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なんでもかんでも

CD "Double Take" --月は東に日は西に
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    by 藤井郷子

    1997年にニューヨークから帰国して東京のオーケストラでのライブを始めた頃か らの念願であったニューヨーク、東京各々のオーケストラの2枚組CDを今年2000 年3月に遂にリリースすることができた。このプロジェクトは色々な意味で私にとっ ては大きな意味を持つ。はじめての2枚組CD、はじめてのライブレコーディング、音 楽家、エンジニア以外の方に制作その他で協力、というよりはコラボレートして頂け た事。そしてこれをCD2枚と数えれば、96年にポール・ブレイとのデビュー CDか らちょうど10枚目になる記念碑的作品である事。2つのオーケストラで総勢31名 のメンバーが参加したこのプロジェクトは多くの方の献身的な協力がなければ成し遂 げられなかった。プロジェクトの意図とその音楽を深く理解して手をかして下さった 方々とのコラボレーションは私にとっては音楽家同士の共演同様にエキサイティング で楽しい出来事でもあった。
    それぞれの録音からもう9ヵ月が経った。時が過ぎるとそのときには見えなかったも のが大局的に見えてくるものだ。どうして東西のオーケストラをわざわざ2枚組のCD にしたかったのか。私自身のその欲求の本質も理由もより鮮明に見えてきた。 長い間、日本のジャズはアメリカのそれを「ゴール」にしてきた様に思える。残念な がら今だに日本のジャズを「偽物」、アメリカのしかも黒人のジャズを「本物」と考 えている方々が多くいるように思える。どんな文化でもそうだと思うが、特にジャズ はそのスタイルではなく、その精神性を継承する事で存続してきた音楽と思う。アメ リカに連れてこられたアフリカ人達の音楽と新大陸に移住したヨーロッパ人たちが持 ち込んだ楽器や音楽との融合でジャズが誕生し、短期間に他の民族音楽や現代音楽、 またジャズから派生した他のポップミュージックさえもとり込んできた。そもそもそ の発生時からグローバルな特性を持っている音楽である。最近では東ヨーロッパ、バ ルカン半島の音楽の要素も多くの音楽家がジャズにとりこんでいる。つまりは形とし ての「お手本」がない音楽なのだ。日本人のジャズがあって当然で日本人がアフロア メリカンのジャズを模倣していては、その精神性から考えてもその音楽はジャズとは 思えない。
    私は帰国して東京の音楽家と共演し、何よりも強く感じた事は「日本のジャズ」の存 在だった。特にニューヨークのオーケストラと同じスコアを使って東京のオーケスト ラと演奏した時にアメリカのジャズとは異質な日本のジャズの確固とした存在をはっ きりと感じる事ができた。今回何よりもこの日本のジャズの存在をニューヨークのバ ンドと並列させることによって堤示したかった。
    ジャズを聴き始めたばかりの頃、東京に住んでいたせいもあり、都内のライブハウス に頻繁に足を運び、日本のジャズには昔から接しているつもりだった。でもその頃は 格別にアメリカやヨーロッパ等のジャズと日本のジャズの違いを意識してはいなかっ た。実際にその違いをはっきりと認識し始めたのは、ニューヨークで演奏活動をはじ めた1996年頃からだった。ちょうどその頃、Paul Bleyとのピアノ2台のデュオ のテープを持って、日本のレコード会社数社のプロデューサー諸氏に会って話したり する機会もあった。そんな中で驚かされるような事もいくつかあった。あるプロデュ ーサーは、近年バークリーを卒業して帰国する日本人ミュージシャンがアメリカ人ミ ュージシャンとその違いがわからないような演奏をすると本当にうれしそうにしてい た。海外で生活している私にとっては、それはむしろ落胆させられるような話だった 。日本人ばかりの日本ではなかなか自分が日本人という意識をもてないが、海外で生 活するとそれが自覚できるようになる。私が日本人であるという事は、私が私たる要 素のひとつでもあるアイデンティティーという事。学校卒業後に生活したニューヨー クにあって、それは特に大事なポイントとなった。世界中からの移民の街、ニューヨ ークは、個人個人が強く主張をしている街でもある。日本人だけではなく、どこの国 の人々もそれぞれのコミュニティーをつくる。同一の言語、文化、価値観を持つ人々 が集まるのは、ある意味では自然な行動といえよう。それぞれのコミュニティーは自 国の文化を誇りとしている。アメリカの文化が移民文化の融合というメルティングポ ットと呼ばれながら、多様な事が混じりあう事なく存在するゆえにサラダボールと呼 ばれる由縁だ。そんなアメリカで生まれたジャズだからこそ、現在までに他民族の音 楽を取り入れてきたのだと思う。ジャズはその形を変容させながら、常に表現者のア イデンティティーを表現してきた音楽だと思う。日本人が日本人であるゆえの表現を しない限り、本当の意味でのジャズではないのではないだろうか。それは、安易に日 本の曲や音階を使うというレベルではないところの表現という意味で。
    ところが、そんなプロデューサー氏の発言とは裏腹に日本には確実に独自のジャズが 育っている。そして、この2枚組のCDはその日本のジャズの存在を充分に提示する事 ができた、と自負している。サウンドに対して、音楽に対して、同様の意見を持ちな がら、それぞれ個性的なミックス、サウンド作りをするデイヴィッド・ベイカー、及 川公生両氏の素晴らしい「音」もこのプロジェクトの大事なポイントだ。そして、私 のこんな意見や姿勢に共感して力をかして下さった方達がいらしたというのも、励ま しであり希望だった。さて、こんなの作っちゃって、この後どうしよう...などと思 いつつ、私はこの10作目のCDに大変満足している。 
    | エッセイ by 藤井郷子 | 12:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    Montalvo 1『レジデンシープログラム』
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      スタジオ21からmontalvo1
      by 藤井郷子

      2011年の年明け早々、1月5日からアメリカカリフォルニアのサンフランシスコ南、車で一時間ほどの所、シリコンバレー近隣のサラトガという町にあるモンタルヴォ・アーツ・センターに来ている。ここでレジデンシーとして2月1日まで制作(私の場合は作曲)に専念するという招聘を受けた。レジデンシーというのは、いわば客員のようなものらしい。
      モンタルヴォ・アーツ・センターはサラトガの町から歩いて25分ほど、山の中腹に位置する。その辺り一帯、昔ゴールドラッシュで成功し、サンフランシスコ最年少市長だった人の土地だったらしいが、今は高級住宅地のエリア、モンタルヴォ・アーツ・センターのエリア、そして、山頂にかけては山歩きを楽しむハイキングトレイルとして利用されている。

      演奏旅行としては、よく知らない町を訪れるが、レジデンシーというのは、私もはじめて。とても面白い体験をさせてもらっている。どうして、ここにいるのか....。話は2年以上前にさかのぼる。2008年10月にモンタルヴォ・アーツ・センターより一通のメールを受け取った。「ベイ・エリア(サンフランシスコ周辺)の芸術家、音楽家により、モンタルヴォ・アーツ・センターのレジデンシーにノミネートされました。参加をご希望されるようでしたら、11月中に資料をプロフィール、作品等の資料を揃えてお送り下さい。」というような内容。そもそもモンタルヴォ・アーツ・センターなんて知らなかったから、何やら怪しいメールなのではないかと思った。メールを受け取った時、ちょうどベイ・エリアのテナープレーヤー、ラリー・オックスのバンドでアメリカツアー中だったので、ラリーに「これってなーに?」ってメールを見せた。ラリーはモンタルヴォの事を知っていて、どういうプログラムなのか説明してくれた。とはいえ、説明されても今ひとつよくわからない。まあ、こういうのは、体験しない限りはわからないものだ。とにかく資料を送ってみよう。5ヶ月後、忘れた頃に「おめでとうございます。審査の結果、レジデンシープログラム参加が決定しました。」という知らせが郵便で届いた。それが、今回ここにいるきっかけ。

      1月中旬の一番寒い時期でも、ここは昼間は15度くらいのマイルドな気候。大きな窓には野生の鹿も顔をのぞかせる。
      | エッセイ by 藤井郷子 | 02:18 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
      Montalvo 2『スタジオ』
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         by 藤井郷子

        2011年1月5日、成田よりサンフランシスコに飛ぶ。空港にはアートセンターが手配した車が迎えに来ている。めずらしく飛行機であまり眠れなかった私は、その車でぐっすり。ハイウエイから下りた頃に目が覚め、まわりを見れば、木々の緑がまぶしい山の中。運転手のアンディーはアートセンターの事務所の中まで送り届けてくれた。ここで、2年ほどメールのやりとりをしていたジュリーについに会う。山の中腹に10軒のアーティスト用スタジオ兼居住用のユニークな一戸建てが点在、その他にオフィスのあるコモンビルディングがあり、アートセンターのアーティスト・レジデンシーのセクションが構成されている。

         

        案内されたスタジオ#20。40畳くらいあるピアノや他の機材、コンピュータ、デスク、キッチン、リビングスペースもあるスタジオ、10畳ほどのベッドルーム、その隣に5畳ほどのウオークイン・クローゼットと8畳ほどのバスルーム。天井は3階分くらいあり、天窓から青空が見える。そうじがすんだばかりのその部屋で荷物をあける。ここで一ヶ月近く生活する事になる。なかなか快適そうだが、アンティークとしては素晴らしい美術館にでもありそうなグランドピアノが鳴らずに悲しい。荷物をしまってから、ジュリーに近くのロス・ガトスという町まで車で連れていってもらう。品質の良さで定評のあるホールフーズというスーパーで当面必要そうな物を買い出す。

         

        スタジオに戻ってから、コモンビルディングでの7時半からの夕食に参加。土日以外はレジデンシーのアーティスト達がここで夕食を共にする。ミュージシャンは私たちと、ボイスとエレクトロニクスのパメラZ、それからここの創設時に力を貸したピアニストのウエイン・ホロヴィッツ。あとはビジュアルアーティスト達。面白いのは、料理人もアーティストとして参加し、毎晩料理を作ってくれる。今回の料理人のアンドレアは、食や各国の文化のコラムも書くジャーナリストでもある。手を抜かずに時間をかけて作ったプロの料理はさすがにおいしい。この晩のラムは私が今まで食べたラムでは一番おいしかった。帰るまでに太ってしまいそうだ。


        | エッセイ by 藤井郷子 | 09:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        Montalvo 3『ベヒシュタインとボルボ』
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           by 藤井郷子
           

          一晩スタジオ#20で寝たものの、どうもここのピアノが気に入らない。一ヶ月もこのピアノでは辛い。ボイスのパメラのスタジオのピアノはもう少しいいという話をウエィン・ホロヴィッツから聞いたら、ここのピアノがますます耐えられない。でも、せっかく荷物も片付き、レイアウトも好みに変えたばかりのスタジオを交換してほしいとは、パメラに申し訳なくて言い出しにくい。レジデンシー担当のジュリーに相談したところ、パメラに話を通してくれた。面倒な引越を快諾してくれて、2日目はお互いのスタジオの交換。ミュージシャン用のこの2つのスタジオは隣接していて、徒歩で30歩ほど。やはりピアノはこちらのほうがはるかにいい。ベヒシュタインは好みのピアノという訳ではないが、これなら毎日使う分には問題ない。

           

          私と田村は1ヶ月の滞在で来ているが、多くのアーティスト達は最長の3ヶ月の滞在のようだ。ここは山の中でもちろんコンビニもない。つまり、ここで缶詰状態で創作に励む事になる。歩いて行けるのはサラトガの小さな町、しかも片道25分はかかる。実際に買い物ができるのは、車で10分のロス・ガトスの町。とはいえ、近隣から参加しているアーティストは車で来ているし、私たちもアートセンターの車を自由に利用できる。最初の説明だと使える車は3台、ホンダとレクサスとボルボ。ところが、なぜかレクサスのキーがない。それでは、とホンダのキーを持って駐車場に。もちろん、使える車はどれも一昔前のアメリカの車状態。つまり、車の中はゴミ箱状態だし、ライトのひとつはつかないし….。それどころか、ホンダはエンジンもかからない。完全にバッテリーがあがっているようだ。ノーチョイスで、仕方なく外見が一番インパクトあるボルボに乗る。2、30年は楽にたっているようなオレンジと白の派手なボルボ。エンジンはかかるが、時々ぶるぶると武者震い。どこに駐車しても絶対見失わない勇姿。通行人もあまりの状態にのぞき込んで行く。遠出でもして、動かなくなったら面倒そう。近隣での買い出し以外は缶詰で作曲に励むしかなさそうだ。

           

          今回のここでの私のプロジェクトは、田村とのデュオの新作創作過程を撮影(録音)する事と小津安二郎の無声映画にビッグバンドの音楽を作曲する事。一ヶ月はこのふたつのプロジェクトには決して充分な時間ではない。


          | エッセイ by 藤井郷子 | 15:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          Montalvo 4 『ぜいたく』
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            by 藤井郷子



            連日、日本からのメールでは、「寒い寒い」と聞こえてくる。ありがたい事にここは、マイルド。というより、暖かいといってもいいくらい。ほぼ毎日「カリフォルニアの青い空」、昼間の気温は摂氏16度くらいになる。夜も6度を下る事はない。この時期は膝の屈伸も大変なくらい厚着をする私が、コートなしで外を歩ける。室内は各スタジオについているボイラーで設定した温度を保つように床から暖めるシステムで、実に快適。身体が冷える間がないから、軽装で過ごせる。12月に何回かここの気温をインターネットでチェックした時は、その頃の東京とほぼ同じだったので、1月も東京同様だと想像していたが、その予想がはずれてうれしい。年間を通して、極端に暑かったり、寒かったりすることはないらしい。

             

            こんなに連日いい天気だと、外出が気持いい。ここは、山の中腹だが、25分くらい歩けば山頂にも行ける。山歩きなんかした事はなかったが、ここに来てから、2、3日に一度の日課となった。すれ違う時には譲り合うような山道、息が切れるような傾斜もある。うっそうとした山の木々の中、山頂まで登ると、近隣が一望できる。サンノゼの町も見える。用事も目的もないのに、山頂まで上り下りするのが、やたらに楽しい。往復で1時間ほどだ。これが、ここでの唯一のぜいたくで、娯楽。この山歩きもジャンパーなしの軽装で大丈夫。

             

            もうひとつの楽しみは、料理人アンドレアのおいしい夕食。連夜10人から15人近いアーティストとその家族の食事をアンドレアは何時間もかけて作る。時間をかけて作る料理というのは、短時間で作る料理と根本的に違う。食べていると、だんだんにおいしく感じられる深い味わい。飽きもこないし、食材の味がはっきりとわかる。一度として同じメニューがでないのも、頭が下がる。彼女がレジデンシーになってから、なんと手作りでピザも焼けるオーブンを屋外に作ってしまった。山から木の枝を集め、それで手作りのピザも焼く。ピザ用の大きなフライ返しは、これも滞在しているアーティストの手作り。こういう事を『ぜいたく』っていうのかもしれない。

             

            今夜のメニューは何だろう??

            | エッセイ by 藤井郷子 | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            Montalvo5『日常』
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              by 藤井郷子

              さて、ここにきて、2週間が過ぎた。缶詰創作状態のうれしくもありがたく悲しい状態で、連日どんな生活をしているか。

               

              朝はだいたい7時半か8時に起床。私たちの東京の生活とほぼ同じ。厚着の私は着替えに時間がかかり、田村が朝食の支度をする。これも東京と同じ。朝食といっても、パン、ジュース、コーヒー。コーヒーを飲みながら、メールのチェック。これで、面倒な仕事のメールとか入っていると、午前中は費やされる事になる。でも、なんとか午前中にデュオのリハーサルをし、それを撮影する。

               

              昼ご飯もしっかりいただく。12時半から1時半くらいの間に、買い出して来ているもので自炊。簡単に野菜炒めや麺類を作る。食後は睡魔と戦いつつ、今回の大仕事、無声映画につける音楽を作る。小津安二郎の「大人の見る絵本『生まれてはみたけれど』」というのが今回選んだ映画。この映画を選ぶのに、ここで、11本の小津の無声映画を観た。その上、この作品に音をつけるために、何回も観ていると、実に面白い。いままで、映画を観ても、それをアナライズするような見方はした事がなかったが、音をつけるとなると、構成とか自然にアナライズする。すると今まで見えなかった部分が見えたりする。

               

              3時すぎに一段落。山に散歩に行くか、町に買い出しに行くか、あるいは、そのまま缶詰で創作に励むか。3日に一回は出かけないと、ちょっと息が詰まる。

              あとは7時半の夕食まで、そのまま作曲したりピアノを練習したり。

               

              7時半の夕食には参加アーティストと家族が集う。赤ちゃんもふたりくらいいて、なごやかで楽しい時だ。そして、とてもおいしい。15人近い人数になるから、座った近くの人との会話になる。皆、一日中こもって創作しているので、この時が唯一の息抜きでもある。「どこから来たの?」「何を作ってるの?」「専門は?」気が合えば、10時近くまで話がはずんでしまう。スタジオに戻り、もう一仕事。

               

              就寝は12時過ぎ。

              おやすみなさい。

              | エッセイ by 藤井郷子 | 08:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              Montalvo6『朝4時半』
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                by 藤井郷子


                今回のカリフォルニア滞在に、ニューヨークで残して来た仕事を入れた。24日月曜日にサンノゼ空港からニューヨークまで一日かけて行き、火曜日のミックスセッション、水曜日にマスタリング(3本分)、木曜日にまたカリフォルニアにもどる日程。

                サンノゼから安い航空券を探したら、朝6時15分のヒューストン経由があった。モンタルボからサンノゼ空港まで車で30分。アートセンターのジュリーが4時半に迎えの車の手配をしてくれた。朝4時前に起きて、しばらく留守にするスタジオのゴミをまとめたりして、車のピックアップ場所、コモンビルまで行ってみる。満点の星空。朝4時半でも、極寒のニューヨーク用の厚着がここでは暑いくらい。4時半を過ぎても車は来ない。ちょっと不安になる。あと、5分待ってみよう….。もしかして、忘れている?携帯から電話してみる。明らかに寝起きの声。「あっ….。5時の迎えですよね?」「いえ、4時半ですが。」「」「5時に参ります。」フライトは6時15分だから、5時だと空港につくのが、5時半。国内便とはいえ、不安なタイミングだ。とはいえ、他にあてもない。

                 

                仕方なく、コモンビルの前、駐車場でふたりでぼーっと立っていると、何か街灯のところを通り過ぎて行く。犬?犬にしては大きい。あれぇ?鹿じゃない?こんな時間にしかも一頭だけで。けっこう近くまで来る。鹿を見ていると、今度は山の方から聞いた事のない鳴き声が。「あれ、なに?」「さぁ….」コヨーテがいるとは聞いたが、以前サンディエゴできいたコヨーテの声とも違うし、もちろん鹿でもない。そのナゾの声がだんだん近寄って来る。ちょっと不気味になり、ふたりでコモンビルの鍵を開け、避難。山は夜にはミステリアスな姿を見せる。

                 

                5時過ぎに迎えのおじさん登場。空港でも無事にチェックイン。ヒューストンまで4時間、ヒューストンからまた4時間。乗り換え時間を入れたら10時間近くかけて、別世界のニューヨークに着いた。先週降った雪が残り、最高温度も零度以下の真冬の都会ニューヨークは、今朝の鹿の姿やナゾの鳴き声も夢の中の事のように感じさせる。

                どちらが、夢の中なのかはよくわからないが。

                 

                 

                | エッセイ by 藤井郷子 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                Montalvo7『ニューヨーク』
                0

                  by 藤井郷子

                  せっかくアメリカにいるのだから、ついでにニューヨークまで足をのばして、昨年10月にニューヨークで録音したニューヨークオーケストラのミックスと、その他2本あるマスタリングもすませてしまおうと、3泊4日の駆け足スケジュール。ニューヨークは前回来た3ヶ月前に比べると、なぜかホテルがはるかに安くなっていて大助かり。ここ10年、ホテルの価格の高さはロンドンかニューヨークかと競っていた。一番安いビジネスホテル風のが1泊200ドルで、ようやくとれ、泊まってみれば南京虫にぼこぼこにされるという悲惨な状態だった。何故か今回は安くなっていて、まともなホテルに泊まれた。それでも南京虫の恐怖から電灯を消さずに寝た。ラガーディア空港からグランドセントラル駅行きのバスでマンハッタンに。バスは往復だとちょっとお得なので、往復チケットを購入。グランドセントラル駅に着いたら、いきなり近所のおいしいギリシャレストランで夕食。前回、この近所に泊まって、このレストランを発見。タコ、イカ、ソーセージとどれもおいしい。今回の忙しい予定だとまともに食事をとる時間もなさそうなので、到着いきなりのごちそう。

                  翌朝、ミックスセッションのためにFラインでブルックリンの、システムズ2スタジオまで。ミッドタウンからだと小1時間かかる。しかも雪が降って来た。11時から7時までぶっ続けでオーケストラのミックス。途中、サンドイッチのデリバリーを頼んだが、仕事しながらで食べた気がしない。でも、無事に全て終了。地下鉄でホテルに戻ったらもう9時近い。近所のコリアン通りに行き、軽く夕食。雪はやんでいる。

                  次の日はマンハッタンにあるスタジオでマスタリング。朝起きたらもうすごい雪。タクシーでスタジオへ。11時からこれまた7時近くまで作業。3本分のマスタリングだ。昼はまた出前のスープとサンドイッチを仕事しながらだった。夕方にいったん雪はやんだが、夜からまた降り始める。予報によれば一晩中降ってかなりの積雪になるとか。雪がひどくなりとても遠くまで出かけられない。ちょうどホテルのとなりがコリアンレストランだったので、また韓国料理。

                  さて、カリフォルニアに戻る日。カーテンをあければ、真っ白。雪はもうやんでいるが、大変な積雪。その上、夜半から歯槽膿漏が腫れ始め痛い。ああ、日頃の行いか….。テレビとインターネットでフライト情報を調べる。オンタイムという情報。さて、戻りの分のバスのチケットを使って空港へと、バス停まではタクシー。ホテルの前のタクシーに乗るのも大変なくらいの積雪。ニュースではセントラルパークの積雪は約50センチ、記録だそうだ。勘違いして違うバス会社のバス停に。すぐ気が着くが、正しい場所がどこかはわからない。ラッキーな事に戻りのチケットに会社の電話番号が。携帯電話で聞くと、2ブロックほど行った所。ところが、この雪じゃ2ブロックでも歩くのが大変。ようやくたどりつくと、3人ほど待っている人が。でも、みんなあと1時間は来ないらしいと困り果てている。3人の内、2人は日本人女性。彼女たちはJFK空港。もう一人のアメリカ人の女性と私たちの3人でラガーディア空港までタクシーをシェアする事にした。この人、すごいしっかりした人で、タクシーの運転手に道の指示をしてくれたお陰でなんと24ドルで到着。割り勘で12ドル。なーんだ、バスより安い。ああ、なまじっか安くあげようと購入したバス往復チケットは結局よほど高くついた。人生、こんなもんです。

                  ヒューストン経由でサンノゼまで。どちらの便も遅れもなく運行。無事に雪のニューヨークを脱出して、うその様に暖かいサラトガのモンタルボに帰って来た。時差3時間、全行程で13時間。アメリカは広いです。ついでにちょっと足をのばすという距離ではなかったです。

                   

                  さて、モンタルボでの滞在も残すところ数日に。

                  | エッセイ by 藤井郷子 | 15:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  Montalvo8『もうすぐ帰国』
                  0

                    by 藤井郷子


                    ここでの生活ももうあと明日を残すだけになった。持って来た山ほどの仕事、ずいぶんとはかどったが、どれも終わってはいない。続きは日本で。

                    この辺りは、招聘を受けなければ、絶対に来る用事はなかったと思う。この一ヶ月、印象に残る事をいくつか。

                     

                    日常の楽器の練習、自宅ではピアノを防音室にいれてあるので、トランペットはリビングでピアノは防音室で同時に練習する。ここでは40畳のリビングダイニング、スタジオ兼用にピアノをおいてあるので、最初はそこでふたりでお互いの音を聴かない様にして練習していた。後半は、田村がベッドルームとなりにあるウォークインクローゼットを練習に使った。広さは5畳から6畳。服や下着をおいてある中で練習。響きがちょうどいいみたいだが、なんか私が押しやったみたいで、申し訳ない。

                     

                    朝ご飯と昼ご飯、それに土日の夕飯は提供されない。スタジオについているキッチンはシンクがやたらに小さい。洗い物をためられない。私がせっせと食器洗い。「人間食洗機」と化した。でも、ほとんどここで自炊ですませる事ができた。時に気分転換も兼ねてサラトガやロスガトスの町に食事に出かけた。サラトガの小さな町に驚くようなおいしい日本食レストラン、『八十八』を見つけた。モンタルボの料理人、アンドレアから懐石までやっているおいしい日本食と教えてもらって行ったのだが、びっくりした。日本でもなかなかないくらいおいしいレストラン。だしが料亭のほんものの味、素材から調味料から一流の味だった。しかも、驚くような安価で、ここには2回出かけた。

                    ロスガトスのタイレストラン、ここは特別ではなかったが、タイ人だと思っていたウエイターが帰り際に「ありがとうございました」。なんと、日本人だった。「事情があって、ここにいます」と。帰りながら、どんな事情だろうと、想像を膨らませた。

                     

                    何回も鹿が近くまで来ていたのに、あまりにそれが普通で、写真を撮らなかった。今、思うと、残念。是非、ツーショットをお願いしたいところだった。

                     

                    明後日はサンフランシスコ空港まで車で1時間。東京まではひとっ飛びです。

                    | エッセイ by 藤井郷子 | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    低音障害型難聴
                    0

                      by 藤井郷子


                      発症したのは、もう26年くらい前の夏の晩だった。その当時はボストンの音楽学校の学生で、毎日長時間狭いピアノ練習室にこもって練習、大量のアレンジの宿題に追われ、よく言われるところの「ストレス」は溜っていたかもしれない。一人暮らしのアパートの部屋で、窓からの風がいつもと違うように聞こえた。それに気が付くまで、ちょっと時間がかかったと思う。ゴーって風の音や耳のそばで揺れる髪の毛の音までもが聞こえる。なんか変、と気づいたら、どうもなんでも異様に大きな音で頭に響く。おかしいな、とは思ったが、夜半だったし他に身体の不調はなかったので、翌朝まで様子をみた。翌朝まで症状は途切れる事なく続いていた。


                      ボストンは世界有数の医療都市。多くの優れた病院がある。マス・アイ・アンド・イヤー・ホスピタル(マサチューセッツ眼科耳鼻科病院)はその中のひとつ。音楽家にとって、耳の異常はやはり不安なもの。学校を休み、朝から飛んで行った。一通りの検査で、若干の聴力の低下が認められたが、大きな低下ではなく、ビタミン剤を出され数日後に再診するようにと言われた。その数日の間に症状はほぼおさまったが、やはり心配なので、もう一度病院に行く。聴力は戻り、診断はストレスで心因性のものだろうと。とても納得はできない。すごい大きな音で聞こえたのが、気のもんだと言われても….。それ以来、2年から3年の間にこの症状は断続的に続いた。アメリカの病院だけでなく、東京でも夫の実家の滋賀県でも数軒の病院をまわって診察を受けたが、どこでもはっきりした説明は受けられず、ゴーという耳鳴りがしている時でも聴力の低下は認められなかった。一軒だけ、滋賀医大で、「人間の耳は大きな音を小さくするようなしくみがあるんですよ。それが、髪の毛一本みたいな細いもので繋がっている。それが何かの拍子ではずれちゃうと大きな音に聞こえちゃうんだと思います」と、なかば納得の行くような説明。でもその「何かの拍子」とは?


                      最初、発症してから1年ほどで結婚し、その後しばらく続いた症状はいつの間にか全く起きなくなってしまった。おかしなもので、結婚式の前に仲人をお願いしたご夫妻にごあいさつに行った帰りなど、緊張した時は、特に症状はひどかった。


                      17年くらい、全く起きなかったその症状が、今度は冬の晩にいきなり起きた。ニューヨークでの忙しいレコーディングと演奏の後、帰国したその晩だった。「え??これは、もしかするとあの時と同じ音」ゴーという音と水に潜っているような耳が塞がっているような感じ。ニューヨークでの多忙なスケジュールは、たしかに「ストレス」に繋がるものだったかもしれない。それから、またこの症状は断続的に起きるようになった。一番辛いのは、演奏している時だ。小さな音まで大きく聞こえるので、楽器の大きな音は耐えられないような音になる。耳栓も使ったが、耳栓をしたところで、ゴーという耳鳴りはやまない。しばらくしてから、わずかにめまいのような症状も出た。でも、これはめまいかも?程度の軽症で、自分でもよくわからない程度。病院も廻ったが、「軽いメニエールでしょう。くよくよと心配しないで、おいしいものでも食べて下さい」というのんきな診断。聴力も落ちてないなかったので、なんんとなくそのまま放っておいた。それからさらに数年経ち、昨年末いつもより症状が長く続くので、今までは行った事のない耳鳴り名医と言われる耳鼻科を訪れた。聴力検査で右耳の低音の一部が極端に落ちている。これは、ステロイド投与が必要なレベルとの診断でステロイドをだされる。ところが、年末で4日ごとに聴力検査でフォローして投与の量を調整しなくてはいけないはずが、病院も閉まってできない。その上、年始には私が岡山に旅行に行くので、再診できない。そこの先生の迅速で適切な対応で、学会で親しい岡山の耳鼻科の先生を紹介してくださった。ステロイドのお陰で忘年会も年明けの岡山の温泉旅行もノンアルコール。症状自体はずいぶんと楽になり、岡山で受診した時は耳鳴りもほぼなくなっていた。岡山の先生、耳鳴りのみを手がけられている先生で、見るからに学者タイプ。「聴力はほぼ快復、ステロイドはもう使わなくていいでしょう。あなたのような低音のみ聴力が落ちて、ゴーッという耳鳴りがする方は最近たくさんおられるんですよ。現代病ですね。女性に多いようですが、ストレスが原因だと言われています。聴力は戻る事が多いですが、症状は繰り返します。一生、うまくつきあうというふうに考えたほうがいいです」でたー!!「ストレス」これって数値で計れないし、いったい何がどうストレスになるのかもわからない。「病名はなんというのですか?」という私の質問には「低音難聴」と教えて下さった。27年経って、はじめて説明らしきものを受ける事ができたが、結局はよくわからないという事がわかった。たしかに私のまわりでもここ数年似たような症状がでた女性の知人が数人いる。帰宅してインターネットで調べればでてくる、でてくる。「こんな性格の人に多い」とか「のんびりしなさい」とか。


                      まあ、そんなに心配しなくてもよさそうだというのがわかり、症状が出たら、ストレスがかかっているアラームと思うようになった。それでも、もちろん性格はなかなか変えられない。昨日もアラームが鳴った。

                      | エッセイ by 藤井郷子 | 06:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |