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なんでもかんでも

2015年Kaze 北米ツアー-3
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    5/21
    昨晩は、演奏後にトロントのミュージシャンと話し込み、会場を出たのは12時近かった。が、ホテルに戻る道中でしっかりビールを飲んで行く。演奏後はそれなりに興奮状態にあるので、翌日の出発が早くてもすぐに眠る気にはなれない。その風貌とは裏腹にほとんどお酒を嗜まない田村は、うだうだとみんなで飲むのはあまり好きではない。私が分析するに、彼は孤独には強い人間で、ひとりの時間もあまり寂しいとは感じないようだ。私なんか正反対の寂しがりやなので、いつもだれかと一緒にいたい。日本人ふたりとフランス人ふたりが、バーで拙い英語で話を弾ませる。ホテルに戻り、荷造りしてベッドに入るのは1時過ぎ。まあ、5時間は眠れる。比較的、楽なツアーだ。6時に起きて、7時過ぎの出発の準備をする。大型タクシーを手配して空港に向かう。ツアー中は、ほとんど最年少のピーターに頼りきっている。田村と私から見れば息子くらい若い彼は、ものすごくしっかりしていて、責任感もある。田村と私は、彼の事を日本語で「お兄ちゃん」と呼んでいる。人間は社会動物だから、ふたり以上集まれば、その中での役割で動く。それは、とりきめじゃなくて、自然にそうなる。音楽も不思議と似たような役割が決まってくる。田村とクリスチャンは、自由奔放に表現して、私とピーターが全体の構成とか流れを作る。もちろん、楽器の特性もあるかもしれないが、性格によるところも大きい気がする。
    トロントからカルガリー、飛行機で4時間、時差は2時間。アメリカ大陸はやっぱり広い。カルガリーに着き、空港で腹ごしらえをして、主催者宅にタクシーで向かう。空港からしばらくは手付かずの野原。昔、初めてアメリカに来た時に「日本は自然に恵まれた国」と教科書に出ていたのには、すっかり騙されていたと思った。規模が全然違う。今日は地元のミュージシャン、2ユニットとトリプルビル、つまり3つのバンドのショー。2番目にサックスソロで演奏したジョナサン、日本語がペラペラ。昔、岐阜の安八町の中学校で英語の先生のアシスタントをしていたそうだ。クラスで生徒の前に立ち、ドッグの発音は、と英語の先生が言うと、dogとネイティブの発音をするのが仕事だったらしい。それで、英語教育が効果を上げているとは、とても思えない。日本人が英語が苦手なのは、ジャパニーズイングリッシュの発音のせいではないと思う。そう思ってしまう日本人の性格が英語が話せない理由だと思う。ただ、多くの若者に海外から日本に来るチャンスを与えるという意味では、このプログラムは悪くないかもしれない。
     
    5/22
    今日はバスでカルガリーからエドモントンに移動。4時間強だ。朝、主催者と話していて、ケリー・チュルコの話になる。世間は狭い。ケリーのコンサートを彼が亡くなる3ヶ月くらい前に主催したそうだ。ケリーはカナダ中西部、ウイニペグ近くの出身だから、カルガリーには遠くないわけだ。このあたりでは、車で8時間とか走ってようやく隣町らしい。ケリーからもそういう話を聞いた事がある。バス車中でどこまでも続く草原を眺めつつ、ケリーに想いを馳せる。素晴らしい音楽家で、本当にやさしい人間で、揺るがない価値観を持っていた。彼が亡くなったという一報を聞いた時は、ものすごく悔しく無念な思いがした。彼が、生きる事に意欲を持ち、音楽をやり続ける事に強い情熱を持っていた事を知っていたし、何せ若かったしで、やるせない気持ちになった。しばらくして、かれのfacebookに彼が病室で家族に囲まれている写真がポストされた。それを見て、私は勝手に慰められた。彼は多くの愛に囲まれていたんだとわかったから、救われる思いだった。もちろん、彼は私たち仲間の心の中で生き続けている。
    エドモントンのホテルにチェックイン後、今日は演奏がないので、ホテルでみんなでカナダワインとチーズを楽しむ。ワインとチーズにはうるさいフランス人ふたりも、カナダワインのおいしさにびっくり。私も田村もワインは全くわからないタイプだが、ヨーロッパやカリフォルニアのワインよりずっと飲みやすくて、おいしい気がする。そのあと、近所のタイレストランに繰り出し、久しぶりに動けなくなるくらい食べる。ツアー中の暴飲暴食や生ものは、体調を崩すので極力控えているが、ついつい食べてしまった。ここでもみんなでワイン一本あける。とはいえ、私と田村はグラス一杯くらいしか飲んでいない。でも、私たちはもうベロベロでお腹いっぱいで、消化のためにウイスキーを飲みに行こうというふたりと別れて部屋に戻り、10時過ぎには就寝。一気に寝不足を取り返す。
     
    5/23
    よく寝た。8時間くらい。田村は、どんなに遅く寝ても早く寝ても、5時くらいには目が覚めてしまう。そのあとはウトウト程度らしい。40歳過ぎくらいからそんなで、私もその歳になればわかると当時は話していたが、どうも私はちょっと違う。田村のように寝付きは良くないが、一旦寝たらしつこく眠れるタイプだ。私はその上、乗り物に乗ったら爆睡できるという特技もある。飛行機の離陸は99%知らないで寝ている。この特技もおかげで、移動の厳しいツアーをこなせる。
    朝食後、ホテルの部屋で6月の日本ツアーの段取りなどをして、昼はホテル近くのケイジャンレストランに出かける。ジャンバラヤとナマズを食す。物価の安いベルリンや、安価に外食のできる日本に比べるとカナダもけっこう高い。食後、おいしいコーヒーが飲みたくてカフェを探してのんびりとコーヒータイム。カフェの前をGMO反対、モンサント反対のデモが行く。日本でもヨーロッパでもアメリカ、カナダでもこんなに問題視されて、デモが多く起きているのに、こういう声はどうして社会を変えられないのだろう? 
    ホテルに戻り、翌日のスケジュールを見たら、フライトが7時半で、タクシーの迎えが6時。明日はオタワ経由でニューヨーク、国境を越える。間に合うのかな?カナダからアメリカに行く際はアメリカ入国審査はカナダで搭乗前に行う。それが、もしエドモントンでやる必要があるとしたら、時間的に間に合わないかもしれない。トランジットのオタワで行うのだったら、間に合いそうだ。そんな情報がないか、インターネットでググってみる。もちろん、航空会社に電話で聞くのが一番手っ取り早いとは思うが。ぴったりのケースを見つける。だれかのブログで同じ時間の同じフライト、読んでみるとアメリカ入国審査はエドモントンではなくオタワらしい。さらに読み進めると、あれれ、知人の名前が出てきた。なんと、よくよく見たら、私のブログだった。前回エドモントンに来た2005年9月のブログだった。まさか、自分のブログで情報を得るとは!
    エドモントンの会場は前回と同じヤードバードスイートというクラブ。でも、ここでのコンサートはエドモントンジャズというジャズ愛好者の団体がボランティアで運営している。ついた途端に日本人の女性のボランティアが話しかけてくる。今回のツアー、MCはみんなで順番に行っている。今夜は私の番。ツアーに合わせて作った「風」という漢字のTシャツの説明やら、なぜか知らないがやたらに受ける。それまでのペースで考えて、会場には販売用Tシャツを5枚しか持参して行かなかったのだが、あっという間に売り切れ。20枚は確実に売れたのにと聞いて、全部持って来ればよかったと悔しい思いをする。MCだけではなく、演奏も大受け。なんかのタイミングでツボにはまったみたい。終演後は、タクシーを20分以上待ってもこないので、諦めて歩いてホテルに戻る。土曜日のせいか、エドモントンの街は大騒ぎ。マフラーを切ったバリバリの改造車にバイクの列、若者たちは道ばたでもパーティー騒ぎ。ホテルに戻ったらもう12時半。明日の迎えは6時。荷物の整理をしたり、シャワー浴びたり、気がつくと2時近い。睡眠時間は4時間弱。明日は長い1日になりそうだ。
     
    5/24
    6時前にチェックアウト。もう車が迎えに来ていた。いつもちょっとのんびりタイムのクリスチャンを待って、空港に出発。ここからが大変だった。空港でチェックインをしようとしても、機械でだれのパスポートも読み取れない。仕方なくチェックインカウンターに。そこで、エアラインの人から指摘を受ける。どうも苗字と名前が反対の状態になってしまっているらしい。カウンターの人があちこちに電話したりして、なんとか訂正してくれたが、かなり時間がかかった。急いで、セキュリティーに進む。ゲートに行くともう搭乗が始まっていた。朝食をとる時間がなかったので、仕方なく飛行機の中で朝食を買う。オタワに到着後、さて、ここでアメリカ入国審査と空港内を歩いて行く途中、ピーターとクリスチャンがちょっと一服したいと。彼らは喫煙するので、飛行機移動はトランジットの度にニコチン補給が必要。私と田村は米国入国審査に進む、書類を書き込んでいると、ピーターがひとりで来る。え?クリスチャンは?なんと彼は飛行機にバッグを忘れたそうだ。げげげ!!間に合うか?!それぞれ入国審査後にゲートで会おうという事になり、私と田村は入国審査に進む。なぜかやたらに時間がかかる。どうも私のパスポートが2月にベルリンで盗まれたために、新しいパスポートとの照合に手間取っているらしい。ピーターが後から来て、さっさと行き、クリスチャンも無事にやってきて、さっさと行き、私たちだけが取り残される。間に合うの?!なんとか無事に手続きが終わり、ゲートに入ったら、これまたもう搭乗が始まっている。ニューヨーク到着後は時間がないスケジュールなので、空港価格のまずそうなサンドイッチを買って搭乗。1時間半のフライト、ゆっくりとはできない。サンドイッチを流し込む。ニューヨークではバッグをピックアップしたら、レンタカーのオフィスまでシャトルバスで移動。運転は若いピーターとクリスチャンにお任せ。ラガーディア空港からiPhoneGPSを頼りに今夜の会場、ブルックリンのSoup & Soundに。ここは、渋滞もなく、スムースに到着。Soup & Soundはドラムのアンドリュー・ドウルーリーが最近自宅のリビングで始めたサロンコンサートシリーズ。来てくれるお客さんのために彼が手作りのスープを作る。ミュージシャンが運営する場所で演奏するのは、ものすごく楽だ。お互い共通の認識があるし、話が早い。素晴らしく気持ち良く演奏させてもらった。今後、NPOとしての登録をして、場所の運営を展開していきたいというアンドリューに、心から敬意と謝意を感じる。演奏後は私たちも彼の手作りのおいしいガスパッチョとポテトサラダを頂き、レンタカーで宿泊先のコネチカット州スタンフォードに向かう。ニューヨークでの宿泊は極端に高いので、明日の公演地ボストンに向けて走る途中での宿泊を計画した。長い1日だ。ホテルに着いたのは12時前。フロントの人がハイチからの移民で、フランス語を話す。明日は9時半の出発。
     
    5/25
    朝9時半にレンタカーでボストンに向かう。3時間強のドライブ。ボストンでは友人宅に居候。渋滞もなく、12時過ぎに着きそうだ。ランチしてからバッグを友人宅にドロップし、それからレンタカーを返しに行くと当初は相談していたが、先にバッグをドロップしてから、車返却場所近所のシーフードレストランに行こうという事になる。昨日1日しっかりした食事をとっていなかったので、ランチから気合いがはいっている。友人のジェーンが誘導してくれて、車返却場所に到着。みんなでランチ。私はエビ、ホタテ、白身魚のキャセロール、田村は大西洋のホタテの炭火焼、クリスチャンは私と同じキャセロール、ピーターはボストン名物ハマグリのフライ。食後はおいしいエスプレッソを飲まないと終わらないフランス人。近所のカフェに行き、エスプレッソを飲み、みんな幸せ。ジェーンの家に戻り、私たちは旅の最重要な仕事、洗濯にとりかかる。今日はジェーン宅の洗濯機と乾燥機を借りて、大量に仕上げる。5時すぎに友人のえりちゃんが迎えに来てくれて、会場に行く。ボストンは私にとっては6年以上暮らした第2の故郷。祝日のメモリアルディなのに、来てくれたお客さんに感謝。今夜も最高の気分で演奏できました。
     
    | ツアー日記 | 08:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    2015年Kaze 北米ツアー -2
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      5/20
      ツアーで大変なのは、実は演奏よりも移動。ときには、ホテ ルの部屋に戻るのが夜中の1時や2時、翌日の出発が朝5時前だったりもする。今日は移動なしの楽な日。朝食をホテルでとり、ランチは近くのチャイナタウン で飲茶に行こうという事になる。昼間暇でも、体力温存のために観光なんかはしない。道中で体調崩したら、とんでもなく辛い事になる。ピーターとクリスチャ ンは飲茶、初体験。だいたいヨーロッパは北米のようにチャイナタウンもないし、中華料理よりタイやベトナム料理のほうがポピュラーだ。田村が事前に調べた 店は、いながらにして中国、というかんじのお客さんも中国人の多い店。不慣れのフランス人ふたりは、中国パワーに押されて呆然としている。ビールを頼んだ ら、グラスが来なくて、レストランなのにグラスが来ないの?とカルチャーショックを受けている。呆然としながらも、おいしく頂いて、食後はホテルの前のエ スプレッソバーでコーヒー。チャイナタウンとの雰囲気の違いがすごい。午後は、私は6月の東京と神戸でのオーケストラの譜面作りに追われる。コンピュータ があれば、ほぼなんでも仕事ができちゃうという、ツアー中でも便利すぎてのんびりできない環境にある。
      夜 6時にホテルから会場まで、また徒歩で出発、途中、夕食に寄ったレストランでワインを1本。私も田村も、本番前のアルコールは、演奏不可能になるので、グ ラス4分の1だけおつきあい。クリスチャンとピーターで一本開けて、ふたりともケロっとしている。彼らはビールとかワインじゃ全く酔っ払わない。日本人の アルコール分解と、根本的に違うみたい。
      今夜はトロントのミュージシャンたちと組み合わせを色々と変えてのインプロナイト。カメラを5台設置して、その画像をリアルタイムでミックスした映像も使う、マルチメディア公演。こちらの動きが映像に影響される事に気づいた田村が、踊り出す。夫が天才だと何かと苦労する。
      トロントの熱くて、真摯で、誠意あるミュージシャンとの出会いは、大きな収穫だ。
      | ツアー日記 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      2015年Kaze 北米ツアー
      0
        by 藤井郷子

        5/15
        朝6時50分のフライトでベルリンからパリにGermanwingsで飛ぶ。今回の北米ツアーはヨーロッパのツアー先から直接向かうはずだったのが、私と田村の体調不良でヨーロッパの仕事をキャンセルし、急遽ベルリンから向かう事になった。パリまで向かうのは、半分フランスのバンド、KAZEが今回はフランスの団体の助成を受けているので、フランス発着する必要がある。
        つい先日のパイロットの道連れ墜落事故もあり、Germanwingsは避けたかったが、他のエアラインの半額くらいという金額の誘惑には勝てなかった。
        パリの空港で3時間ほどリールから電車で来るクリスチャンとピーターを待ち、合流してモントリオールに向かう。7時間くらいのフライトは、ヨーロッパや北米と東京を行き来している私たちには比較的短く感じられて、楽だったが、実はその後の陸路が大変だった。モントリオールから車で2時間ほどのヴィクトリアビルのフェスティバル、私は3回目の出演だが、今回は途中の橋の工事のために、3時間くらいかかった。快適とは言えない車のクッションで、着く頃に腰が痛い。もうすでに初日のコンサートが始まっていたが、飛んでいきたい気持ちを抑えて、おとなしく休む事にする。18日間のツアー、休める時はとにかく休む。
         
        5/16
        10日前に東京からベルリン、昨日、ベルリンからモントリオール、ダブル時差で、体もなんだかわからない状態で、朝5時には起きる。まあ、だいたい私たちはどこでも朝食は一番乗り。今回も7時の朝食開始時間に一番乗り。ヴィクトリアビルはケベックの豊かな美しい自然に囲まれた村だが、悲しい事においしいコーヒーや食事にありつける事は少ない。朝のコーヒーがおいしくないのは、けっこう悲しい。ニューヨークからの友人たちと、再会できたり、友人ができたりとフェスティバルならではの、楽しいひと時を過ごす。
        朝11時からプレスコンファレンス。KAZEは新譜リリースに合わせてのツアーという事もあり、4人で参加。「ベルリンに引っ越したのはどうして?」「なにしろ、物価が安い。ピザが3ユーロで食べられる」これで、プロモーションになるの?というやりとり。
        その後は存分にフェスティバルでのコンサートを楽しむ。会場は3カ所、以前はどの会場も歩いて行けたが、今回は会場がひとつだけ遠くにあり、車でないと行けない。フェスティバルの用意してくれる車だけではなく、ニューヨークから車で来ている音楽ファンの人にのせてもらって、移動したり、思わぬ出会いもある。ここでは、評論家も音楽ファンもミュージシャンも同じように音楽を楽しむ。
         
        5/17
        夜は私たちの出番で、その前にサウンドチェックとかあるが、ぎりぎりまで、他のコンサートを楽しみたいので、ホテルにはほとんど帰らずに過ごす。病み上がりで体調が不安なので、昨日も一昨日もアルコールは控えていたが、演奏後はついにビールで乾杯!
        このフェスティバルは、実験音楽、ロック、ジャズとカバーしていて、私たちの演奏の後は、カナダ初演のフランスのベテランバンド、マグマ。全部終わったら、ホテルのバーでメープルウイスキー(?!)。不思議な甘いウイスキーを楽しむ。
         
        5/18
        モントリオールまで、フェスティバルの車で向かう。今日はモントリオールでオフ。田村と私はダウンタウンのホテルで、ピーターとクリスチャンはモントリオールの友人宅で過ごす。ツアー中の大仕事、洗濯をした後はのんびりと昼寝。ヴィクトリアビルから来ると目がくらみそうなまばゆい都会生活をレストランやカフェで楽しむ。お昼寝もしっかりして、6月の日本ツアーでの選曲やらアレンジやらして過ごす。
         
        5/19
        ホテルは駅から10分ほどだが、まだまだCDやら制作したTシャツやらで、荷物が重たいので、タクシーで向かう。ピーターとクリスチャンとは9時半に駅で待ち合わせしていたが、9時15分にはもう全員揃う。電車で6時間、トロントに向かう。着くのは3時半だから、まずは昼食の調達。寿司が買いたかった田村だが、店が11時まで開かないので、諦めてサンドイッチをテイクアウト。電車なのに、荷物のチェックインが必要。
        車内はwifiが飛んでいて、おかげで仕事がはかどっちゃって、睡眠がとれない。
        トロント駅からホテルまでは、タクシーと考えていたが、改めて荷物の量を見たら、とても1台では無理。大型タクシーも見つからないので、仕方なく2台に分乗。こういう予想外の出費はツアーに出るとけっこう嵩む。助成が出ているとはいえ、上限がある助成なので、気をつけないと赤字になっちゃう。もちろん、何もかもカバーしてくれる仕事もあるが、昨今はどこも文化の出費はカットされるばかりだ。ホテルから会場は2キロ弱、途中で食事しながら、ぶらぶら歩いて行く。が、シンバル持って、トランペット持って、CD持って、けっこう歩きがいのある距離だ。今夜のコンサートはトロントのミュージシャンが企画してくれたもので、明日は彼らとのインプロコンサートも企画されている。会場は、クラブではなく、50人くらいのキャパシティのスペース。音の響きがものすごくデッドで、リズムセクションにとっては、とても演奏が難しかった。いつもは、ライブすぎる教会とかで悩まされているが、デッドで悩まされたのは初めて。こういうのも経験してみないとわからない。1セット目はコンサートを企画してくれたサックスのニューマンさんとトロンボーンのセガーさんのデュオ。静謐な演奏に心が澄むような気がする。2セット目、KAZEの演奏終了後、ホテルの帰路の道中で、ビールを一杯。ヴィクトリアビルのフェスティバルでの他のコンサートの話題になる。驚くほど、感じ方や受け取り方がみんな違って、改めて音楽って響き方が様々なんだと驚く。それが、音楽の面白いところでもあり、難しいところでもある。早く走れればいい、得点がとれればいいという種類の評価はできない。音楽家ができる事は信じる音楽を精一杯演奏する事だ。

         
        | ツアー日記 | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        ストレス
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          by 藤井郷子

          今まで、ストレスがどういうものなのか、私自らがストレスを持っているのかも全くわからなかった。20代後半から時々発症を繰り返す低音の耳鳴りは、専門医に「ストレスが原因ですね。女性に多いんですよ」と言われ、持病の歯周病は歯科医に「ストレスがあったり、体調を崩すと発症しますよ」と言われたが、ストレスの自覚はないし、計ってもくれないから、なんのことだかさっぱりわからなかった。もしかしたら、治療ができないから、ストレスのせいにしてるんじゃないかとすら思った。ストレスを口にするお医者さんの中のひとりに、忙しいこと自体がストレスなんだ、という先生がいた。私は幸運なことに好きな仕事だけして生きて来た人間なので、好きな仕事で忙しい時は幸せだけど、暇な時はむしろ気持ちが晴れず、ますます「ストレス」の意味がわからずにいた。
           
          昨年秋から、その好きな仕事がありがたいことにものすごく忙しい。音楽家だから作曲したり、演奏するのが仕事だが、実際はその部分は他の仕事も含めると全体の1割くらいにしかならない。仕事をとるためには、依頼主との交渉、決定したら、共演者との打ち合わせ、仕事先への移動の手はずや、フライヤーを作ったり、時には宿泊の手配もする。マネージャーの仕事をほとんど全てやっているので、プロモーションも含めて並大抵な仕事量ではない。大変なのは、私と共演者、それに主催者が時差があるところにいる時。先月は東京で、ヨーロッパの共演者と北米の主催者とのメールでの急ぎのやりとりで、ゆっくりと眠れない日が何日も続いた。同時にたくさんのメールでのやりとりをしつつ、飛行機の予約を入れて、電車の移動を確認して、なんてやっていると、もう能力の限界。カリカリとしてくる。その上、眠い。でもでも、全ては楽しい演奏のため。そう考えるとますます頑張れる。
          先週、ベルリンに戻り、わずか3泊してからはじまるツアーのために、譜面の整理、荷造り、留守中に溜まった手紙の整理とか走り回っている中、ドイツの鉄道のストライキのニュース。仕事がまだまだ途中なのに、駅に飛んでいき翌日の電車の運行を確認、帰宅して、さあ荷造りと思った時に、あ〜〜、これがストレスなんだと認識。つまり能力を超えた仕事量で負荷がかかっている状態。仕事がいっぱいでも、自分のペースで処理できたり、楽しくやれるうちはまだ大丈夫だったが、とてもじゃないけどマイペースなんて言ってられない。そして、ストレスを認識してから数時間後に身体中に痛みを感じ、熱まで出はじめた。おかげで、翌日からの仕事を2本キャンセルすることになってしまった。ドイツとフランスとの大編成の仕事、40人以上の共演者に迷惑をかけることになってしまい、起きられないベッドの中でどうしてこんなことになったんだろうともんもんと考えた。結果的に病気になったわけだが、その引き金は私の働き方にあったような気がしてきた。何もかもとにかく納得のいくようにやりたいと、自他ともに無理を強いてきた。順番にペースを考えてやれば、負担にもストレスにもならないはずなのに、力づくて何もかも解決しようとしてきた。世の中には、忙しい人はいっぱいいる。私なんかよりずっと忙しい人が、たくさんいるはずだ。問題は忙しいことではなく、その多忙な仕事とどう向き合うかだと思う。
          今回の経験のおかげで、ストレスってこれだ、とわかるようになった。
           
          | エッセイ by 藤井郷子 | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          浮草稼業
          0
            by 藤井郷子

            演奏できるところには、どこへでも出かけて行く。今年、2014年の9月10月のスケジュールはけっこう過密だった。ロンドン、スコットランド、アメリカ、韓国、日本のツアーとほとんど休みなくまわった。

            「お仕事でいろいろなところに行けていいですねぇ」とよく言われる。確かにいろいろな所には行く、でも大抵は空港や駅から演奏会場とホテル、一泊したら翌朝は早朝に出発で、観光などほとんどしないから、町の様子すらもよくは知らない。
            「せっかく行ったのだからゆっくりすればいいのに」ともよく言われる。その通りなのだが、私たちのように非商業的で一般受けが難しい音楽を演奏していると、ゆっくり泊まっちゃったら、赤字になっちゃうのだ。
            「それでは、一般受けしそうな音楽を演奏すれば?」ともよく言われる。残念ながらそんな気は毛頭ない。そもそも、やりたい音楽を演奏する人生を選んだのだから、その音楽を演奏することが意味のあることなのだ。つまり、お金で価値を計る世界ではやっていない。もちろん、お金がないと生活できないので、やりたい音楽をやって報酬をいただければ、本当にありがたい。
             
            売れる音楽だけが、社会に、人間に必要だと考える人たちもいる。音楽も市場経済の枠組みの中で淘汰されるのが当然という考え方らしい。そうしたら、私の音楽は存在意味もないものになる。世の中には「売れる音楽」だけが充満する。それが、豊かなこととはおよそ思えない。それでは、質の高い音楽だけ選べばいいと言う人たちもいる。誰がどう質の高さを決めるのか?
             
            私は、売れても売れなくても「私の音楽」を演奏できることが、幸せだし意味がある。だから、きつい旅程でも移動でも仕事がはいればとんでいく。
             
             
             
             
             
             
            | エッセイ by 藤井郷子 | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            海外生活
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              by 藤井郷子

              はじめて海外に出たのは、27歳の時だった。そもそも出不精の私はそれまで、飛行機に乗った事もなかった。それがいきなり、留学のためにアメリカボストンに向かった。その当時はインターネットもないし、アメリカには友人も知人もいなかった。知人の知人がニューヨークにひとり、ボストンにひとりいたが、会った事も話した事もない方達だ。ニューヨークまでは直行便でその頃、東京から15時間かけて着いた。知人の知人が空港まで迎えに来てくれて、商社マンのその人は私が若い女性という事で、気を使ってマンハッタンの五番街をドライブがてら見せてくれた。が、ブランドなんか何も知らない私には、なんだかさっぱりわからない。その後、まだその頃は営業していたセントラルパークとなりにあるパークプラザホテルのオイスターバーに連れて行ってくれた。食後は車で翌日ボストンに発つラガーディア空港近くのホテルまで送ってくれた。ここまでは、その人に頼りっぱなしで何も苦労しなかったが、ホテルに着いてからが大変だった。無事に着いたと日本の家族に電話したいが、電話の仕方がわからない。フロントで聞いても、何言ってるかわからない。あーでもないこーでもないと長時間格闘。でも何とか電話をかける事ができた。これから、ずーっとこの大変さが続く。日本以外で暮らすっていうのはこういう事だ。


              翌日は、ラガーディア空港からボストンに行く。その当時はイースタン・エア・シャトルというのがニューヨークとボストンを飛んでいて、私のフライトはそれだったのだが、ターミナルがどこかもわからない。イースタン航空とイースタン・エア・シャトルのターミナルが違うのだ。それがわかるまでに30分はかかった。空港のインフォメーションで聞いても、説明が聞き取れない。最初に指差された方向に向かい、しばらく行った所でまた聞いて、で、ターミナル連絡バスに乗ったはいいけれど、どこで降りるかもわからず。空港で右往左往の上、ようやくチェックインカウンターに到着。さて、ボストンにいる知人の知人にそこから電話しようとするが、これまた大変なこと。ニューヨークとボストン間の電話は長距離で、けっこうコインがいるのだ。公衆電話で番号をまわすといくら入れて下さいというアナウンスがある。この聞き取りが大変。その上そんなたくさんのコインなんか持っていない。今ならインターネットも携帯もあるが、その頃は電話ひとつも大変だった。日本にいれば、何でもない事がすごーく大変な上、時には対応してくれる人が感じ悪くて、どうでもいいところで傷つけられる。プライドなんてズタズタだ。こんなに英語が通じないとは思ってもみなかった。でも、友人達は華々しい送迎会をやってくれたし、ちょっとすぐには帰れない。ニューヨークに着いてホテルに一泊、ボストンに向かい、知人の知人のそのまた知人のアパートをサブレットで借りて一泊した時点でもう本当に帰りたくなった。友人や家族がいない土地に居ると言う事がどんなに寂しい事なのかというのも、初めて味わった。それから数年間のアメリカ生活でどんどんたくましくなった。というか、性格が悪くなったのかもしれない。主張ははげしく、失礼な対応にも傷つかなくなった。

              行ったり来たりのアメリカ生活から日本に拠点を移してほぼ15年間、今度はベルリンに引っ越した。もうおばさんだし、最初のアメリカ生活のようにはうろたえない。ドイツ語は全く駄目だが、英語がわかるお陰で、ずっと楽だし、ドイツ人は日本人とメンタリティーが近いようだ。それでも、時々くるドイツ語の手紙にはパニックになる。落ち着いて辞書やインターネットの翻訳で調べれば、ほぼわかるのに、まずは大騒ぎだ。

              こんな思いをしても、私は若い人に海外での生活の体験をすすめたい。日本にだけ居ては見えない事が山ほど見えてくる。気がつかなかった当たり前の事がそうではなく思えてくる。それまで知らなかった自分とも出会える。旅行とは違う。
              そして、逆に日本で生活している海外の人に共感を覚える。どんなに未知の土地、社会、文化の中で毎日格闘しているかと考えると、出来る事があれば助けたいと思う。私が海外で多くの人たちに助けてもらっているように、今度は少しでも力になれればうれしいと思う。
               
              | エッセイ by 藤井郷子 | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              日常
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                by 藤井郷子

                「コンサートやツアーをされていない時は、毎日どうされているんですか?」
                よく、知人に聞かれる。9時から5時まで会社、ではない私たちの生活。なかなかわかってもらえないが、実は演奏している時間は働いている時間のほんの一部、おそらく10%にも満たない。という事で、ここに私の日常を暴露。
                 
                朝は以外に早い。理想的には7時頃に起きたいが、まあ、7時半から8時くらいの間に起きる。もちろん、前日の演奏の仕事が遅かったりしたら、もうちょっと朝寝。しっかり毎日朝ご飯。これは結婚してから26年間、絶対守られている。
                 
                朝食後は作曲というのが、私としては理想だが、急ぎの用事があるので、なかなかそうもいかない。時差がある地域との連絡は夜中にメールで届くのが多いので、まずはメールのチェック。ほとんど毎日、メーラーをあけたら、そこから3時間程は入って来ているメールの対応に追われる。マネージャーがいる訳ではないから、仕事の準備も全て自分でする。これが膨大な時間を要する。地元の演奏でない限り、演奏場所までの移動、契約書の取り交わし、機材の確認、演奏する国によっては税金に関する書類、場合によってはヴィザをとる手続き、宿泊が必要な場合の手配や依頼ほとんど旅行代理店だ。地図を開きながら、もうちょっと「地理」の授業をまじめに聞いてれば良かったと思う事がしばしば。
                 
                お昼ご飯もきちんとお昼に食べる。この習慣も田村さんのお陰です。午後は時に外出しなくてはいけない雑用が入る。特別に用事がないときは、午前中こぼれた用事をすませて、郵便局にCDや書類を送付しに行く。ここまでしてようやく、音楽家の日常にはいれる。作曲をして(私は毎日習慣としてかかさず作曲している)、練習して、譜面を作ったり、CDを聞いたり。大編成でのプロジェクトは譜面作りの作業もけっこうな時間を要する。夕飯までの時間では大抵間に合わずに、夕食後も譜面作りや譜面のチェック、あとはホームページの更新とか、チラシの作成とか。ストレッチして、シャワーを浴びて、就寝するまで、ほぼずっと作業は続く。
                 
                この地味〜だけど、とめどもない日常。コンサートで演奏するのは、もちろんこの日常で支えているので、演奏したい限り不可欠な時間と作業。私のこんな日常はほぼ休日もなく、次のツアーまで続きます。食料品の買い出しが唯一の娯楽、息抜きは掃除、洗濯、食事作りの家事。さぁて、今夜の献立は何にしよう。
                 
                | エッセイ by 藤井郷子 | 06:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ベルリン生活 歯医者
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                  by 田村夏樹

                  歯が痛い! 

                  3日前から痛みだした奥歯、クリスマスが終わり世の中が動き出した12月30日の月曜を待って、2軒隣のビルに入っている歯医者に行った。以前カミさんが歯の詰め物が取れて、それを詰め直してもらうのに行った事のある歯医者だ。受付の女性はほとんど英語が話せず、受付カウンターの所で、歯を指差すと「シュメルツ(痛い)?」と訊いてくれた。「ヤー、ヤー、シュメルツ」と言ったら、ちょっと待っててと言って、奥へ入って行った。
                  しばらくして戻って来て、この紙に書き込んで下さいと言って、問診票のような物を渡された。
                  持参した電子辞書で調べながら書き込もうとしたが、血液の病気は?肝臓は?腎臓は?骨は?等々、まあ細かい事の専門用語を訊いてくるから大変。結局どこにも該当する物は無かったのだが、えらい時間を要してしまった。途中で診察室に呼ばれ、中に入ると診察椅子が一つ置いてある、結構がらんとした部屋だった。女医さんだったが、彼女もほとんど英語が話せない。
                  それからのコミュニケーションが大変。この様子を人が見てたらさぞかし面白いんだろうなと思った。「今日はあまり痛くないですが、昨日や一昨日は結構痛かったです」「奥から2番目の歯だと思います」これはドイツ語で伝えられた。
                  じゃあ見てみましょうと言う事になり、スティックのようなもので、コンコン、コンコンと一つずつ歯を叩いて行く。それまで「オーケー?」「ヤー」だったのが、奥から2番目に来ると「オーケー?」「ウガッ!」に変わる。一目瞭然。
                  それからいろいろと説明してくれるのだが、電子辞書が大活躍!しかしレントゲンを撮るというのがなかなか伝わらなくて苦労してたようだが、最後に僕が「ああ、エクスレイ!」と言うと、「ヤーヤー!エクスレイ」と言って大喜び。で、その部分だけレントゲンを撮った。結局、「根幹治療が必要でそれは来週になるから、それまで抗生物質を飲んでおきなさい」と言われた。というか電子辞書を読んで判った。その治療の料金をだいたい知りたいと言ったら、ちょっと待ってと言って、パソコンで打ち込み、細かな明細まで書いてある紙を渡してくれた。さすがドイツだなあと思った。歯は痛いけど、甚く楽しめた初めてのベルリン歯医者体験でした。
                   
                   
                  | エッセイ by 田村夏樹 | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  2013年 年の瀬に
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                    by 藤井郷子


                    「浦島太郎」っていうのは、おとぎ話なんかじゃなくて、現実なんだと最近つくづく思う。いつの間にか、55歳になっちゃった。途中抜けているような気がして仕方ない。きっと、みんなそうなんだろうとは思うが、年齢に対する自覚がゼロ。

                    今年ももう2時間弱で終わろうとしている。ベルリンで年を越すのは2回目、暗くなって来たとたんに外は花火の音がそこら中でしている。ニューヨークのニューイヤーイブの花火とは違い、こちらは、一般市民がその辺の道ばたでけっこう大きな花火を打ち上げる。酔っぱらいが多いので、きわめて危険。救急車が走り回っているところを見るとけが人もたくさんでているに違いないと思う。クリスマスに各地からベルリンを訪れた友人達とのイベント続きで、ふたりで風邪気味の上、田村は歯痛が始まり、来年早々の根幹治療が必要という事もあり、大晦日はふたりで静かに過ごしている。
                    2013年は私にとっては、最高の年だった。4月にドイツ、ビーレフェルドでのフェスティバル3日間をキューレートさせてもらい、8月にニューヨークのストーンで一週間のレジデンスで演奏、シカゴ・ジャズ・フェスティバルではFujii Orchestra Chicagoで委嘱作品での出演。CDma-do ”Time Stands Still”, New Trio ”Spring Storm”, Solo “Gen Himmel”, Kaze ”Tornado”の4作をリリース。私としては、どれも満足の音楽だ。来年は1月に初のベルリンオーケストラでのコンサートと録音を予定している。
                    人生っていうのは、どうも小学生の時思っていたように長いものじゃない。過ぎた時間が長くなればなるほど、時の経つのはますます速くなると思う。それでもなのか、それだからなのか、私はやたらとジタバタとする。2014年も突っ走ります!
                     
                    | エッセイ by 藤井郷子 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    混沌のフランクフルト空港
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                       by 藤井郷子
                       

                      ベルリンは今日も雪。3月22日というのに、1週間先の天気予報を見ても一日の最高気温が1℃、最低気温がマイナス9℃。いったいいつになったら春が来るのだろう。ここでは1年の半分位が冬だ。

                       

                      10日前にもう春の気配の東京から戻って来た。この移動がとても大変だった。東京からフランクフルトまでルフトハンザ航空で11時間半、乗り換えてベルリンまで1時間半ほど。順調に行けば、ロングフライトではあるが、ドア トゥ ドアで19時間ほどの旅のはずだった。ところが、今回はたっぷり36時間かかった。

                      フランクフルトに近づきもう着陸の頃となりモニターにあと1時間となってから、何故かずーっと1時間。おかしいなぁと思い始めた頃に機長からのアナウンス。「フランクフルト空港が雪で閉鎖されています。今、上空を旋回してオープンを待っていますが、まだ目処はたっていません。そんなに長いフライト分の燃料は入れていないので、あとしばらく待ってオープンしない場合はミュンヘンに行き、そこで給油後フランクフルトに戻ります。」げーーーーー。だいたいこちらはフランクフルトが最終目的地ではないので、ミュンヘンでそのまま降ろしてくれたほうが楽。まあ、でもこちらは何も出来る訳ではないので、座っているしかない。それから小1時間も経っただろうか。「今、空港がオープンになりましたので、フランクフルトに着陸します。この後のお乗り継ぎ便はゲートに着いてからご確認下さい。グッド・ラック!」この最後のグッド・ラックには非常に悪い予感がした。この巨大なエアバスの500名以上の搭乗者のほとんどはこれから空港難民となるわけだ。着陸後も除雪のすんでいる所を通らなくてはならないためにゲートに着くまでたっぷり40分はかかった。この飛行機は空港オープン後2機目の着陸便だそうだ。だから….??

                      飛行機から降りて、出発便のモニターをチェック。乗り継ぎは間に合わないかと心配したが、それ以前に便そのものがキャンセル。ベルリンにむかう他の便も全てキャンセルになっている。今日はここでお泊まり、かな。まあ、すぐに仕事がなくて良かった。フライトキャンセルでのお泊まりは数回経験している。最悪の経験はアメリカン航空のキャンセルだった。対応の悪さにカウンターで文句を言いまくった。私の英語は文句を言う時はやたらに元気になる。英語という言語は、主張をするのに向いている言語だと思うのはわたしだけだろうか。 

                      とにかくサービスカウンターに行って下さいと言われ、すでに長蛇の列のサービスカウンターに並ぶ。まさか、ここで夜を明かす事になるとは想像もしなかった。ひとりだったら、並んだきりだが、ふたりなので、交替で椅子に座ったり、まわりの様子を見たり。ラウンジにも行って他に方法がないか問い合わせたが、とにかくサービスカウンターのみで対処しているので、そちらにと言われる。並び始めたのが午後4時過ぎ。外は雪が止む気配はなく、空港はまた閉鎖されたらしい。それにしても、列は全然動かない。どうして、最初に整理券を配らないのだろう。アメリカと違ってヨーロッパは列の作り方がとてもおおらか。そのせいで列が2列にも3列にもなり、もめ始めている。が、ルフトハンザは、全く何の関与もしない。まあ、列の人達に水を配ったり、サンドウィッチを配ったりの配慮はあるので、この時点ではまだアメリカンよりもいいか、と思っていた。ただただ列で待つ事、7時間、私達が並んでいたカウンターの係の人がいきなり帰宅するから閉鎖とか言う。列に関しては世界一厳格なアメリカ人たちが大騒ぎで文句を言っている。が、とりあわずに最初4つあった窓口が2つになり、当然2倍の時間がかかる。そして何と言うことか、夜中1時過ぎに全員の窓口担当者が帰宅するという。こっちだって帰宅したい。だいたい、何時に窓口が閉まるなんて最初に言えばいいし、整理券を最初から配っておけば列のことでトラブルにならないし、いくらでも他の方法があるはずだ。黙ってられずにそれを言うと、整理券なんか何千枚と必要になる、という返事。もちろん、それだけの人数の処理が必要なのだから、それくらいすればいいし、その方がお互い楽なのに!そのままあと10名程のところで放り出された「空港難民」はそこで夜を明かす事になる。これは今までで最悪の経験だ。アメリカンだってホテルを用意した。トルコ航空だって。ユナイテッドだって。

                      列の人達はそれぞれ周りから椅子を持って来て、列を崩さずにそのまま仮眠をとる。多くの人が10時間以上のフライトで疲れ果てているのに、この待遇だ。トイレで歯を磨き、交替でベンチで身体をのばしながら、朝5時にあくという窓口の前で夜を明かす。既に2時過ぎになっていたので、あと3時間かそこらだ。朝5時と言った窓口は6時過ぎにようやくオープン。オープンしても一人の処理に30分以上かかっている。どこかからか、チェックインしている人はマシンが使えるという情報が入る。急いでマシンに搭乗券をスキャンする。なんと、電車で行く様にというメッセージがでる。残念ながら今回は荷物が多くてそれはちょっと無理。また列に戻る。しばらくすると、航空会社の係員が列の人達にようやく説明を始める。どうして、最初からこれをしないの?もう一度係員に確認すると、とにかく電車で行く様にと言われる。荷物が多いと説明したが、今日のベルリン行きのフライトは全てキャンセルだから電車以外ないと言われ、電車のチケットを渡される。私も田村も、どうも納得出来ない。だって、モニターにはベルリン行き、ゲート番号まで表示されている。ここでは、どうも誰も信用できない。一か八かゲートまで行ってみる事にする。乗れなくてもともとだし。パスポートコントロールを通り、ゲートにかけつける。搭乗券を見せ、オリジナルフライトがキャンセルになったという説明を始めたら、急いで急いでと搭乗を急かされる。なーんだ、乗れるんじゃない。しかもそのフライトは満席ではない。どうして、サービスカウンター前の列の人達にゲートにいくように説明しないのだろう。荷物は間に合わないかもしれないから、ベルリンで出て来なかったら窓口に行く様にと言われ、搭乗。悪夢のフランクフルトからようやく解放される。飛ぶ前に飛行機に積もった雪おろしが40分ほどかかったが、離陸したら1時間半でベルリン到着。あの長蛇の列での14時間は何だったのか。子供を連れた人、私たちより年配の人達、本当に大変そうだった。ベルリンでは当然荷物は出て来なかった。でも、ここでの列はわずか10分ほど。荷物が着いたら電話します。今日中には届くはずです、との説明。さすがの長旅で疲れたので、空港からアパートまでタクシーを使う。預けた荷物はドアまで運ばれると聞いたら、自分で持って来るより楽かもしれないと思い、悪いことばかりではなかったと自らに言い聞かせてみる。

                      それでも、もうルフトハンザはたくさん。これで私のブラックリストにはアメリカン、トルコ、ルフトハンザの名前が載った。

                       

                      | ツアー日記 | 16:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |