今度は乾燥機。説明は全てフランス語だが、優しい管理人さんが英語で使い方を説明してくれる。アメリカだったら聞かなくても、誰彼寄ってきて説明するのに、ヨーロッパは日本同様聞かないと教えてくれないが、聞いたらとても親切。乾燥機は12分で1.5ユーロ。2回分24分かけてほぼ乾く。バッグに詰め込んで、近所のタイレストランでランチ。ランチセットで春巻きとパッタイ系のヌードルと飲み物。どれも美味しくて残さずにしっかりいただく。歩くのが大変なくらい満腹になり、ホテルに戻りお昼寝。夏樹はあっという間に熟睡。私はなぜか眠れずに来年10月リリース予定の音源の確認をする。とはいえ、安いイアフォンで音質の確認はできない。ノイズとバランスだけの確認となる。今年12月にリーダー作100枚目のリリース後、来年リリース予定のアルバムがもう4作決まっている。
5時半にピーターが車で迎えにきてくれて会場まで5分。リールのアーティストの団体が運営している会場、マルテリーは2002年に最初に出演してからの付き合い。その頃からピーターが団体のディレクターをやっている。その頃はピアノが入るコンサートにはわざわざピアノをレンタルしていたのだが10年ほど前にピアノを購入。さすがミュージシャンが運営しているだけあって、ピアノのメンテナンスが行き届いている。クリスチャンとピーターのホームグラウンドだけあって、家族や友人も含め多くの人が聞きにきてくれた。わざわざブリュッセルからきてくれたお客さんがCD15枚お買い上げ!熱心な聴衆のおかげでさらに熱い演奏となり、気持ちよく終演。終演後も3年ぶりに会う友人たちと話が盛り上がる。2階には出演者の食事を用意してくれていて、手作りの美味しい料理をいただく。フランスは他の欧米諸国と違い、話し合い助け合いさまざまなことが行われていく。民衆が起こしたフランス革命の民主化の歴史と精神が今も息づいている国だと思う。
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10/30(日)
早起きの私たちは今日も8時前に朝食。深夜に夏時間から冬時間に変わったので1時間余計に眠れて得した気分。せっかくボローニャなので、ボローニャソーセージを楽しむ。10時45分にロビーに集合してタクシーで空港に向かう。ボローニャからブリュッセルまで2時間。比較的移動が楽な日のはずだが、ブリュッセル空港から電車でブリュッセルミディ駅乗り換えでリールヨーロッパまでTGV。ヨーロッパの鉄道のシステムや電車の荷物置き場も相変わらずなんの進歩もなく、ホームで利用客全員が乗車する車両を探して大きな荷物を持って右往左往、乗車したら荷物置き場は十分になく車両の通路を移動するのに大変な騒ぎ。日本の鉄道の旅の快適さが夢のよう。リールヨーロッパまで35分、今度はホテルまで地下鉄。いつもは先頭に立って引率するピーターが自宅が反対方向なので、地下鉄の駅でバイバイ。クリスチャンが変わって日本人3人を引率。地下鉄乗って一駅で乗り換え、のはずが、日曜日で乗り換え電車が運行していない。なんでも一筋縄でいかないところがツアーの醍醐味。代行バスも大きな荷物を抱えて大変なのでここからタクシー移動。今日は演奏のないオフの日だから、まあ多少大変でも大丈夫。リールに来ると定宿となっているベストホテルにチェックイン。ハロウインの喧騒があると嫌なので道に面していない静かな部屋にしてもらう。クリスチャンに日曜日でも空いているレストランの情報を聞いて、ここでとバイバイ。彼は5歳の息子にレゴのお土産をボローニャの空港で買った紙袋を嬉しそうに持ってホテルから徒歩5分の自宅に帰宅。
日本人3人で教わったレストランに歩いて繰り出す。レストランというよりパブみたいな飲み物とつまみの店で、ワインとつまみを適当にオーダー。クリスチャンがいないからワインは美味しいのが頼めずに残念。でもつまみはどれも美味しく話も弾んで楽しく過ごす。3人ともいい歳なので、もうこんなきついツアーはいつまでできるか….。パンデミック直前にこのユニットで同様のツアーをして最後の公演地はロシアのモスクワだった。色々と感慨深い。
ベストホテルという名とは程遠いホテルに戻った途端に夜9時前に夏樹はもう爆睡。やっぱり疲れているんだなぁと思う。睡眠導入剤を飲む暇もなかった。
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10/29(土)
今日はパドヴァから電車でボローニャまで。1時間強の電車の旅は楽なはずだった。朝ごはんをホテルで食べ、準備してロビーに。ホテルがいい部屋だし川の前の環境も眺めもいいしでのんびりしたいが、朝10時半に集合。タクシーで15分かからない駅なので、11時35分の電車には絶対間に合うはずだった。何もかも予定通りにいかないのがイタリアの素晴らしいところ。ホテルの前に客をおろしたタクシーが5人乗れるよ、と手で招くがどう見てもこのプリウスに5人と大きなスーツケースがのるわけはない。ましてや車はもうオーダーしてあるはずだから、無理無理とお断りする。でもいつまで待っても車は来ない。フロントのお姉さんが外に出てきて、今行った車がオーダーした車だったという。え?あれに全員乗れるの?自信を持って大丈夫というので、再度よんでもらうが、全然来ない、時間はどんどん経つ。通りすがりの2台に分乗して駅に。ギリギリ間に合うかと、ホームに行ったら目の前でドアを閉められる。普段はオンタイムでなんか運行していないくせにこの電車に限ってオンタイム、その上、情け容赦なくドアを開けてはくれない。仕方なく別の電車のチケットを買い直し、のんびりとローカル電車でボローニャに向かう。席を見つけて座って爆睡。北欧に比べればイタリアはマスクしている人もいる。ボローニャについて2台タクシーでホテルに。荷物をドロップしてからみんなで近所で食事。パスタをいただく。夏樹はボロネーズソース、私はニョッキのクリーム+チーズソース。まだコンサートまで時間があるからみんなで白ワインも。ワイン係はクリスチャン。いきなり真剣な顔になり、注意深く選ぶ。フランス人はワインを語りイタリア人はワインを飲む、とイタリア人に聞いたことがある。まさにその通り。でもおかげで素晴らしく美味しい白ワイン。ランチ後ホテルに戻り急いで仕事の用意をして、会場まで年寄りはタクシー、若者は徒歩で向かう。またまたイタリアらしい天上の高いホール。昨晩は素晴らしいスタインウェイのフルコンだったが、今夜はヤマハのC7。サウンドチェックしてからブラブラと歩き見つけたカフェでお茶にする。とにかく街中がすごい人出でびっくり。週末のボローニャはとんでもない活気。7時半からコンサート。昨晩のセットリストが良かったのでその内容で演奏するが、同じ曲をやっても全く違うものになるのが、即興主体の音楽の面白いところ。アンコールも含めて90分くらい。気持ちよく演奏してから隣のレストランで夕食。私はムール貝のパスタ、夏樹はイカ墨のリゾット。どちらもとんでもなく美味しくて、クリスチャンの選んだ白ワインも申し分なく、電車に乗り遅れたり大変だった移動は演奏と食事で帳消しになる。
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10/28(金)
朝5時半、もうタクシーが来ていた。荷物を積み込み、5人全員と荷物も入る大きなバンで空港に。本来は2時間後のフライトだったが、それがキャンセルになりこんなに早起きを強いられた。ストックホルムの空港でSASでチェックイン、SASはスターアライアンスグループなので、ラウンジが使える。セキュリティーを通った後はラウンジに向かい朝食。時間になり搭乗。ほぼ満席でアムステルダムに。アムステルダムで乗り換えなのだが、キャンセルになった最初の便はKLMで次の便もKLMだったのに、最初の便をSASに変更を余儀なくされたためにバッグをピックアップしてからまたKLMのカウンターに行きチェックインし直さなければならない。まあ、ここで4時間あるからゆっくりやれば大丈夫。KLMはスターアライアンスグループではないので、ラウンジは使えずにみんなでレストランを見つけてランチにしようとするが、どのレストランも満席。空港をあちこち探し回り、ようやく見つけたシャンパンとシーフードの店に落ち着く。でもこれが正解だった、私は鯖の燻製のサンドウィッチ、夏樹はサーモンとアボカドの巻き寿司。鯖の燻製、すごく美味しかった。
次のフライトのゲートに行き、これまた満席のフライトに搭乗。ただでさえ旅行客が急増しているのに、フライトキャンセルが大量にあり、どのフライトも満席だ。乗り込んでまた爆睡。ベニスに到着。暖かい。ストックホルムと別世界。迎えの車に乗り込み、隣町のパドヴァまで。今年は6月にもここで演奏していて、帰ってきたみたいな気分になれる。ホテルであまり時間がないが、15分サウンドチェックを遅らせてもらって、着替えたり仕事の荷物をまとめたりそれも駆け足でやり、ロビーで主催者にあう。夏樹、私、いくえさんの年長組はタクシーで、若者ピーターとクリスチャンは主催者と一緒に徒歩で会場に。会場は6月にも演奏したpadova大学のとんでもなくイタリアチックな大きな部屋。ここで演奏するのは3回目。1回目はマイラ・メルフォードと2台ピアノ、2回目は今年6月のTrio SAN。極端に高い天井でドラムが入ったらどうなるのかと6月の演奏前は心配だったが、その時も素晴らしい音響で、今回も不安はない。ピアノも素晴らしく気持ちよく演奏させてもらった。今朝5時起床のストックホルムからの長旅は結構大変だが、演奏すればそういうことを全て忘れるほど楽しい。演奏前のいつも行くレストランでイワシとバカリャウ(干し鱈)とポレンタと玉ねぎのフライ。とても美味しかった。演奏後は同じレストランでグラッパをいっぱい。主催者のスタッフの1人とフランス人はヨーロッパの極右の台頭を憂い、いくえさんは来月に迫る中間選挙が心配。実は私たちの音楽活動も政治には大きな影響を受ける。今回のツアーもフランスの助成金と日本の国際交流基金の助成金で成立させている。これをカットされると、演奏の機会自体がなくなる。そして、たいてい一番最初にカットされるのは文化助成。ポール・ブレイが内戦の続いたユーゴスラビアで人々が傷つきどんなに音楽を渇望していたか、演奏に行った時に痛感したという話を思い出す。つまり音楽っていうのはそういうものなんだと思う。
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10/27(木)
6時にはしっかり起きる。夜は12時前には寝たから睡眠時間は十分。朝ごはんは部屋の冷蔵庫に用意されているジュース、パン、チーズ、ハム、シリアル、マーマレードでのんびりと食べ、同じフロアのロビーのような部屋でコーヒーをのんびり飲んでいると、ストックホルムのピアニスト、リサ・ウーリンがいくえさんを迎えにくる。リサはその昔スウェーデンのマルモであったことがある。郁恵さんは午前中、ストックホルムのスタジオでワークショップを行う。リサたちがオーガナイズしているFRIMという団体はなんと90年続く団体だそうで、今まで多くの先端の音楽を紹介してきている。
私と田村は部屋に戻り、今夜の仕事の準備や明日のフライトのチェックインを行う。メールの送受信や荷物整理している間にお昼。戻ってきたいくえさん、リサと一緒に近所にランチ。運よく飛び込みで入ったイタリアンがとても美味しく、明日はイタリアだというのに、パスタとピザを先取り。食後はエスプレッソをいただき、同年代の音楽家で話が弾む。ホテルに戻って、一休み。
共演者のピーターとクリスチャンがフランスリールから到着。夕方4時半に集合して若いピーターとクリスチャンは、徒歩で年寄り組は彼らの荷物を持ってタクシーで会場に向かう。会場はストックホルム旧市街、地下にある不思議な広いクラブ。サウンドチェックしていると、ダブルビル(対バン)のピアノのカーチャとトランペットのスザンナ・サントス・シルヴァが到着。私はここ数年大好きなミュージシャンたち。カーチャとは以前コペンハーゲンでダブルビルをやったことがある。サウンドチェック後会場で食事、ボリュームタップリのキッシュをいただき、私たちは後のセット。明日は5時半に出発だが、終演後はオレンジワイン(!)で乾杯!白ワインで葡萄の皮も一緒に発酵させているので綺麗なオレンジ色。味はかなりドライで見た目とは大違い。たまたま大きなタクシーが来たので全員乗ってホテルに戻る。部屋に戻るとピアノの内部演奏用に使っているスティックが見当たらない。必ずカバンに入れたはずなのに。カバンはファスナーのついていないエコバッグなので、もしかしたらタクシーの中で落としたのかもしれない、念のために車を降りたホテルの前に見にいったら、道に落ちていた。その上に荷物整理とシャワー、どんどんと睡眠時間が短くなってしまう。明日は5時起きだから最長でも3時間しか眠れない。またしっかり睡眠導入剤をキメる。ツアーってつまりこんな感じ。演奏は楽しいが、移動は想像以上に大変。余裕のある旅は経済的にも日程的にも無理だから、そこが一番辛いところ、でも、演奏すればそれも全てプラスに変換される。だからやめられない。
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10/26(水)
ほぼ通常の生活パターン。1時近くに就寝、時々目は覚めるが6時まで眠れた。珍しく田村も映画見ないでぐっすり。機内の大きなモニター画面がずっとつきっぱなしでフライト情報を流しているのだが、それが時々明るくなって睡眠妨害なのが残念だった。
現地時間の朝5時前にドバイ到着。朝5時前で気温は27度らしいが、そんなに暑く感じずに助かった。空港内でコーランがかかっているのが異国情緒。まるで海外旅行しているみたいだ。乗り継ぎ便のゲートまでぶらぶら歩く。出発まで4時間あるから急がなくて大丈夫。調べたらアラブ首長国連邦の人口は1000万くらいで今の新規感染者数は300人。そのせいもあるのか、やたらにリラックスしている雰囲気。朝5時から空港内のほぼ全てのお店が開いていて、活気がすごい。寂しい関空と大変な違い。
4時間後のストックホルム行きフライト。この7時間のフライトがやたらに長く感じられた。いつもヨーロッパ系のエアラインだとヨーロッパ内に到着後、目的地までは2、3時間もあれば着くのに。エミレーツは特にいいとも悪いとも感じなかったが、変わっているのは着陸前にブランケットを全て回収して大きなビニール袋に押し込み、それをトイレに入れてトイレのドアをロック。着陸後の清掃の手間が楽になるかもしれないが、着陸直後トイレに駆け込む人がいたら、全部中の袋を出さなければいけないし、ブラケットをバタバタされたら、埃も出るし、ある意味迷惑。ストックホルム到着後は入国してバッゲージをピックアップしてタクシーに。スウェーデンはキャッシュレス社会で、お金の両替は必要なし。全てクレジットカードで支払う。空港でかった水もタクシーもカードで支払う。ホテルというよりはB&Bのような大きな家に到着。2ベッドルームにトイレ、シャワーの私たちのユニットはまあよく言えばスイートルーム。せっかくだから1人づつ別の部屋で眠ることにした。
先にニューヨークから到着していたいくえさんと近所に夕食に行く。空いていて広いインドレストランでいくえさんのマッカーサー受賞の乾杯。料理もそこそこ美味しくて長旅の疲れが取れる。ホテルに戻ってから3人でお茶飲みながら話が弾む。9月末にニューヨークで会っているが、何せマッカーサー受賞はその後で、これは大変なニュース。
部屋に戻りシャワーを浴びて睡眠導入剤をきめてゆっくり寝る。
モリイクエさんマッカーサー受賞について
https://jazztokyo.org/news/post-80696/
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10/25 (火)
夜11:45発の深夜便なので、昼間は普通に家で仕事や家事。冷蔵庫の中は見事に食べ尽くして空。帰宅した時、困らない程度の食材は冷凍庫に残し、あとは出発まで計画的に食べ尽くす。実はこれが結構大変。コロナ以前は3日前くらいからは外食に切り替えたが、気軽に外食もできないので、直前まで料理。
夜7時にタクシー会社に電話してもずっと話し中。この時間ってこんなにタクシー混んでいるとは知らなかった。仕方ないので外でタクシーを拾おうと早めに出発。ラッキーなことに家の前に空車が。スーツケース二つトランクにいれ、まずは空港リムジンバスの乗り場まで。先月のツアーで食事を抜いて体調を崩したので、今回は近くのデパ地下でお弁当を買いバスに乗車。もちろん爆睡。バスはガラガラでなんとなく安心。今回はエミレーツ航空ドバイ経由で最初の公演地ストックホルムに向かう。ロシア上空は飛べないので、南回りでもそんなに所要時間は変わらないし関空から直接飛べるのでエミレーツにしたが、ほとんど利用していないエアラインなので、ラウンジが使えない。その上摂氏5度のストックホルムに行くのに途中摂氏37度のドバイで4時間のトランジット。もちろん外に出るわけではないが、いくらエアコンきいていてもきっと暑い。何を着ていったらいいのだろう….。結局寒がり冷え性の私は真冬のいでたち。夏樹もヨーロッパの気温調べて厚手のダウンを着込む。チェックインカウンターには、純粋に海外旅行にはしゃいでいる若い女の子たちがたくさん。みなさん、きゃっきゃっとおしゃべり。後ろに並ぶ私たちは沈鬱な表情。1ヶ月弱の行程をあちこちに移動演奏を繰り返す。ヨーロッパはコロナ禍で大量に航空業界の人員削減を行い、いまだにキャンセルの嵐。チケットとってもらった日本の旅行代理店にはこんな旅程は無理ですと言われ、仕方なくヨーロッパ内は自分たちでブック。すでに28日の移動のフライトが一つキャンセルになり振替で出発が早くなった。その上、いつまでもしつこいコロナウイルスはまたヨーロッパで再拡大中。
チェックインしてセキュリティーを通りゲートに。さてどこか空いているところで食事を。クレジットカード利用者用ラウンジに行くが、食事お断りとのことで、ガラガラに空いているゲートを見つけてお弁当。
今年に入って3回目の海外ツアーだが、今回のは1ヶ月近い長丁場。途中体調崩したら悲惨なことになる。定刻に搭乗して、爆睡する。
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9.21(水)
朝食してから、荷造り。朝9時半にこのホテルのロビーで昨晩コンサートに来てくれた評論家のインタビューがある。バタバタとロビーに行き、11時の出発時間を気にしつつお話しする。今回はVinyl(LP)は作らないのかとまた聞かれる。熱心なVinylファン。今後の活動展開の予定や今回のプロジェクトの経緯とか話して、部屋に戻る。最終荷造りしてチェックアウト。今やタクシーよりは割高なUberをよぶ。ニューヨークのタクシーは2人とも苦手。ちょっと高くてもUberの方が安心して利用できる。JFKのターミナル7まで、また爆睡しちゃいました。カウンターに並んでチェックイン、ラウンジに行きランチ、ラップトップ開いて昨晩のお礼のメールやら送る。搭乗時刻になりゲートに。帰りはANAの直行便。マンハッタン街中の治安もコロナ前とは驚くほど変わったが、ANAのアテンダントの質も驚くほど変わった。日本の旅館みたいなおもてなしぶりだったのが、他の国のエアラインと変わらなくなった。まあ、自然といえば自然だが、ある意味ではプロ意識が低くなった気もする。コロナ禍で離れたベテランを戻せなかったのではないかと思う。
帰りも映画2本、両方とも以前も見た作品「ショーシャンクの空に」は特に楽しんだ。「孤独のグルメ」も楽しく見て、あとはひたすら眠る。羽田到着は予定時刻を大幅に遅れた。楽になったとはいえ、携帯のmy SOSアプリをチェックしながら羽田空港ってこんなに広かったの?と驚くほどの距離を歩かされてようやく入国。カバンピックアップして、品川まで出てから、このまま新幹線で神戸まで戻っちゃおうということになる。2人とも長時間フライトとツアーの疲れで頭が回らない。高齢者割引のジパングで乗車券特急券割引となるとひかり号だが、もう新神戸直行のひかりはない。じゃあ、のぞみで乗車券だけ割引?とかなんだか2人でよく理解できない会話をしているうちにどんどん時間がたち、それなら割引なしで列に並ばずにのぞみに乗っちゃえということになる。結局午後8時過ぎていたが、ほぼ満席でびっくり。2人別々の席になるところを、気が利く若者が席を替わってくれる。2人で乗り過ごさないように爆睡しつつも無事新神戸に到着。空腹をどうしようかと途方に暮れるが、結局帰宅後Ubereatsでコリアン。遅いので軽めに白ワインで乾杯。無事にCOVIDに感染せず、プロジェクトも全て終えることができお疲れ様でした。私のわがままで大掛かりなプラン実現を献身的に支えてくれる田村に改めて感謝。
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9.20(火)
さて、今日は特別な日。100作目となるリーダーアルバムのレコーディングライブを企画した。プロジェクト名はそのものの「百」Hyaku。このプロジェクトのために9名のバンドを結成した。オールスターバンド、まさに夢のラインアップ。
9月20日(火)20:00
“Cary Hall in the DiMenna Center,” New York
百: One Hundred Dreams
ワダダ・レオ・スミス、田村夏樹 - trumpet
イングリッド・ラブロック - tenor sax
サラ・シェーンベック - bassoon
モリイクエ - electronics
藤井郷子 - piano
ブランドン・ ロペス - bass
トム・レイニー、クリス・コルサーノ - drums
100作目をどんなバンドで録音するかというのは、結構悩むところだった。私にとってはランドマークとなるので、特別なことをやりたかった。パンデミック初期に作曲して音楽的には準備していたが、実際に企画実現となるととんでもなく多くの作業が必要だった。まずはラインアップを決めて日程調整、その編成とミュージシャンのために楽曲を何回も書き直した。実は書いた部分を半分くらいまでに削った。こんな素晴らしいインプロバイザーたちのソロをより多く楽曲の中に構成したかったからだ。この企画は、ある意味奇跡のようだった。会場を借りて提供してもらい、プロジェクトのために助成金まで受けることができた。こんなに恵まれているミュージシャンは滅多にいないと、改めて感謝する。楽曲をアレンジしてからミュージシャンに送付。9人編成も初めてだがバスーンに曲を書くのも初めてで、まさに挑戦だった。これで全部準備できたと思ったら大間違い、当日の朝もホーンは立って演奏するか座って演奏するか、それによってマイクスタンドが変わってくるとか、楽器のステージ上の位置が録音上や演奏時の演奏者のやりやすさに問題ないかとか、とにかく次から次に問題が出てくる。笑っちゃうくらいだ。一つ解決すると、次は何?という感じ。田村に相談しながら最善策を考えていく。1人だったら泣いちゃいそう。実は今回、会ったこともないベースのブランドンがとんでもなく助けてくれた。DiMennaの会場のことを熟知していて、その上とんでもなく頼りになってくれた。彼がいなかったら、このプロジェクトは成立しなかったかもと思えるほど貢献してくれた。もちろん初対面で初演した彼の演奏も素晴らしかった。
3時に会場入りするちょっと前に、ピアノ調律の様子を覗きに行く。調律師は大抵最後にピアノの状態確認に楽曲を演奏するが、この人は完全にジャズピアノの人だった。調律師のピアノ演奏は誰も上手で、楽にピアノを鳴らす術を知っている。マットが会場に椅子を並べ、ステージの位置を決めていく。想像したよりずっと広い。こんな広いとモニターなしでの演奏なので、お互いの音が聞きにくい。とはいえ、録音上は音が被らなくていいはずでもある。リハーサルが始まってみると、どうもこちらの合図と音が出るタイミングがずれている。あれ〜?と思ったら、ブランドンが気づいてくれた。なんとこの会場は広い壁面全体にスピーカーが埋め込まれていて、そこでリバーブとかの調整もできるようにしてあるらしい。僅かにリバーブがかかっていたようだ。とにかくドライにしてみたら、ずっと楽に演奏できた。初めて音を出して変更箇所も数箇所。ざっと確認してから、ランスルーでまずはワンテイク録音。そして食事。本番は遠くから駆けつけてくれた人たちも多くいて、本当に熱心に聞いてもらえるまさに夢のようなコンサートだった。私にとって初対面はブランドンとサラ、初演はイングリッド。でもリハーサル後はもう旧知の友人のよう。音楽は言葉を交わさなくても心が通じるという力があり、再演を願いつつ会場を後にした。
大満足の出来で超幸せでホテルに戻る。部屋で田村とビールで乾杯!
無事に成功裡に大プロジェクトを成し遂げることができた。多くの人の力があって初めて成立することができた100作目。心からどうもありがとうございました。
明日の帰国便のオンラインチェックインをしてから眠る。
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9.19(月)
ヨーロッパに行くのとは時差ボケ度合いは雲泥の差。東に向かって13時間の時差は西に向かって7時間の時差とは別物。昨晩は寝付けずに悶々。田村は1時前にさっさと薬に頼る。私は薬を使わずに眠ったのかどうかわからないような一晩を過ごす。朝8時に明日のコンサートを主催してくれているマットに今日のコンファームのメールを入れなくてはいけないので、一旦起きて朝食をホテルの一階の朝食会場から部屋にテイクアウト。マットが今日3時に会場の下見に付き添ってくれるという返事があり、ビデオ撮影をお願いしているケネスにもメール。朝食後に2人とも気分は真夜中でダウン。1時間半ほど眠り少しは楽になる。
昨晩テイクアウトしたタイのレフトオーバーを部屋のキチネットにあるIHと電子レンジで温めて美味しくいただく。こちらの量は楽に2食分ある。明日の仕事の確認メールを送りまくり、会場の機材や録音エンジニアとの最終確認。ジャズクラブやフェスティバルでの演奏ではなくて、明日は半ばセルフプロダクト。次から次にやることが出てくる。
3時にホテルから歩いて5分の会場DiMenna Centerに。
マットはもう待っていてくれた。会ってみたら、なるほどどこかでお会いした記憶がある。聞いてみたら2019年の12月にマンハッタンでの田村藤井デュオのコンサートに来てくれていた。そのコンサートはエリックという音楽ファンがセッティングしていたコンサートシリーズで、私たちが演奏したその晩自宅に戻ったエリックは亡くなるというショックなことがあった。そのエリックのご縁で今回の藤井リーダーアルバム100作目プロジェクトに繋がったというのはなんとも感慨深い。
DiMenna Centerの会場ではオーケストラがリハーサルをしていて中には入れなかったが、ドアの外から中を見ることはできた。なるほど、生音が素晴らしそうな会場。マンハッタンにこんな贅沢な会場があるとは驚きだ。街では誰もマスクしていないのに、ここのビルはワクチン証明の提示とマスクが必要。
ホテルに戻り、またまたメンバーやスタッフとメールのやり取りをしてから、さて夕食。外のレストランでの食事はコロナリスクがゼロではないので、控えている。今夜はまたまたアメリカ寿司。テイクアウトして部屋でビールと一緒に美味しくいただく。枝豆も美味しかった。
夜は早めに10時過ぎにベッドに入ったものの、まだまだ悶々。
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9.18(日)
夜遅くになかなか眠れずに睡眠導入剤依存したため、朝9時過ぎまでぐっすり。急いで一階の朝ごはんに行きヨーグルトとベーグルとコーヒーを部屋に持ち帰る。簡単に朝ごはんしてから今日はイーストビレッジの公園で友人のイクエさんとピクニックの約束。朝寝したために約束を遅らせてもらって12:30に待ち合わせ、おすすめのメキシカンをテイクアウトして公園でピクニック。今日のニューヨークは日差しにも恵まれ30度近くまで気温も上がり、私は暖かくて大満足。メキシカンもあっさり、しっかり手作り、でとても美味しい。3人でまったり4時間くらいのんびりさせてもらえた。途中スクワローも近くに来て可愛らしい姿を見せてくれる。
ホテルからはウーバーで行ったが、帰りはタクシーを利用。タクシーの質の悪さはニューヨークは神戸と競う。東京とドイツのタクシーは安心して乗ってられるが、ニューヨークや神戸のタクシーは運転もサービスもひどい。もちろんいい人もいるが、あまり良い思いをしたことはない。確かに今はウーバーより安いが、もうタクシーには乗りたくないと思うほどの乱暴な運転に態度。お陰でこちらも鍛えられる。ホテルに戻って、明後日のコンサートに備え田村はトランペット口ならし。夕食は近所の評判の高いタイレストランでパッタイとパイナップルフライドライスをテイクアウト。ビールも調達してホテルの部屋で美味しくいただく。評判高いだけあってレベルの高いタイフードを満喫。2人とも陽光とのんびりの1日で体調がほぼ戻る。
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9.17(土)
朝になっても胃がしくしく。持参したガスターを飲んで、ホッカイロをお腹にあてる。それでも朝食はヨーグルトとクロワッサンを少しいただく。主催者ポールの自宅に行ってお茶飲みながら歓談。ポール、音楽と詩の話をしたら止まりません。その上、多くの共通の友人たちの近況とか話は止まらずに昼近く。デイブがロブスターロールを買ってきてくれて、みんなでポール宅のバルコニーでランチ。メインといえばメインロブスター。ロブスターならば胃に負担もかからずにコールスローと一緒にあっさりといただけた。2時前に空港まで送ってもらってニューヨーク行きのフライトに乗り込む。機体はかなり小さく通路を挟んで2列2列。座席上の棚に持ち込んだキャリーバッグが収まらない。とはいえ、パソコン2台入っているのでそのまま預ける訳にはいかずにパソコンを取り出してから、アテンダントに預ける。飛行機の旅も色々と大変。それでもオンタイムでニューヨークJFKに無事到着。バッゲージクレームまで歩く歩く、一気に運動不足解消。チェックインバッゲージをピックアップ後にUberのピックアップ出口まで移動。持参しているskyberryのルーターをつけてiPhoneでウーバーをオーダー。タクシーの列より早く車に乗れる。値段も事前にわかって気が楽だが、なんと105ドル!!昔(20年前くらい)は35ドルくらいだった、数年前に80ドルくらいになっていて腰が抜けたが、いつの間にか100ドルを超えていた。チップ15%
とか20%とか加えたら、もう計算もしたくない金額だ。でも渋滞はあっても楽々でマンハッタンに入る。あー、ニューヨーク!!このエネルギー。ついた途端に戦闘モード。
今回のホテルはミッドタウンサウスウエスト、ヘルズキッチンの会場近くのキチネット付きのホテル。一泊最低でも400ドルのマンハッタン。アメリカ人たちはどうやってこの中で生活できるのだろう。もう破綻してもおかしくないと感じ始めてからすでに20年近く経つ。21年前の911や14年前のリーマンショックから見た目は立ち直っていても、このままで成立し続けるとはとても思えない。貨幣が金に代わって作られたのがいつの間にか貨幣はただ印刷されている。投資したい気持ちがあって気概のある人に投資していたのが今や金融商品はただのマネーゲームとなっている。私は経済のことは全くわからない。でも今のシステムが正しいとはとても思えない。貧富の差は大きくなりそれが社会問題を引き起こす要因にもなっている。
ホテルで荷を解いてから、近所の怪しい寿司屋さんでテイクアウト。カリフォルニアロールにアラスカロールにドラゴンロール。結構美味しい。これはもうアメリカ料理。アメリカでしか食べられない寿司だ。
田村はまた洗濯モード。私はメールの返信やらに追われる。
ホテルの屋上よりハドソンリバーを
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9.16(金)
午後1時過ぎのバスでポートランドに向かう。バスの駅まではホテルからタクシーで向かう。最近はタクシーもウーバーもあまり値段が変わらないというのでタクシーを使ったが、やっぱりウーバーの方が最初から値段もわかるし気が楽だ。鉄道事情のよろしくないアメリカでは、移動はバスの方がはるかに楽だったりする。ボストンからポートランドまでバスで2時間、電車だと3時間かかる。ポートランドには主催者のポールと地元でジャズのFM番組をやっていているデイブが迎えに来てくれている。前回ここで演奏したのが2019年4月だったから3年半ぶりだ。
ホテルにチェックインしてから会場に向かう。今まで使っていた教会とは違う会場で、音楽学校のホールでの演奏だ。メイン州ポートランドには多くのアーチストも住んでいて、この北端の街は文化的。その上、大都市のように人々がドライではなくて本当に暖かい。いつ来て演奏しても、心底楽しんでくれる。今回はさらに反響があり、わたしたちも良い演奏ができたと大満足の晩となった。
メイン州はアメリカの北端、カナダとの国境に位置する州で冬はとんでもなく寒い。まだそこまで冷えてはいないと思ったら、結構寒くて夜は6度まで下がった。それでなくても冷え性で寒がりなのに、せっかく持ってきたホッカイロはホテルに置いたままで会場に行き、リハーサルも本番も寒かった。その上、ピザのデリバリーで夕食と思ったら、全然来なくて、朝8時に食べた朝食後15時間も何も食べずにホテルに持ち帰った冷え切ったピザとビールの悲しい晩御飯となった。それでもとにかく空腹なので就寝前にガッツリと食べたら、2人とも夜中に胃の調子がおかしい。普段が規則正しい3食派なのにこんなことやったら体調を崩すと反省しきり。
冷え性の私はなぜか左半身だけ冷たくなる。両足合わせると左足のつま先は氷のようになる。夏は右上半身の背中だけ汗かくし、パーマかけると温度の高い右側だけしっかりかかる。自律神経なのか、悪性腫瘍が脊椎にあるのか、いまだに不明だが気がついてから10年以上は経つのでおそらくそんなに深刻ではないのではないかと勝手に考えている。どなたか同じような方がいたら教えてください。
そして私はついに睡眠導入剤使わずに眠れました。田村さんは薬物依存しています。
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9.15(木)
昨晩は睡眠導入剤なしで横になったが、結局3時頃にやっぱり薬に頼ってしまった。今日も仕事はない日、ゆっくり起きて昨日のえりちゃん手料理でブランチ。散歩がてらホール・フーズ(自然食スーパー)に水とか朝のパンを買いに。明日はメイン州ポートランドに向かうので、荷物を整理したりのんびりと過ごす。夕方4時過ぎに地下鉄で友人宅に向かう。ボストンの地下鉄はシンプルな路線図で誰でも簡単に乗車できる。ただ、途中でいきなり急行になったりするので要注意。ボストンで学生時代に真冬の雪の降るマイナス20度の中、急行になり途中下車を何度もしたことを思い出す。
友人宅で、料理の上手なご主人のステーキとパスタ、サラダをご馳走になる。ここまで美味しいステーキは食べたことがない。私が大好きなニューヨークのピーター・ルーガーのTボーンステーキより美味しい。外で火をおこして特別なチップ(木片)を使ったフレーバー。パスタもサラダも見事なバランスで大満足のディナー。日本の霜降りビーフにはないおいしさ。なんとご主人はベジタリアンで本人は肉も魚も食べないのに、ステーキ焼くのは大好き。いいひとだ。彼らとの付き合いももう26年。彼女はPRのプロで、さまざまな場面で助言をもらえる。私の拙い英語の文章にも丁寧に目を通して修正してくれる心強い仲間だ。同年輩のせいもあり、気分的にはもうほとんど家族。遠くにいて滅多に会わないのに、何か辛いこととかあると彼女に真っ先にメールする。話は弾みまくり、夜もすっかり更けて、車でホテルまで送ってもらう。今日も美味しい一日だった。
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9.14(水)
今日明日はボストンでオフという豪華なスケジュール、普通のツアーでこれはないです。今回は来週のニューヨークでの藤井郷子100作目リーダーアルバムプロジェクトに照準を置いているので、のんびりとしたスケジュール。
朝ごはんは部屋で購入してあるパン、ジュース、ブドウ、コーヒーで済ませる。それからせっせと溜まった事務仕事。目一杯になっているメールの受信簿とパソコンのデスクトップの書類を一つづつ片していく。若いときのように記憶が鮮明ではないから、仕事の半分近くは探し物。パソコンの中だったり、カバンの中だったり。歳とるって結構大変。午前中いっぱいかかって、なんとか色々とキャッチアップ。今日は12時半にバークリー時代の旧友えりちゃんとのんびりランチの約束。車で郊外の自宅からホテルにまで迎えにきてくれてプリューデンシャルビル地下の駐車場に停めた後、歩いてボイルストンにあるシーフードレストランに向かう。私はカラマリ(イカ)グリーンアスパラサラダ、田村はホタテが載っているサラダ、えりちゃんはオイスターにクラムチャウダー。ボストンはシーフードの名所。16日に向かうメイン州ポートランドでロブスターをと思っているので、ここではロブスターは選ばなかった。前回あったのはパンデミック前の2020年2月、結構定期的に会っていたし、こんなに会えなくなるなんて想像しなかったので、溜まった話が弾む。場所を変えてコーヒー。これまた美味しいコーヒーでうれしい。なんとその上、彼女は手作りの料理を数々持ってきてくれた。料理が大好きな上、手間を惜しまない彼女の料理は仲間内で大評判。以前自宅に泊めてもらった時、晩のパーティーのために朝からキッチンに立ちっぱなしで料理していた。なるほど、手間のかけ方が半端ではない。その上、朝ごはんは日本の旅館の朝食みたいなのが並ぶ。フルートで日本の音大卒業してからバークリーではピアノ、そして子供も巣立った今は作曲の仕事をしている。フィールドはちょっと違うけど、情報交換したりしてお互いの刺激になっている。
夕方ホテルまで送り届けてもらってから、昼のワインもきいてお昼寝。
のんびりとえりちゃんが持ってきてくれた超おいしい手料理の夕食。エビクリームコロッケ、パプリカをオーブンで焼き皮剥いてトマトの皮剥いたのと一緒にマリネ、おにぎり、オクラのお浸し、ポテトサラダ、そしてなんとお煮しめ!どれも手間のかかった料理でホテルでのんびり。味噌汁までつけてくれる行き届いたおもてなし!!特別な晩となりました。
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