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なんでもかんでも

2015年Kaze 北米ツアー
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    by 藤井郷子

    5/15
    朝6時50分のフライトでベルリンからパリにGermanwingsで飛ぶ。今回の北米ツアーはヨーロッパのツアー先から直接向かうはずだったのが、私と田村の体調不良でヨーロッパの仕事をキャンセルし、急遽ベルリンから向かう事になった。パリまで向かうのは、半分フランスのバンド、KAZEが今回はフランスの団体の助成を受けているので、フランス発着する必要がある。
    つい先日のパイロットの道連れ墜落事故もあり、Germanwingsは避けたかったが、他のエアラインの半額くらいという金額の誘惑には勝てなかった。
    パリの空港で3時間ほどリールから電車で来るクリスチャンとピーターを待ち、合流してモントリオールに向かう。7時間くらいのフライトは、ヨーロッパや北米と東京を行き来している私たちには比較的短く感じられて、楽だったが、実はその後の陸路が大変だった。モントリオールから車で2時間ほどのヴィクトリアビルのフェスティバル、私は3回目の出演だが、今回は途中の橋の工事のために、3時間くらいかかった。快適とは言えない車のクッションで、着く頃に腰が痛い。もうすでに初日のコンサートが始まっていたが、飛んでいきたい気持ちを抑えて、おとなしく休む事にする。18日間のツアー、休める時はとにかく休む。
     
    5/16
    10日前に東京からベルリン、昨日、ベルリンからモントリオール、ダブル時差で、体もなんだかわからない状態で、朝5時には起きる。まあ、だいたい私たちはどこでも朝食は一番乗り。今回も7時の朝食開始時間に一番乗り。ヴィクトリアビルはケベックの豊かな美しい自然に囲まれた村だが、悲しい事においしいコーヒーや食事にありつける事は少ない。朝のコーヒーがおいしくないのは、けっこう悲しい。ニューヨークからの友人たちと、再会できたり、友人ができたりとフェスティバルならではの、楽しいひと時を過ごす。
    朝11時からプレスコンファレンス。KAZEは新譜リリースに合わせてのツアーという事もあり、4人で参加。「ベルリンに引っ越したのはどうして?」「なにしろ、物価が安い。ピザが3ユーロで食べられる」これで、プロモーションになるの?というやりとり。
    その後は存分にフェスティバルでのコンサートを楽しむ。会場は3カ所、以前はどの会場も歩いて行けたが、今回は会場がひとつだけ遠くにあり、車でないと行けない。フェスティバルの用意してくれる車だけではなく、ニューヨークから車で来ている音楽ファンの人にのせてもらって、移動したり、思わぬ出会いもある。ここでは、評論家も音楽ファンもミュージシャンも同じように音楽を楽しむ。
     
    5/17
    夜は私たちの出番で、その前にサウンドチェックとかあるが、ぎりぎりまで、他のコンサートを楽しみたいので、ホテルにはほとんど帰らずに過ごす。病み上がりで体調が不安なので、昨日も一昨日もアルコールは控えていたが、演奏後はついにビールで乾杯!
    このフェスティバルは、実験音楽、ロック、ジャズとカバーしていて、私たちの演奏の後は、カナダ初演のフランスのベテランバンド、マグマ。全部終わったら、ホテルのバーでメープルウイスキー(?!)。不思議な甘いウイスキーを楽しむ。
     
    5/18
    モントリオールまで、フェスティバルの車で向かう。今日はモントリオールでオフ。田村と私はダウンタウンのホテルで、ピーターとクリスチャンはモントリオールの友人宅で過ごす。ツアー中の大仕事、洗濯をした後はのんびりと昼寝。ヴィクトリアビルから来ると目がくらみそうなまばゆい都会生活をレストランやカフェで楽しむ。お昼寝もしっかりして、6月の日本ツアーでの選曲やらアレンジやらして過ごす。
     
    5/19
    ホテルは駅から10分ほどだが、まだまだCDやら制作したTシャツやらで、荷物が重たいので、タクシーで向かう。ピーターとクリスチャンとは9時半に駅で待ち合わせしていたが、9時15分にはもう全員揃う。電車で6時間、トロントに向かう。着くのは3時半だから、まずは昼食の調達。寿司が買いたかった田村だが、店が11時まで開かないので、諦めてサンドイッチをテイクアウト。電車なのに、荷物のチェックインが必要。
    車内はwifiが飛んでいて、おかげで仕事がはかどっちゃって、睡眠がとれない。
    トロント駅からホテルまでは、タクシーと考えていたが、改めて荷物の量を見たら、とても1台では無理。大型タクシーも見つからないので、仕方なく2台に分乗。こういう予想外の出費はツアーに出るとけっこう嵩む。助成が出ているとはいえ、上限がある助成なので、気をつけないと赤字になっちゃう。もちろん、何もかもカバーしてくれる仕事もあるが、昨今はどこも文化の出費はカットされるばかりだ。ホテルから会場は2キロ弱、途中で食事しながら、ぶらぶら歩いて行く。が、シンバル持って、トランペット持って、CD持って、けっこう歩きがいのある距離だ。今夜のコンサートはトロントのミュージシャンが企画してくれたもので、明日は彼らとのインプロコンサートも企画されている。会場は、クラブではなく、50人くらいのキャパシティのスペース。音の響きがものすごくデッドで、リズムセクションにとっては、とても演奏が難しかった。いつもは、ライブすぎる教会とかで悩まされているが、デッドで悩まされたのは初めて。こういうのも経験してみないとわからない。1セット目はコンサートを企画してくれたサックスのニューマンさんとトロンボーンのセガーさんのデュオ。静謐な演奏に心が澄むような気がする。2セット目、KAZEの演奏終了後、ホテルの帰路の道中で、ビールを一杯。ヴィクトリアビルのフェスティバルでの他のコンサートの話題になる。驚くほど、感じ方や受け取り方がみんな違って、改めて音楽って響き方が様々なんだと驚く。それが、音楽の面白いところでもあり、難しいところでもある。早く走れればいい、得点がとれればいいという種類の評価はできない。音楽家ができる事は信じる音楽を精一杯演奏する事だ。

     
    | ツアー日記 | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ストレス
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      by 藤井郷子

      今まで、ストレスがどういうものなのか、私自らがストレスを持っているのかも全くわからなかった。20代後半から時々発症を繰り返す低音の耳鳴りは、専門医に「ストレスが原因ですね。女性に多いんですよ」と言われ、持病の歯周病は歯科医に「ストレスがあったり、体調を崩すと発症しますよ」と言われたが、ストレスの自覚はないし、計ってもくれないから、なんのことだかさっぱりわからなかった。もしかしたら、治療ができないから、ストレスのせいにしてるんじゃないかとすら思った。ストレスを口にするお医者さんの中のひとりに、忙しいこと自体がストレスなんだ、という先生がいた。私は幸運なことに好きな仕事だけして生きて来た人間なので、好きな仕事で忙しい時は幸せだけど、暇な時はむしろ気持ちが晴れず、ますます「ストレス」の意味がわからずにいた。
       
      昨年秋から、その好きな仕事がありがたいことにものすごく忙しい。音楽家だから作曲したり、演奏するのが仕事だが、実際はその部分は他の仕事も含めると全体の1割くらいにしかならない。仕事をとるためには、依頼主との交渉、決定したら、共演者との打ち合わせ、仕事先への移動の手はずや、フライヤーを作ったり、時には宿泊の手配もする。マネージャーの仕事をほとんど全てやっているので、プロモーションも含めて並大抵な仕事量ではない。大変なのは、私と共演者、それに主催者が時差があるところにいる時。先月は東京で、ヨーロッパの共演者と北米の主催者とのメールでの急ぎのやりとりで、ゆっくりと眠れない日が何日も続いた。同時にたくさんのメールでのやりとりをしつつ、飛行機の予約を入れて、電車の移動を確認して、なんてやっていると、もう能力の限界。カリカリとしてくる。その上、眠い。でもでも、全ては楽しい演奏のため。そう考えるとますます頑張れる。
      先週、ベルリンに戻り、わずか3泊してからはじまるツアーのために、譜面の整理、荷造り、留守中に溜まった手紙の整理とか走り回っている中、ドイツの鉄道のストライキのニュース。仕事がまだまだ途中なのに、駅に飛んでいき翌日の電車の運行を確認、帰宅して、さあ荷造りと思った時に、あ〜〜、これがストレスなんだと認識。つまり能力を超えた仕事量で負荷がかかっている状態。仕事がいっぱいでも、自分のペースで処理できたり、楽しくやれるうちはまだ大丈夫だったが、とてもじゃないけどマイペースなんて言ってられない。そして、ストレスを認識してから数時間後に身体中に痛みを感じ、熱まで出はじめた。おかげで、翌日からの仕事を2本キャンセルすることになってしまった。ドイツとフランスとの大編成の仕事、40人以上の共演者に迷惑をかけることになってしまい、起きられないベッドの中でどうしてこんなことになったんだろうともんもんと考えた。結果的に病気になったわけだが、その引き金は私の働き方にあったような気がしてきた。何もかもとにかく納得のいくようにやりたいと、自他ともに無理を強いてきた。順番にペースを考えてやれば、負担にもストレスにもならないはずなのに、力づくて何もかも解決しようとしてきた。世の中には、忙しい人はいっぱいいる。私なんかよりずっと忙しい人が、たくさんいるはずだ。問題は忙しいことではなく、その多忙な仕事とどう向き合うかだと思う。
      今回の経験のおかげで、ストレスってこれだ、とわかるようになった。
       
      | エッセイ by 藤井郷子 | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      浮草稼業
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        by 藤井郷子

        演奏できるところには、どこへでも出かけて行く。今年、2014年の9月10月のスケジュールはけっこう過密だった。ロンドン、スコットランド、アメリカ、韓国、日本のツアーとほとんど休みなくまわった。

        「お仕事でいろいろなところに行けていいですねぇ」とよく言われる。確かにいろいろな所には行く、でも大抵は空港や駅から演奏会場とホテル、一泊したら翌朝は早朝に出発で、観光などほとんどしないから、町の様子すらもよくは知らない。
        「せっかく行ったのだからゆっくりすればいいのに」ともよく言われる。その通りなのだが、私たちのように非商業的で一般受けが難しい音楽を演奏していると、ゆっくり泊まっちゃったら、赤字になっちゃうのだ。
        「それでは、一般受けしそうな音楽を演奏すれば?」ともよく言われる。残念ながらそんな気は毛頭ない。そもそも、やりたい音楽を演奏する人生を選んだのだから、その音楽を演奏することが意味のあることなのだ。つまり、お金で価値を計る世界ではやっていない。もちろん、お金がないと生活できないので、やりたい音楽をやって報酬をいただければ、本当にありがたい。
         
        売れる音楽だけが、社会に、人間に必要だと考える人たちもいる。音楽も市場経済の枠組みの中で淘汰されるのが当然という考え方らしい。そうしたら、私の音楽は存在意味もないものになる。世の中には「売れる音楽」だけが充満する。それが、豊かなこととはおよそ思えない。それでは、質の高い音楽だけ選べばいいと言う人たちもいる。誰がどう質の高さを決めるのか?
         
        私は、売れても売れなくても「私の音楽」を演奏できることが、幸せだし意味がある。だから、きつい旅程でも移動でも仕事がはいればとんでいく。
         
         
         
         
         
         
        | エッセイ by 藤井郷子 | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        海外生活
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          by 藤井郷子

          はじめて海外に出たのは、27歳の時だった。そもそも出不精の私はそれまで、飛行機に乗った事もなかった。それがいきなり、留学のためにアメリカボストンに向かった。その当時はインターネットもないし、アメリカには友人も知人もいなかった。知人の知人がニューヨークにひとり、ボストンにひとりいたが、会った事も話した事もない方達だ。ニューヨークまでは直行便でその頃、東京から15時間かけて着いた。知人の知人が空港まで迎えに来てくれて、商社マンのその人は私が若い女性という事で、気を使ってマンハッタンの五番街をドライブがてら見せてくれた。が、ブランドなんか何も知らない私には、なんだかさっぱりわからない。その後、まだその頃は営業していたセントラルパークとなりにあるパークプラザホテルのオイスターバーに連れて行ってくれた。食後は車で翌日ボストンに発つラガーディア空港近くのホテルまで送ってくれた。ここまでは、その人に頼りっぱなしで何も苦労しなかったが、ホテルに着いてからが大変だった。無事に着いたと日本の家族に電話したいが、電話の仕方がわからない。フロントで聞いても、何言ってるかわからない。あーでもないこーでもないと長時間格闘。でも何とか電話をかける事ができた。これから、ずーっとこの大変さが続く。日本以外で暮らすっていうのはこういう事だ。


          翌日は、ラガーディア空港からボストンに行く。その当時はイースタン・エア・シャトルというのがニューヨークとボストンを飛んでいて、私のフライトはそれだったのだが、ターミナルがどこかもわからない。イースタン航空とイースタン・エア・シャトルのターミナルが違うのだ。それがわかるまでに30分はかかった。空港のインフォメーションで聞いても、説明が聞き取れない。最初に指差された方向に向かい、しばらく行った所でまた聞いて、で、ターミナル連絡バスに乗ったはいいけれど、どこで降りるかもわからず。空港で右往左往の上、ようやくチェックインカウンターに到着。さて、ボストンにいる知人の知人にそこから電話しようとするが、これまた大変なこと。ニューヨークとボストン間の電話は長距離で、けっこうコインがいるのだ。公衆電話で番号をまわすといくら入れて下さいというアナウンスがある。この聞き取りが大変。その上そんなたくさんのコインなんか持っていない。今ならインターネットも携帯もあるが、その頃は電話ひとつも大変だった。日本にいれば、何でもない事がすごーく大変な上、時には対応してくれる人が感じ悪くて、どうでもいいところで傷つけられる。プライドなんてズタズタだ。こんなに英語が通じないとは思ってもみなかった。でも、友人達は華々しい送迎会をやってくれたし、ちょっとすぐには帰れない。ニューヨークに着いてホテルに一泊、ボストンに向かい、知人の知人のそのまた知人のアパートをサブレットで借りて一泊した時点でもう本当に帰りたくなった。友人や家族がいない土地に居ると言う事がどんなに寂しい事なのかというのも、初めて味わった。それから数年間のアメリカ生活でどんどんたくましくなった。というか、性格が悪くなったのかもしれない。主張ははげしく、失礼な対応にも傷つかなくなった。

          行ったり来たりのアメリカ生活から日本に拠点を移してほぼ15年間、今度はベルリンに引っ越した。もうおばさんだし、最初のアメリカ生活のようにはうろたえない。ドイツ語は全く駄目だが、英語がわかるお陰で、ずっと楽だし、ドイツ人は日本人とメンタリティーが近いようだ。それでも、時々くるドイツ語の手紙にはパニックになる。落ち着いて辞書やインターネットの翻訳で調べれば、ほぼわかるのに、まずは大騒ぎだ。

          こんな思いをしても、私は若い人に海外での生活の体験をすすめたい。日本にだけ居ては見えない事が山ほど見えてくる。気がつかなかった当たり前の事がそうではなく思えてくる。それまで知らなかった自分とも出会える。旅行とは違う。
          そして、逆に日本で生活している海外の人に共感を覚える。どんなに未知の土地、社会、文化の中で毎日格闘しているかと考えると、出来る事があれば助けたいと思う。私が海外で多くの人たちに助けてもらっているように、今度は少しでも力になれればうれしいと思う。
           
          | エッセイ by 藤井郷子 | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          日常
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            by 藤井郷子

            「コンサートやツアーをされていない時は、毎日どうされているんですか?」
            よく、知人に聞かれる。9時から5時まで会社、ではない私たちの生活。なかなかわかってもらえないが、実は演奏している時間は働いている時間のほんの一部、おそらく10%にも満たない。という事で、ここに私の日常を暴露。
             
            朝は以外に早い。理想的には7時頃に起きたいが、まあ、7時半から8時くらいの間に起きる。もちろん、前日の演奏の仕事が遅かったりしたら、もうちょっと朝寝。しっかり毎日朝ご飯。これは結婚してから26年間、絶対守られている。
             
            朝食後は作曲というのが、私としては理想だが、急ぎの用事があるので、なかなかそうもいかない。時差がある地域との連絡は夜中にメールで届くのが多いので、まずはメールのチェック。ほとんど毎日、メーラーをあけたら、そこから3時間程は入って来ているメールの対応に追われる。マネージャーがいる訳ではないから、仕事の準備も全て自分でする。これが膨大な時間を要する。地元の演奏でない限り、演奏場所までの移動、契約書の取り交わし、機材の確認、演奏する国によっては税金に関する書類、場合によってはヴィザをとる手続き、宿泊が必要な場合の手配や依頼ほとんど旅行代理店だ。地図を開きながら、もうちょっと「地理」の授業をまじめに聞いてれば良かったと思う事がしばしば。
             
            お昼ご飯もきちんとお昼に食べる。この習慣も田村さんのお陰です。午後は時に外出しなくてはいけない雑用が入る。特別に用事がないときは、午前中こぼれた用事をすませて、郵便局にCDや書類を送付しに行く。ここまでしてようやく、音楽家の日常にはいれる。作曲をして(私は毎日習慣としてかかさず作曲している)、練習して、譜面を作ったり、CDを聞いたり。大編成でのプロジェクトは譜面作りの作業もけっこうな時間を要する。夕飯までの時間では大抵間に合わずに、夕食後も譜面作りや譜面のチェック、あとはホームページの更新とか、チラシの作成とか。ストレッチして、シャワーを浴びて、就寝するまで、ほぼずっと作業は続く。
             
            この地味〜だけど、とめどもない日常。コンサートで演奏するのは、もちろんこの日常で支えているので、演奏したい限り不可欠な時間と作業。私のこんな日常はほぼ休日もなく、次のツアーまで続きます。食料品の買い出しが唯一の娯楽、息抜きは掃除、洗濯、食事作りの家事。さぁて、今夜の献立は何にしよう。
             
            | エッセイ by 藤井郷子 | 06:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ベルリン生活 歯医者
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              by 田村夏樹

              歯が痛い! 

              3日前から痛みだした奥歯、クリスマスが終わり世の中が動き出した12月30日の月曜を待って、2軒隣のビルに入っている歯医者に行った。以前カミさんが歯の詰め物が取れて、それを詰め直してもらうのに行った事のある歯医者だ。受付の女性はほとんど英語が話せず、受付カウンターの所で、歯を指差すと「シュメルツ(痛い)?」と訊いてくれた。「ヤー、ヤー、シュメルツ」と言ったら、ちょっと待っててと言って、奥へ入って行った。
              しばらくして戻って来て、この紙に書き込んで下さいと言って、問診票のような物を渡された。
              持参した電子辞書で調べながら書き込もうとしたが、血液の病気は?肝臓は?腎臓は?骨は?等々、まあ細かい事の専門用語を訊いてくるから大変。結局どこにも該当する物は無かったのだが、えらい時間を要してしまった。途中で診察室に呼ばれ、中に入ると診察椅子が一つ置いてある、結構がらんとした部屋だった。女医さんだったが、彼女もほとんど英語が話せない。
              それからのコミュニケーションが大変。この様子を人が見てたらさぞかし面白いんだろうなと思った。「今日はあまり痛くないですが、昨日や一昨日は結構痛かったです」「奥から2番目の歯だと思います」これはドイツ語で伝えられた。
              じゃあ見てみましょうと言う事になり、スティックのようなもので、コンコン、コンコンと一つずつ歯を叩いて行く。それまで「オーケー?」「ヤー」だったのが、奥から2番目に来ると「オーケー?」「ウガッ!」に変わる。一目瞭然。
              それからいろいろと説明してくれるのだが、電子辞書が大活躍!しかしレントゲンを撮るというのがなかなか伝わらなくて苦労してたようだが、最後に僕が「ああ、エクスレイ!」と言うと、「ヤーヤー!エクスレイ」と言って大喜び。で、その部分だけレントゲンを撮った。結局、「根幹治療が必要でそれは来週になるから、それまで抗生物質を飲んでおきなさい」と言われた。というか電子辞書を読んで判った。その治療の料金をだいたい知りたいと言ったら、ちょっと待ってと言って、パソコンで打ち込み、細かな明細まで書いてある紙を渡してくれた。さすがドイツだなあと思った。歯は痛いけど、甚く楽しめた初めてのベルリン歯医者体験でした。
               
               
              | エッセイ by 田村夏樹 | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              2013年 年の瀬に
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                by 藤井郷子


                「浦島太郎」っていうのは、おとぎ話なんかじゃなくて、現実なんだと最近つくづく思う。いつの間にか、55歳になっちゃった。途中抜けているような気がして仕方ない。きっと、みんなそうなんだろうとは思うが、年齢に対する自覚がゼロ。

                今年ももう2時間弱で終わろうとしている。ベルリンで年を越すのは2回目、暗くなって来たとたんに外は花火の音がそこら中でしている。ニューヨークのニューイヤーイブの花火とは違い、こちらは、一般市民がその辺の道ばたでけっこう大きな花火を打ち上げる。酔っぱらいが多いので、きわめて危険。救急車が走り回っているところを見るとけが人もたくさんでているに違いないと思う。クリスマスに各地からベルリンを訪れた友人達とのイベント続きで、ふたりで風邪気味の上、田村は歯痛が始まり、来年早々の根幹治療が必要という事もあり、大晦日はふたりで静かに過ごしている。
                2013年は私にとっては、最高の年だった。4月にドイツ、ビーレフェルドでのフェスティバル3日間をキューレートさせてもらい、8月にニューヨークのストーンで一週間のレジデンスで演奏、シカゴ・ジャズ・フェスティバルではFujii Orchestra Chicagoで委嘱作品での出演。CDma-do ”Time Stands Still”, New Trio ”Spring Storm”, Solo “Gen Himmel”, Kaze ”Tornado”の4作をリリース。私としては、どれも満足の音楽だ。来年は1月に初のベルリンオーケストラでのコンサートと録音を予定している。
                人生っていうのは、どうも小学生の時思っていたように長いものじゃない。過ぎた時間が長くなればなるほど、時の経つのはますます速くなると思う。それでもなのか、それだからなのか、私はやたらとジタバタとする。2014年も突っ走ります!
                 
                | エッセイ by 藤井郷子 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                混沌のフランクフルト空港
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                   by 藤井郷子
                   

                  ベルリンは今日も雪。3月22日というのに、1週間先の天気予報を見ても一日の最高気温が1℃、最低気温がマイナス9℃。いったいいつになったら春が来るのだろう。ここでは1年の半分位が冬だ。

                   

                  10日前にもう春の気配の東京から戻って来た。この移動がとても大変だった。東京からフランクフルトまでルフトハンザ航空で11時間半、乗り換えてベルリンまで1時間半ほど。順調に行けば、ロングフライトではあるが、ドア トゥ ドアで19時間ほどの旅のはずだった。ところが、今回はたっぷり36時間かかった。

                  フランクフルトに近づきもう着陸の頃となりモニターにあと1時間となってから、何故かずーっと1時間。おかしいなぁと思い始めた頃に機長からのアナウンス。「フランクフルト空港が雪で閉鎖されています。今、上空を旋回してオープンを待っていますが、まだ目処はたっていません。そんなに長いフライト分の燃料は入れていないので、あとしばらく待ってオープンしない場合はミュンヘンに行き、そこで給油後フランクフルトに戻ります。」げーーーーー。だいたいこちらはフランクフルトが最終目的地ではないので、ミュンヘンでそのまま降ろしてくれたほうが楽。まあ、でもこちらは何も出来る訳ではないので、座っているしかない。それから小1時間も経っただろうか。「今、空港がオープンになりましたので、フランクフルトに着陸します。この後のお乗り継ぎ便はゲートに着いてからご確認下さい。グッド・ラック!」この最後のグッド・ラックには非常に悪い予感がした。この巨大なエアバスの500名以上の搭乗者のほとんどはこれから空港難民となるわけだ。着陸後も除雪のすんでいる所を通らなくてはならないためにゲートに着くまでたっぷり40分はかかった。この飛行機は空港オープン後2機目の着陸便だそうだ。だから….??

                  飛行機から降りて、出発便のモニターをチェック。乗り継ぎは間に合わないかと心配したが、それ以前に便そのものがキャンセル。ベルリンにむかう他の便も全てキャンセルになっている。今日はここでお泊まり、かな。まあ、すぐに仕事がなくて良かった。フライトキャンセルでのお泊まりは数回経験している。最悪の経験はアメリカン航空のキャンセルだった。対応の悪さにカウンターで文句を言いまくった。私の英語は文句を言う時はやたらに元気になる。英語という言語は、主張をするのに向いている言語だと思うのはわたしだけだろうか。 

                  とにかくサービスカウンターに行って下さいと言われ、すでに長蛇の列のサービスカウンターに並ぶ。まさか、ここで夜を明かす事になるとは想像もしなかった。ひとりだったら、並んだきりだが、ふたりなので、交替で椅子に座ったり、まわりの様子を見たり。ラウンジにも行って他に方法がないか問い合わせたが、とにかくサービスカウンターのみで対処しているので、そちらにと言われる。並び始めたのが午後4時過ぎ。外は雪が止む気配はなく、空港はまた閉鎖されたらしい。それにしても、列は全然動かない。どうして、最初に整理券を配らないのだろう。アメリカと違ってヨーロッパは列の作り方がとてもおおらか。そのせいで列が2列にも3列にもなり、もめ始めている。が、ルフトハンザは、全く何の関与もしない。まあ、列の人達に水を配ったり、サンドウィッチを配ったりの配慮はあるので、この時点ではまだアメリカンよりもいいか、と思っていた。ただただ列で待つ事、7時間、私達が並んでいたカウンターの係の人がいきなり帰宅するから閉鎖とか言う。列に関しては世界一厳格なアメリカ人たちが大騒ぎで文句を言っている。が、とりあわずに最初4つあった窓口が2つになり、当然2倍の時間がかかる。そして何と言うことか、夜中1時過ぎに全員の窓口担当者が帰宅するという。こっちだって帰宅したい。だいたい、何時に窓口が閉まるなんて最初に言えばいいし、整理券を最初から配っておけば列のことでトラブルにならないし、いくらでも他の方法があるはずだ。黙ってられずにそれを言うと、整理券なんか何千枚と必要になる、という返事。もちろん、それだけの人数の処理が必要なのだから、それくらいすればいいし、その方がお互い楽なのに!そのままあと10名程のところで放り出された「空港難民」はそこで夜を明かす事になる。これは今までで最悪の経験だ。アメリカンだってホテルを用意した。トルコ航空だって。ユナイテッドだって。

                  列の人達はそれぞれ周りから椅子を持って来て、列を崩さずにそのまま仮眠をとる。多くの人が10時間以上のフライトで疲れ果てているのに、この待遇だ。トイレで歯を磨き、交替でベンチで身体をのばしながら、朝5時にあくという窓口の前で夜を明かす。既に2時過ぎになっていたので、あと3時間かそこらだ。朝5時と言った窓口は6時過ぎにようやくオープン。オープンしても一人の処理に30分以上かかっている。どこかからか、チェックインしている人はマシンが使えるという情報が入る。急いでマシンに搭乗券をスキャンする。なんと、電車で行く様にというメッセージがでる。残念ながら今回は荷物が多くてそれはちょっと無理。また列に戻る。しばらくすると、航空会社の係員が列の人達にようやく説明を始める。どうして、最初からこれをしないの?もう一度係員に確認すると、とにかく電車で行く様にと言われる。荷物が多いと説明したが、今日のベルリン行きのフライトは全てキャンセルだから電車以外ないと言われ、電車のチケットを渡される。私も田村も、どうも納得出来ない。だって、モニターにはベルリン行き、ゲート番号まで表示されている。ここでは、どうも誰も信用できない。一か八かゲートまで行ってみる事にする。乗れなくてもともとだし。パスポートコントロールを通り、ゲートにかけつける。搭乗券を見せ、オリジナルフライトがキャンセルになったという説明を始めたら、急いで急いでと搭乗を急かされる。なーんだ、乗れるんじゃない。しかもそのフライトは満席ではない。どうして、サービスカウンター前の列の人達にゲートにいくように説明しないのだろう。荷物は間に合わないかもしれないから、ベルリンで出て来なかったら窓口に行く様にと言われ、搭乗。悪夢のフランクフルトからようやく解放される。飛ぶ前に飛行機に積もった雪おろしが40分ほどかかったが、離陸したら1時間半でベルリン到着。あの長蛇の列での14時間は何だったのか。子供を連れた人、私たちより年配の人達、本当に大変そうだった。ベルリンでは当然荷物は出て来なかった。でも、ここでの列はわずか10分ほど。荷物が着いたら電話します。今日中には届くはずです、との説明。さすがの長旅で疲れたので、空港からアパートまでタクシーを使う。預けた荷物はドアまで運ばれると聞いたら、自分で持って来るより楽かもしれないと思い、悪いことばかりではなかったと自らに言い聞かせてみる。

                  それでも、もうルフトハンザはたくさん。これで私のブラックリストにはアメリカン、トルコ、ルフトハンザの名前が載った。

                   

                  | ツアー日記 | 16:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  マヨルカギックリツアー(2012.8.15-8.19) 5
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                     by 田村夏樹


                    恒例の不味い朝食を終え、移動のため荷造りをする。メールのチェックをして返事を書いたり、シャワーを浴びたりして、12時にロビーへ。ツアー初日からのぎっくり腰は指圧のお陰でかなり楽に立ち上がれるようになったが、まだまだスッキリ全快と言う訳ではない。ジミーとリリーが迎えに来てくれた。

                    北東から南西へほぼ島を縦断し、ジミーのお母さんが住んでいる、Andratxに到着。6年前に6泊程させてもらった、勝手知ったる他人の家である。海辺の素晴らしい場所にある家で、港へ出入りする豪華なボートやヨットのお陰で一日中退屈することなく、目の前の海を見ていられる。ドイツの国旗を掲げた船が多い。

                    車から降りるとジミーのお母さんで、有名なアーティストでもあるバーバラが出迎えてくれた。藤井の腰を気遣って下にも置かぬ扱いだ。今回のマヨルカ、痛みをさておけば、藤井は女王様のような扱いを受けている。さぞかし気持ち良い事だろう。バーバラが「私も腰を痛めた時、受けた整体の先生が素晴らしかったから、良かったら電話してあげるけど、どうする?」と言ってくれた。『グキッ』とか『ボキッ』とか痛い事は一切しないらしい。せっかくだから受ける事にした。4時半にここへ来てくれる事になった。

                    リリーが作ってくれたパスタとサラダで遅い昼食。部屋で少し休む。4時半を少し過ぎた頃、その整体の先生が来た。組み立て式の簡易ベッドを持参。治療が始まった。約90分の治療中、藤井がいろいろと話したり、そのやり方で、これはもしかしたら日本でも受けた事がある、オプセラピーに凄く似ていると思ったらしい。訊いてみるとオステオパシーと言って、やはり同じものだそうだ。日本で受けたオプセラピーはその先生がオステオパシーを元に自分流に工夫してやっているものだった。治療が終わって少し休む。

                    ジミーがサウンドチェックを始めようと言いに来た。家の裏手にあるバーバラのアトリエに行く。アトリエといってもまるで美術館のように素晴らしい建物である。設計は有名なダニエル・リベンスキーだ。その真っ白な建物の壁に『オペラ座の怪人』を映し演奏するという、初日と同じ内容である。

                    サウンドチェックが終わり、陽が沈み、三々五々人が集まって来た。個人のアトリエ横のスペースに60人程のお客さんが座り、映画を映し、バンドの演奏が出来るのである。なんとまあ!


                    終了後、皆で後片付けをして、家に戻り食事。バーバラの家族やギターのトニーの奥さんや指圧のチキ夫妻も来て、12人になり、凄く賑やかな夕食が夜の11時半頃から始まった。

                    ガスパッチョ、ローストビーフ、サラダ、どれも美味しい。藤井はフライパンで作るローストビーフのレシピを以前リリーに教わったのだが、忘れてしまったので、また教わると言っていた。賑やかな食事が終わったのは夜中の1時過ぎ。

                    しかし藤井の歩き方が凄く普通に近づいている。何が効いたんだろう?ともあれ、明日は7時に家を出て空港へ向かわなくちゃなので、4時間くらいしか眠れない。荷物を整理したり、ギャラの清算をしたり、リリーとバーバラへの土産を渡したりして、急いで寝る。


                    結局6時くらいに起きてしまい、音を立てないように気を使いながら顔を洗い、用意をして、表に出る。ジミーとリリーも起きて来た。バーバラも出て来て見送ってくれた。車で30分程走り、空港到着。またまた自由席のイージージェットでベルリンに向かう。

                    いやはや出かけのぎっくり腰で、大騒ぎのツアーでした。しかし演奏に支障が出なくて、助かった。歩き始めてしまえば痛みはなかったのも運が良かった。

                    マヨルカギックリ女王様ツアーでした。

                    お疲れさまでした。

                     

                    終わり


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                    マヨルカギックリツアー(2012.8.15-8.19) 4
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                       by 田村夏樹

                      今日も不味い朝食でスタート。食堂にはいろんな種類の物が豪華絢爛に並んでいるが残念ながらほとんどが不味い。でも昨日は無かった目玉焼きを藤井が食べた所、「アッ、美味しい!」僕はまたミニデニッシュ2個とコーヒー。まあ家での普段の朝食と似たようなものなので、別にいいんですけど。

                      部屋に戻り仕事の準備をする。昼にホテルのロビーで黒木さん夫妻と待ち合わせ。昨夜の演奏後に「じゃあ明日の昼食は何かご飯ものという事で」という話になったのだ。ホテルから車で2〜30分のSINEUという町のMoli den Pauというレストランに連れて行ってもらった。風車小屋をうまく使って素晴らしい雰囲気のレストランにしていた。イカに具を詰めたもの、シシトウ、パエリア等を食べたが、どれも凄く美味しかった。夫妻の話も面白く、楽しい時間でした。5時半に迎えの車が来る予定なので、4時半にホテルまで送ってもらった。時間通りにまたベンツが来た。今日の会場であるミロ・ミュージアムへ。迎えにくる時間が知りたいからと運転手のお兄さんも会場まで一緒に行ったが、藤井と腰痛話で盛り上がっていた。英語を全く話さない運ちゃんだが、身振り手振りで、腰のすぐ上の背骨が一つ潰れているということが判った。まあ周り中、腰の痛みを経験している者ばかりだ。

                      ステージに行くと、ピアノがステージの上手側にセットされている。ジミーたちも到着したので、藤井が普通はピアノは下手側に来るし、その方が演奏しやすいと思うと話をしたところ、少し手間取ってから、じゃあ動かそうという事になった。どうして手間取ったのだろうと思っていたら、リリーが藤井に耳打ちしたそうだ「このPAの人達、去年もめたのよ。凄く感じ悪い人達」藤井は「ええっ?じゃあピアノ動かしてくれって言わなきゃ良かったあ。ごめんね」このステージセッティングはジミーが提出していたそうで、お互いの顔が見やすいだろうと思ったらしい。返しのスピーカーや配線をどけて、ピアノを動かした。マヨルカに到着するなり、コルセット探しに奔走さしたり、昨年もめたPAの人に又面倒な事を頼ませたりで「ごめんねー、私トラブルメーカーだねえ」と藤井。サウンドチェックが始まって直ぐに会場の斜め前にあるマンションの8階くらいのベランダでおばさんが喚きだした。バンドの音をかき消す程程の大声である。何を言ってるのか判らなかったが、「ポリス!ポリス!」というのは聞き取れた。皆の話では会場の直ぐ隣の道でドメスティックバイオレンスが起こっていたらしい。おばさんのマンションからそれが見えていたらしく、ポリスを呼んでくれと騒いでいたらしい。スタッフやバンドの皆と見に行ったが女の人が歩道に座っているのが見えた。もう納まった様だった。リリーが携帯で警察に電話したが誰も出なかったそうだ。そっちの方が怖いかも。気を取り直しサウンドチェックを終了。少し休憩して本番。今日は映画とのコラボではなく演奏だけだったが、会場一杯のお客さんが喜んでくれて良かった。ジミーが「ピアノはぎっくり腰をやって大変なサトコ・フジイ!」と紹介するが、直ぐに立ち上がれない藤井は座ったまま首だけでおじぎしている。

                      終わって楽器を片付け、ピアノの所に行くと、藤井が誰かに手をマッサージしてもらってるではないか。驚いて訊いてみると今日お客さんで来ていたおばさんで、ジミーの友達でもあるチキという人だった。彼女は増永静人氏の指圧を学んだそうだ。10分程手の指圧をやってもらっただろうか、立ち上がるのが嘘のように楽になったそうだ。若干痛みは残っているものの、藤井はびっくりするやら嬉しいやら。そもそも一度立ち上がって歩き始めてしまえば、ほとんど痛くはなかったので、これで立ち上がるのが平気になればしめたものである。

                      スタッフ全員で遅い夕食を会場のカフェで食べる。その時出て来たサラダが素晴らしく美味しかった。トマトが主だが、いろんな野菜が入っていて、塩とオリーブオイルとレモンとバルサミコとガーリックを使っていると思うのだが、絶妙な味付けだった。

                      タイミングを見計らって連絡してくれたようで、丁度食べ終わった時に迎えの車が来た。いつものベンツでホテルへ向かうが二人とも車中でぐっすり寝てしまった。部屋についてシャワーを浴び、またアッという間に寝てしまった。

                       

                      続く
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